第18話「再来、悲鳴」

 村を囲む木々の葉に赤や黄の色が混ざり始め、乾いた風ばかり吹く日が増えた。暖かい夏から秋に季節が移り、急に寒くなってきたが、村では、

「あれだけあったかいほうが、おかしいくらいだ」

 と誰も気にも留めなかった。

 セツは、玄平が死んでしばらくは「ありゃあ、次はセツの番じゃねえか?」とおおっぴらに言われるほど痩せこけ、十代とは思えぬほど老け込んでしまった。すっかり年寄りじみたセツにかわり、ケイが野良仕事をこなした。まだ小さいのでセツのようにはいかないが、セツがやるのをいつも見ていたので、見よう見まねで畑を動き回ったのである。セツは家にいたり、畑のまえでケイを眺めたりしていたが、いつも惚けていて、タキの面倒もろくに見られなかった。

 


 玄平が死んで半月が経った頃だった。

 ケイがせっせと鍬を振り上げていた時、鍬の重みに足元がふらつき、うしろへ転げてしまった。するとそれを見ていたセツが、大声で笑い出したのである。いつまでも笑っていて、しまいには土の上を、腹を抱えて転げ回り始めた。ケイは唖然として、起き上がるのも忘れてそのさまを見ていた。「こりゃあ、気でも違っちゃったか?」と心配になった。

 少しして、ようやく落ち着いたセツが、

「全然なっとらん、ほれ、貸してみろ」

 ケイのところまで来て手を差し出した。ケイを起こしてやると、奪うようにして鍬を手にとり、馴れた様子で野良仕事を始めたのだ。

 その日からまた、畑にはセツが立つようになったのである。



 セツの腹もいよいよ膨らんできた。野良仕事の合間に手を止めては、横倒しになった丸太棒に腰かけて休むようになった。ケイもセツの大きな腹が気になるらしく、

「こん中に、弟か、妹が、いるんだなあ」

 物珍しそうに腹をさすっていた。

 お日様が天高く照り返っていたある日の昼すぎ、バアちゃんが戸口でつまずいて転んだと聞いてセツは三つ上の実家へ飛んで帰った。バアちゃんは便所へ行こうとして、戸口の敷居に足をひっかけたそうだ。だがセツが駆けつけた時には何にもなかったように筵に正座していた。

「なあに、たいしたこたねえ」

 バアちゃん自身が言うのでセツは安心した。バアちゃんの声を聞いたのは久しぶりだ。年のせいでこれ以上は無理だというほど背中が丸い。森の大木の陰にちょこんと生えた蕨のようである。だが頭はしっかりしていて、やはりタキよりずっと達者らしい。母親が茶を淹れてくれた。セツはそれをすすった。隣でバアちゃんもすすっている。バアちゃんは、膨らんできたセツの腹に手を置き、

「もうすぐだなあ」

 セツだけに聞こえるような、小さな声で呟いた。セツは大きく頷き、笑った。

 


 それから半月もすぎた夕暮れ時だった。

 飯の仕度をしていたセツは、

「子供が消えた、神隠しだぞ!」

 外で村の者たちが怒鳴るのを耳にしたのである。

「まさか、また?」と、足が震えた。立ち尽くすセツの横を、五平とケイが無言のまま駆け出ていった。様子を見に行ったのだ。

 怒鳴り声は村の下のほうから、どんどん近づいてきた。セツは戸口から顔を出し、不安そうに下を眺めた。

 村の真ん中にある徳三の家の辺りに、もう大勢集まっている。五平もケイもいるはずである。皆、不安そうにがやがやと騒ぎ立てているようだ。セツは何も聞こえないふりをして、土間へ戻って飯の仕度を再開した。



「元太のとこの、伜だとよ」

 しばらくして帰ってきた五平が、膳のまえに乱暴に腰を下ろして言った。

「五つになったばかりだ。森で遊んでて、消えちまったのだと」

「……まだ、うんと小せえじゃねえか」

 セツは目に涙を溜めていた。元太とその嫁が気の毒だったのだ。元太は徳三の家の二つ下に住んでいた。貧しいこの村でも飛び抜けてぼろい家である。上背があり、いかにも頑強そうな元太であるが、

「なあ、おめえんとこのぼろ家はいつ直すのだ?」

 からかうように村の者が聞いても、

「ああ、そろそろ直そうと思ってたところだあ」

 返事ばかりでいっこうにやろうとしない、怠けたところのある男だった。そのくせ人に頼まれると断れない性分で、よその家の力仕事は、文句も言わず手伝ってやった。だから家がおんぼろでも、村では元太の悪口を言う者などいなかった。

 その元太の伜が森で消えてしまったのだから、村の者たちは同情した。だがそれでも、自分の家の子が連れていかれなくてよかったと、やはり誰もが安堵していた。

「神隠しはまえの年だってあったぞ、一体どうなっちまってるのだ?」

 セツは膳の飯に手もつけず、首を傾げて言った。

「えらいことだ、こんなこたあ、今まで一度だってなかったぞ」

 五平もしきりに不思議がった。だがブツブツ言いながら、五平はあっという間に飯を平らげてしまったのでセツは呆れた。

 夜も更けた頃、耳をつんざくような叫び声が村中に響き渡った。

 セツの家ではじめに目を覚ましたのはケイだった。甲高い叫び声に縮み上がり、慌てて五平とセツを揺すり起こした。

「起きて、起きて」

 ありったけの力でケイに揺すられ、

「何だ、どうした?」

 五平が眠い目をこすりながら聞いた。

「声が、外で、誰か叫んでて」

 五平もすぐに気づいたらしく、寝床から飛び起きて様子を見に出ていった。ケイは今度は、

「こわい、こわい」

 と、セツにしがみついてきた。ケイの頭をさすってやりながら、セツは吹き荒れる風のような悲痛な声に首を竦めた。

 すぐに帰ってきた五平が、

「元太んとこの嫁だった」

 呆れ顔で言った。

「元太んとこの?」

 セツは驚いて聞き返した。確かに女の声だったが、元太の嫁とは思わなかった。元太の嫁は、おっとりした女なのだ。あんな凄まじい叫び声を上げる女ではなかった。

「伜が神隠しにあって、どうも頭がおかしくなったらしい」

 五平は長いため息をついた。

「まえの年に起こったのだから、もうしばらくはねえだろうと思って安心してたのだ。そしたら自分とこの伜が連れていかれちまったもんだから、度肝抜かれて、気狂いになっちまった」

 セツは「無理もねえ」と思った。ただただ嫁が気の毒だった。叫び声はいつの間にか止んでいた。

「あれ、収まった」

 ようやく落ちついたケイがそれに気づいて、言った。

「元太が口でも押さえて、家ん中へ引っぱってったのさあ」

 言いながら五平が横になり、すぐにいびきが聞こえてきた。セツも床についた。だがいつまでも寝つけなかった。

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