Take1 ラジオ……同好会

1-1

 梅雨のにおいが満ちる六月。――放課後。

 葦ヶ崎あしがさき高校ラジオ部の部室として無断使用している、四階隅、空き教室にて。


 壁際へ雑多に寄せられた机や椅子。張り紙の一切ない連絡ボードは画鋲だけが刺さり、どこか所在なさげだ。そんな殺風景な部屋で、五台の机をくっ付けた作業台に僕たちは寄り合った。

 校内各所に二つ設置してある通称『らじボックス』をひっくり返し、いわゆるお便りを漁っている。


「いやー、今日のラジオもなかなかの出来だったんじゃなーい?」


 好奇心をはめ込んだような瞳で面々を見渡すのは、部長の姫川美咲さん。椅子にあぐらをかいて座っている。

 明るい茶髪をツーサイドアップにし、タイを緩めて半袖のブラウスを着崩したスタイル。割と厳しい校則ぎりぎりの、少し派手めに化粧をした今どきの女子高生って感じだ。

 ノリのいい明るい性格で、男女を問わず人気がある二年生の先輩。


「そうだね。それもこうして面白いお便りをくれる、リスナーさんがいるからだよね」


 部長がざっと目を通したメールを仕分けしているのは、同じく二年生で副部長の御門静巴しずはさん。

 部長に対してこちらは化粧も薄く、青いタイをしっかりと結びきっちりと制服を着こなしている。烏が濡れたような長い黒髪が印象的で、和服とか道着が似合いそうな着飾らない和風美人。


「そうだよねー、我が部も成長したもんだよー。はい、くろすけ、これ今度のラジオ分の割り当てね」

「あ、はい」


 静巴先輩が仕分けた束の一つを、部長がこちらへと差し出す。

 何とはなしにそれを受け取ると、僕は部室に持ち込んだノートパソコンを開いて起動させた。


 くろすけ。それが僕、黒鳥俊輔のラジオネームだ。

 正直、ダサいと思ってる。

 成績は中の中、中肉中背の容姿は十人並み、髪は一度も染めたこともない真っ黒で、趣味は音楽鑑賞。と、起伏のない人生を歩んできたと自負している僕が、なぜこんな間抜けなラジオネームなのか。

 けれどそれは仕方がない。部長権限だとかで勝手に決められてしまったんだ。

 あれはそう、入部早々のことだった――。



「じゃあ、黒鳥君のラジオネーム決めよっか」


 非公式の部員名簿に僕のラジオネームを書き加えようと、部長はペンを取り出しながら言った。


「じゃあ、クロウで」


 中学の頃に、自作ホームページ上で名乗っていたペンネームを僕は咄嗟に答える。


「早い! そして中二臭い! くろすけ」


 即答したのがまずかったのか。部長はじゃっかん怒りながら、僕の名前欄の横に『くろすけ』と消えないボールペンで書きなぐる。


「く、くろすけッ!?  せめてカラスで――」


 くろすけなんてあんまりだ、僕はススなんて渡らない!


 黒鳥俊輔

 ↓

 黒○○輔。

 ↓

 黒輔。

 ↓

 くろすけ。


 なんて安直!?

 部長にすがり付くも、シンプルに首振りで却下された。

 そんな情けないエピソードだった――。



「ん? どしたのくろすけ」

「え、いや、なんでもないです」


 短い回想の間に、無意識に部長を見ていたらしい。

 顔を背けて、部長を横目でちらりと見やる。


「んー?」


 不思議そうな顔が返ってきた。

 気まずくなってメールの束に目線を落とす。そこで、横からの視線に気がついた。

 顔を向けると、静巴先輩が僕の瞳を覗き込んでくる。


「あ、あの、静巴先輩、近いですよ?」


 もう息がかかる位の距離にドキドキがとまらない。梅雨時期の湿気のせいなのか、むあっとした甘く蒸れた匂いが鼻腔を刺激する。

 なんで女の子ってこんなにいい匂いがするんだろう。ただのシャンプーの香りなのに……。

 黒曜石を丸く削ってはめ込んだような瞳が、僕をその世界に閉じ込める。


「もしかして、ラジオネームのことを気にしてた?」

「ぃえっ!? 」


 思わぬ指摘に、声が上ずった。

 なんで分かったんだろう?


