第29話「枯枝と堕落」

 火が焚かれる。

 雑に積まれた枯れ枝に男たちの一人が松明を持った手をのべて少し止め、火が枝に移るとそれを引っ込めた。

 枯れ枝は勢いを増す雪の中でもよく燃えた。

 立ち並ぶ者たちのちょうど中央に構えた男が、松明を高々と掲げた。揺らめく焚き火と松明の火でも、ここからでは顔は見えない。

「祭を、始めるぞ!」

 声でそれが豪太と知れた。

 途端、周囲の男と女がいっせいに声をあげた。その喚声の異様さにセツは圧倒された。自分がなぜこの場に戻ってきたのか、一瞬忘れてしまうほどだった。

 子供たちや年寄りは動ける者は身を寄せ合いながら自分たちを取り囲む者たちを見上げている。ここからは見えぬが、ひどく震えているに違いなかった。セツだって足がすくんで動くことができないのだ。

「肉を! 肉を!」

 また豪太が叫んだ。そして手にしたナタを振り上げて、地べたにいる者たちに近づき、その一番手前の年寄りに向かって、振り下ろした。まったく躊躇なく振られたナタが、年寄りの頭に斜めに深々とめり込む。豪太がナタを引き抜くと、年寄りは悲鳴もあげずにその場に前のめりに倒れた。

 大きな歓声が起こる。子供たちの中には泣きだす者もいたが、その声はまったく聞こえない。

 豪太が年寄りの首ねっこ目がけてもう一度ナタを振るう。

 枯れ木のような首はあっさり胴から切り離された。飢えで死にかけているためなのか、血しぶきがあがるでもない。豪太はまだナタを持つ手を止めない。

 首のない背に打ち下ろした。

 別の、半円の左端に立つ男も勢いよくナタを振りかぶった。目のまえの男の子が思わず両手を顔のまえに出し、そこにナタが飛び込む。男の子の細い腕が二本、ぽーんと飛ぶのをセツは見た。腕は反対の半円の端に飛んで、落ちた。男の子は顔を歪め大きく口を開けた。泣き叫んでいるはずだ。だがセツの耳に届くのは嬌声じみた男や女の声だけだった。

 半円から次々に男たちが歩み出て、あたり構わず手にしたナタを振るい始めた。薪とりのようにナタが振られていく。悲鳴も聞こえないために、セツには本当に薪でも切り出しているように思えた。

 やがて誰も彼もが手当たり次第に年寄りと子供たちを襲い出した。

 ナタが振るわれるたび、手か足か、何かしらの部位が持ち主の本体から切り離された。ついさっきまで見上げていた者たちはすでに全員がこと切れているらしく、地べたに伏せって転がされているばかりである。切り出した誰かの腕を掴んだ一人の男が、それを燃え盛る焚き火の中に投げ込んだ。その瞬間、降りしきる雪の中で焚き火の炎が大きくなったようにセツには見えた。



 切り出された手足が、次々と焚き火に投げ入れられる。小さな子供の頭を、その髪を掴んで放る者までいた。

 肉が燃える。

 少し離れた森の中から眺めているセツには届きはしなかったが、肉の焦げるにおいが漂ってくる気がした。

 予想はしていた。バアちゃんの最期の言葉を頭の中でつなげていくうちにふっと思い浮かんだ光景は、まさしく目のまえで繰り広げられているものだったのだ。見たことのない光景を寸分たがわぬ正確さで思い描いた自分を不思議には思わなかった。きっとこの光景は村の誰の神経にも刻みつけられているのだ。その昔ご先祖様たちが行なった「祭」の記憶は、彼らの意識に刻まれ、次の、そのまた次の世代へと受け継がれていたのだろう。セツにはそんなことが、しごく当然のように感じられてならない。

 ふと見ると男の一人が焚き火に近づき、炎の中からいくつかの塊を足で蹴り払うようにして取り出した。それらの表面は焼けて黒ずんでいる。男は勢いよく地べたにしゃがみ込み、その、腕か足か遠目にはわからぬものにかぶりついた。

 首を振って肉をかみちぎり、大きく口を動かしている。その顔はいかにも満たされている。無上の喜びが確かに表れていた。男が食しているものは鹿か何かの肉にしか見えない。

 セツはふとバアちゃんの言葉を思い出した。「鹿肉」とバアちゃんは言った。そうとしか見えない。あんなふうに顔をはつらつとさせて同胞の肉を食らうなど、誰が想像できるのだ。食っている当人でさえ、自らが口にしているものが何であったかなど考えていないかもしれない。そうに違いない。考えていたら、わかっていたら、あんなことはできまい。

 あれはけだものなのだ。自分から進んでけだものになった連中なのである。あの中にバアちゃんがいて、親父もいることだろう。母親は家の中に残っているかもしれない。切り分けられたバアちゃんを、親父が今食っているかもしれない。

 気づけば他の者たちも同じ行動をとり始めている。そこいらで地にしゃがみ込んでは同胞だったものを貪っている。さっきまで子供たちの泣き叫ぶ声すらかき消していた喚声はまったく止んだ。雪のしんしんと降る中、くちゃくちゃと肉をかむ音が聞こえてきそうだった。

 セツはじりじりと、にじり寄るようにして森の入り口へ近づいた。物音を立てぬよう、慎重に。

 森の口まで来たとき、すぐ近くに、放り出されたままの松明を見つけた。弱々しくだが、まだ確かに燃えている。

 しめた!

 持ち主は松明に尻を向けて食事にいそしんでいる。セツは忍び寄って腕を伸ばした。柄を掴む。

 気づかれぬよう、そして松明の火を消してしまわぬよう、注意して腕を引っ込める。気づかれた様子はない。どいつも死肉を食らうのに夢中でセツのことなど見ていないのだ。

 セツは彼らに背を向け、低い姿勢のまま、松明を地面ぎりぎりに下げて森へ戻った。

 ――バアちゃん、皆、さようなら。

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