第16話「供物と秘事」
ケイと玄平は、五平の死んだ嫁が残した子供である。
姉で九つのケイは下膨れの、器量がいいとは言えないがよく気のつく働き者で、弟の玄平のほうは七つになったばかりの、痩せぎすで、ほとんど物も言わない静かな子だった。玄平はよその家の子のように、大声を出して外を駆け回ったり、いたずらをして叱られたりすることもなかった。いつも一人で土や草木を眺めている変わり者で、父親の五平まで「あいつは、おかしなところがあるから」などと言っていた。
子供はどの家にもたいがい一人しかいない。子供が二人いるということは、五平の家はそれだけ食い物に余裕があるか、あるいはケイのあと生まれた玄平を、どうにも捨てられなかったということだ。セツがある時五平から聞いたかぎりでは、死んだまえの女房が「どうしても、どうしても」とせがんだそうである。
村では子供を二人以上持つというのはよくよく覚悟のいることだった。一族や村の存続を考えれば子供はたくさん作ったほうがよいに決まっているのだが、この村の無知な人々は血統や共同体の永続などということは考えない。そんな高尚な思想を持つゆとりなどないのである。彼らが子を作り、育てていくのは、獣や虫がそうするのと同じことなのだ。生物の本能である。一族や村が生き永らえているのは、本能に従った行為の結果にすぎない。
そもそも常に食料に乏しい村である。今日を生き抜くだけで精一杯なのだ。自分のことだけで、手一杯なのである。子供が増えれば、食い物が余計に要る。子供は労働力にならない。仕事ができる年頃になっても、村の貧弱な畑では人の手が増えようが作物が期待できるわけではない。森へ狩りに出かけても、獲物自体が少ないので獲れる量もさして増えない。結局、お里からの米に頼ることになる。するとよその家からは厳しい目で見られる。お里からの米の分配は、その家の頭数に応じて決められるわけではない。だがどの家にどれだけ配ったということがつぶさに公開されるわけでもないので、子供が二人いれば、それだけ多く分け与えられているのではないか、と村の人々は勘ぐるのだ。
お里から運ばれた米の量が少ない場合でも、「子が二人いるあの家が、余分にもらっているのだ」と邪推しては「あの家は、どうしようもねえ欲張りだ」などと陰口を叩くのである。セツが嫁に行くまえは、実家でも「五平の家は子を二人も持ちやがって」と親父が時折こぼしていた。どの家でも、一人目を持ったあとに嫁がまた孕むことなど当たりまえにあったが、「二人目など、とてもとても」と言って、生まれたら家の者がその子を抱えて森へ入っていくのが習わしであった。掟と呼ぶほど厳しく定められているわけではないし、よその家から「捨てろ」などと言われるわけでもないのだが、極端に厳しい食料事情を考えれば、そうするのが自然なことだった。
どの家でも、子供を抱えて森へ行くのは男の役目である。だが、当たりまえに行なわれているといっても、もちろん気持ちのいいことではない。捨てる場所が決められているわけではないが、いつまでも子供を抱えていたくもないので、誰もが「鬼の舌」へ向かうのである。森の口からもっとも近いところにある崖だ。そこに立って下を見れば誰でも足がすくむほどの断崖である。ここに、板状の大きな岩があった。崖の縁からまっすぐまえへ伸びていて、まるで巨大な鬼がベーっと舌を突き出しているように見えることから、鬼の舌と呼ばれていた。我が子を抱えた男たちは、この鬼の舌の先に立ち、神様に生け贄でも捧げるように、子供を胸のまえに掲げ、目をつむって、その手をパッと放すのである。どの家でも捨てた子の話などしたくないし、よその家ともそんな話はしなかった。自分たちの家の中だけ、というより個人の心の中だけに秘めておくのである。
よくよく覚悟を決めて二人目を育てることになっても、その子は、村の人々からは飯泥棒のように見られる。だから二人目の子は、よその家の子供と遊んだりすることなど滅多になかった。親のほうでもなるべく家から出さないようにするからだ。そうやって村全体で、子供を余分に増やさないように増やさないようにと、睨みを利かせ合っていたのである。
だが五平の家では、玄平を家に閉じ込めておくようなことはしなかった。玄平がいつも一人なのは、玄平自身がそうするのが好きだからである。年の近い子と遊んだりすることよりも、土や草木を眺めているほうが楽しかったのだ。
といっても玄平もうんと小さい頃は、よその家の子と森で遊んだりもしていた。村の大人たちは内心面白くなく、陰でブツブツ言う者もあった。だが五平の死んだ嫁が玄平を気狂いのように可愛がっていたし、五平は生真面目な働き者だったので、じきにブツクサ言う者もなくなった。玄平はよその子供たちと森へ行っては、「腹が減った」などと言い出す彼らを先に帰して、一人いつまでも、草花や落ち葉やその裏についた虫なんぞを眺めていた。