「くろすけって――」


 それに気づいたのか、部長が声をかけてくる。


「可愛いよな!」


 そう言う部長はにこにこ笑顔だ。ちらりと覗く八重歯が可愛らしい。

 あんなひまわりみたいな顔をされたら、なんにも言えないじゃないか。

 静巴先輩を見やると、こちらも微笑んでいた。


 まあ、僕のラジオネームなんて本来どうでもいいことだ。僕は裏方なんだし。

 そう、僕は裏方だ。ラジオには出ない。

 メインパーソナリティは部長と静巴先輩の二人。


 僕は構成台本と時間の管理、それと『ひるラジ!』のホームページの更新を主に担当している。

 毎週水曜の昼休みに校内放送している『ひるラジ!』は、毎回音声を録音しているため、それをバックナンバーとしてホームページ上で公開しているのだ。


 ちなみに、ラジオ放送本編で流れている曲も僕が作っていたりする。

 中学生の頃、一時期『打ち込み』にはまっていたため、かじった程度の知識ならあった。

 部に勧誘されてラジオをやるということになった時、どうせならオリジナリティのあるものにしたいと思ったから、自分から進んで製作を申し出たんだ。


「さてさて、今回はどんなメールがきてるかなっと?」


 部長は自分の割り当て分を手元へ寄せると、仕分けられたメールを読み始める。


「以前よりは増えたよね、メール」

「一年の頃なんか自分たちで書いたりしたけどなー。くろすけ、ホームページの方はどう?」


 部長に聞かれ、ノートパソコンを覗き込んだ。

 部長の要望どおりの、水色やオレンジなど、嫌味なく明るい色使いのポップなホームページ。

 無線マウスを操作し、そのサイトで使用しているメールボックスを開いた。


「ああ、こっちは少ししかないですね。全部で五通です。ラジオの再生数は少しずつ増えてきてるんですけど」

「そっかー。やっぱまだ知名度が低いんだろうなぁ」


 部長は残念そうに肩を落とす。


「みんな遠慮してるんだよ、きっと」


 それを慰めるように静巴先輩が肩を叩いた。


「シャイな奴らめー」


 ぐぬぬ、と悔しげに部長が唸った、その時だ。

 ――ガラッ!

 乱暴に部室のドアが開かれた。


「姫川さん、また空き教室を無断使用して!」


 全員の視線がその人物に注がれる。

 ぷりぷり怒り顔で入ってきたのは、白峰彩華さんだ。

 セミロングの金髪を二つのお下げにした、気の強そうな少しつり目気味の女の子。青い瞳がすごく印象的だ。噂によると、外国の血が四分の一入っているクオーターらしい。

 先輩たちと同じ二年生で、その左腕には、『副会長』と書かれた腕章が燦然と輝いている。


「おっ、彩華どうしたのー?」

「どうしたのー、じゃないです! なにを暢気な声で挨拶してるんですか。敵ですよ、私は。そしてここは空き教室。あなたたちが無断で使用していい部屋ではありません!」


 ビシッと指差し、彩華さんは咎めるように指摘する。


「そんなことだけ言いに来るなんて、彩華って暇人なんだなー。もしかしてハブられてる?」

「失礼な! こんな辺境まできて注意させられる私の身にもなってください!」


 辺境って……。生徒会室はこの真下なんだけど。

 座標的には、ただX軸が少しばかりずれているだけだ。


「なんだ、ただの親切か。あっそうだ。彩華もお菓子食べてく? 新商品のマーブルマシュマロチョコだってさ。コンビニで見つけて、つい買っちったー。マシュマロ好きだったよね、彩華」


 嬉々として、部長がボストンバッグから取り出したるはコンビニ菓子の袋。

 チョコレートでコーティングされたマシュマロが、イチゴやオレンジ、ヨーグルトなどで味付けされたものだ。


「ふざけないで! お菓子をご馳走になりに来たんじゃないんですから」

「え……」


 彩華さんの突き放すような強い言葉に、部長は寂しそうに眉根を寄せる。


「なっ、なんでそんな捨てられた子犬みたいな顔してるんですか」

「マシュマロ、一緒に食べたいんだよぉ」

「どんだけですか!」

「こんだけっ」


 そう言いながら、嬉しそうに部長はマシュマロを三つ掴んで、彩華さんに差し出す。


「そういう意味で言ったんじゃないんですけど……」


 困った顔をしつつも、彩華さんは部長からしぶしぶマシュマロを受け取った。

 そして一つ口に含んだ。


「ん、……美味しい」

「ん? なんだって?」

「おいし――……ハッ!?」


 どうやらにやけている部長に気づいたみたいだ。


「いま、食べたよね? 彩華、間違いなく食べたよね、好物のマシュマロ?」

「食べたね」

「僕もしかとこの目で」


 彩華さんには申し訳ないけど、これも部の存続のためだ。生徒会長に口添えして部を潰されないように、彼女の弱みを握らせてもらおう。

 僕は静巴先輩と顔を見合わせ、確認するように頷いた。


「ひ、卑怯ですわ、こんな賄賂みたいな姑息な真似をして!」

「お嬢様言葉になってるぞー」

「う、うるさいわね! 私だって暇じゃないんだから、あんまり手を煩わせないで。ふんっ」


 不機嫌そうに鼻を鳴らし、彩華さんは残りのマシュマロを口に放り込みながら、そそくさと部室を出て行った。

 その後ろにひらひらと、一枚の白い紙が舞い落ちる。


「ん、なんだこれ?」


 部長は近づき、それを手に取った。


「部活申請用紙? なんだ、本当にただの親切だったのか。相変わらず素直じゃないやつ」

「といっても、私たちにはまだ……」


 静巴先輩の一言に、部室の空気にじゃっかんの重さが満ちた。

 僕が所属する部活『ラジオ部』は、正式にはラジオ同好会。主な活動内容は、自分たちでお昼を盛り上げようと、ラジオ放送をすることだ。


 それなら放送部でいいんじゃないかと思われがちだ。放送部は別であるにはある。が、放送部は生徒会役員選挙の放送や校内のお知らせ、そして生徒会の主催ではない行事以外の、司会進行などをするだけの部活なのだ。部というよりは、係りと言った方がしっくりくる。

 主だった活動目的があるにもかかわらず。僕たちラジオ部は、まだ部として認められているわけではなかった。


 なぜなら、部活として認定されるには条件が二つあるからだ。

 一つ、部員を四人以上集めること。

 二つ、顧問の教師を立てること。

 ラジオ部は、そのどちらもまだクリア出来ていない。

 本来なら、勝手に放送室を使用することも認められるはずがないのだ。


「あと一人かー」

「驚くほどに入部希望がこないよね」

「ラジオも少しは様になってきてると思うんだけどなぁ」


 各々が不満をもらす中、僕はある妙案を思いついた。


「あの、ラジオで公募したらどうですかね?」


そもそも、ラジオ放送をしているということ自体がアピールになっているとは思うんだけれど。どうにも奮わない。


「公募かー……」

「ありといえば、ありかもしれないけど」


 あれ、なんか二人とも乗り気じゃない? ここは食い付いて然るべきところなのに。


「部員募集してるんですよね?」

「うん、そうなんだけどさ」


 やっぱり、なにか渋ってる気がする。


「どうしたんですか?」

「この三人の空気感? みたいのを、いまは大事にしたいかなって」

「……ひめさん」


 一気に場がしんみりとしてしまう。

 いつも元気で明るい部長が、少しだけしおらしい一面を覗かせただけだ。

 ただそれだけなのに、なんだか妙に胸が締め付けられる思いがした。

 でも――


「つまり、部長が言う空気感ってのは、生徒会を掻い潜って放送室をジャックする、スリルのことを言ってるんですよね?」

「あれ、バレた?」


 部長はからからと軽快に笑う。静巴先輩も呆れているようだ。


「けど、ひめさんが言うこともわかる気がする」


 それは確かに、僕もそうだ。

 中学時代は部活なんて面倒くさいとしか思わず、一年生の半ばからはバスケ部の幽霊部員だった。

 ただ球を奪い合ってゴールに入れる。走って攻めて、走って守る。練習後は足に豆作って痛い思いをして。そんなののどこが面白い。そういった反発しか心にはなかった。バスケは二年に上がってすぐにやめた。僕は帰宅部になった。