セツが嫁に来て、しばらく経ったある日のことだった。玄平があまり熱心に畑の土をいじくっているので、
「何がそんなに面白れえのだ?」
セツは、しゃがみ込んでいる玄平に聞いてみた。だが玄平は、
「……」
返事もしないのである。
「愛想のねえ奴だ!」とセツは呆れた。だがひょっと見ると、玄平の耳の辺りが、みるみる真っ赤になっている。
「あれ、こいつ、恥ずかしいのか?」と思い、セツはおかしくなった。玄平のすぐ隣に同じようにしゃがみ込み、
「あんたは、土を見るのが好きなんだなあ」
玄平を真似て足元の土を指先でほじりながら言ってみた。玄平はしばらく黙っていたが、
「いろんな虫がおるのだぞ、それが面白れえのだ」
教えるような口ぶりである。だが、もう顔じゅう真っ赤なのだ。
セツと玄平は、十一しか年が離れていない。セツは顔つきが幼く、玄平のほうは、どちらかといえば大人びている。だから二人は、少しばかり年の離れた兄弟のように見えた。家の戸口のまえに座って草鞋を綯っていたケイは、二人を眺めながら「親子には見えねえなあ」と笑った。ケイが畑に行かず、家のまえで草鞋を綯っているのは、家の中にいるタキの面倒を見なければならないからだった。普段はセツが面倒を見るのだが、セツが野良仕事をしている間は、ケイがかわりに見るのである。面倒といっても、タキは病身ではない。時々変なことを口走りながらうろうろしたりすることがあるだけだ。だがそういう時に、家の中でつまづいて怪我をしたり、外に出ていって隣家の者に迷惑をかけたりしないように見張る必要があった。だがケイは、畑のセツと玄平の様子も気になるのだった。死んだ母親のかわりにやってきたセツと、あの変わり者の玄平が、うまいことやっていけるかどうか、見ていたかったのである。
日が経つにつれて、玄平もケイも、セツとほんとうの親子のように仲良くなった。とくに玄平は、セツが野良仕事をしているそばをしょっちゅううろちょろするのである。かまってほしいのだ。セツのほうもそんなことはよくわかっていて、少し働いては手を止め、「今日は何か面白れえ物見つけたか?」と聞いてやった。セツが外に出ている間、タキの世話をしなければならないケイにも、「あれ、この筵は特別うめえなあ」などと、ケイの編んだ筵を褒めてやったりした。そのたびにケイは嬉しそうに笑った。
そんな三人を見て、五平も「何だありゃ、年の離れた兄弟みてえだ」と言っていた。
空の雲もだいぶ薄くなり、これまでのどの年よりも暖かい夏だった。その暖かい夏が終わる頃に、セツが身ごもった。
腹の膨らみはまだ小さかったが、どうも腹が張ってきたと思っていたセツは、「孕んだらしくて」と五平に知らせた。
だが五平は、
「……しようがねえなあ」
ぼそりと、表情もなく呟いただけだった。
「しょうがねえ」と言っているのだから、「できちまったんだから、しょうがねえ」という意味であり、「じゃあ、育てるしかねえだろう」ということだ。セツははじめそう考えた。だが家にはすでに子供が二人もいる。それも、まだ十歳にもならないのだ。嫁にも婿にも出すわけにいかない。そればかりでなく、これから食い盛りになっていく年頃である。だからもう一人育てるなど、到底無理なことだった。
玄平は痩せぎすで、食う量もセツが心配してしまうほど少ないのであるが、それは、玄平に食い物をあまり与えてこなかったということである。死んだ嫁が言い張って育てることになったのだが、いくら五平が働き者であっても、食い物がよその家の倍もあるわけではなかった。子供を二人食わせていくのだから、当然一人あたりの飯の量をよほど減らさなければならない。だが家の者皆が等しく減らされるのではなく、玄平ばかり極端に減らされていたのだ。これは、五平の意見に違いなかった。
きっと五平は、玄平が生まれた時、よその家と同じように玄平を抱いて森の口へ向かうつもりだったのである。だが死んだ嫁にせがまれたためにできなかったのだろう。嫁の言い分を聞いてやったのだから、かわりに玄平の飯を減らすのは、五平からすれば当たりまえのことなのだ。
そんなふうに考えてみると、セツには、「しょうがねえな」という五平の言葉は「しょうがねえ、その子は捨てるぞ」という意味だと思えてきた。
だがセツはそれを五平に確かめることなどできなかった。孕んでしまったものは捨てるにしても育てるにしても、まずは産むしかないのである。来年の春まで腹の中で大きくなっていく我が子を、「生まれたら捨てるのだからな」などと今から宣言されるのは、母親なら誰でも気が滅入ってしまうことだ。それに、捨てる時はひっそりと、秘めごとのように行なう。だからたとえ身内同士でも、「捨てる」などとはっきり口に出すことはほとんどないのである。
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