 それから少しして、ホームページ作成とか打ち込みに熱中した。

 ただの暇つぶしに遊んでみただけだったけど、これが意外にはまったんだ。

 けど結局、それらも長くは続かなかった。


 ただ当たり前のように同じことを繰り返す日々。

 高校生になれば何か変われるかもしれない。そんな淡い期待を抱きながら葦ヶ崎高校に入学して、一週間。部長と静巴先輩に出会ったんだ――。


     ☆


 葦ヶ崎高校は、全日制の共学校だ。生徒数は六百名ほど。住宅街が近いこともあり、近隣に住む受験生が葦ヶ崎を選ぶことも少なくない。

 ちなみに僕もそんな一人だ。

 春には校舎へと続く桜並木が満開になり、それだけで歓迎されている気分になった。

 新しい環境に期待と不安を感じつつも、何気ない日々が過ぎていく。

 クラスにも少し慣れ始めた、そんなある日の放課後。

 入学したてでまだ勝手が分からず、散策を兼ね、一人校内をうろうろしていた時だった。


「君、新一年生だよね? とりあえず拒否権はないみたいだから、どうぞラジオ部へ」


 いきなり静巴先輩に腕を掴まれて、そのままこの空き教室へ強引に連れ込まれた。

 俗に言う拉致だ。

 ちなみに、少々強引な部員勧誘は、信じられないことに静巴先輩が担当していたそうだ。

 一見、大和撫子な雰囲気を醸し出している彼女だが。その実、実家は茶道の家元だそうで。部長は部長で、放送室への進路クリアを担当。ここはまあ納得できるけれど……。


 そんな先輩たちの自己紹介を聞きつつ、話はラジオ部のことへとシフトする。

 ラジオ同好会結成当時、先輩たちが一年の頃だが。なんでもその頃は三年生の入部希望もいたらしい。けれど三年生には進学や就職など色々あり、内申に響くからという理由で断っていたそうだ。二年生もまた然りだ。大事な時期だからと断っていたそうな。


 そこだけ取れば良識ある常識人ぽく聞こえるけど、「内申はどの学年にあっても響くものじゃ?」なんて僭越ながらに進言したら、部長から強烈なデコピンを見舞われた。

 わけも分からず唖然としていると、『それを言ったらお終いじゃないか!』と開き直られたのをよく覚えている。


 その時、なぜか分からないけど素直に感銘を受けたんだ。潔さに心を打たれたのかもしれない。少なくとも、今まで僕の周りにはいなかったタイプの人間だ。

 これからどんな高校生活が待ち受けるのかと楽しみで、僕は二つ返事で入部を承諾したっけ。


 それからの毎日は本当に急がしくなった。ホームページ作成にBGMの作曲。それを一週間で上げなければならなかった。でも、僕がやっていたことが無駄にならなかった。昔作っていた物をベースにし、なんとか一週間で仕上げることができた。


 二人にお礼を言われた時、僕にも居場所が出来た、そんな気がしたんだ。

 初めて部活が楽しいと思えた。それはひとえに、部長と静巴先輩の接しやすい雰囲気によるところも大きかったと思う。

 そして自分たちで協力して一から作るということが、こんなにも充実したものだってことに初めて気づかされた。

 心の底から、素直に、楽しいと思えたんだ。


 ――だからこそ、


「でも、早く部として認められたいですね」


 そんな言葉が自然にこぼれた。いつまでも同好会のまま終わらせたくはない。

 まだ入部して二ヶ月くらいだけど、ラジオ同好会が、正式に部として認められたいという思いが強くなっていた。


「そうだなー。まあ、この件に関してはぼちぼち考えていかなきゃならない命題だな。あたしたちの宿命だ! みんな気合入れていけ! ってことで、本日の部活はこれにて解散。各自、来週の放送前日まで、何か面白いこととかあったらメモしたりしてね。くろすけ、いまんとこ構成に変更はないよね?」

「そうですね、とりあえずは。新しいコーナーも考えていかなきゃいけないですけど、ネタはがきが面白いんで、まだ当分は大丈夫そうですかね」

「よしっ! なら、帰ろっか」


 そうして、本日のラジオ部の活動は終了した。

 これからの一週間は、まあいろいろだ。

 まず、それぞれが持ち帰った『らじボックス』に投函されたメールを確認。僕はそれプラス、前回分のラジオの編集と動画投稿サイトへのアップロード。

 そして個人的に面白いと思ったネタはがきを、翌日からみんなで話し合う。

 主な論点は、次のラジオに使うかどうかだ。もちろん本番まで伏せておきたいメールがあった場合、後からこっそり忍ばせるのも可だったりする。


 ちなみにラジオは基本、構成だけ台本ありのぶっつけ本番トークだ。

 単純に二人の掛け合いでラジオの質が決まる。正直、僕も毎回ドキドキしながら聞いている。

 時間の配分は裏方の僕が担当している。

 たまに時間も忘れて話し出す二人をコントロールするのは、けっこう至難の業だ。


 まあでも、簡易キューランプをカチカチ光らせると大抵は気づいてくれる。気づかない時もあるけど、そんな時はとにかく気づくまで連打だ。

 おかげで連射パットなしで、かなり楽にシューティングゲームがクリアできるようになった。

 それぞれがそれぞれのやるべきことをこなし、一週間はあっという間に過ぎていく――

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