第13話「先祖」

 徳婆はその明け方に死んだ。家の者も気づかないほど静かに、眠ったまま息を引き取ったという。豪太が、朝一番に知らせにやってきた。セツたちはあれからすぐ家に戻ったが、徳婆は、一度も目を覚まさなかったそうだ。

「死ぬまえに、最期に、あんなにしっかり口が利けて」

 豪太はセツのバアちゃんのおかげだと言ってありがたがっていた。

 


 あくる日、徳婆のお弔いが終わって、お礼の品を持った豪太がまた訪ねてきた。お礼の品といってもわずかばかりの茶の葉っぱである。やはりほとんど味もしないのであるが、村の食料事情を考えればしかたのないことだった。豪太はどの家にもお礼に回るのだがセツの家には真っ先にやってきたらしかった。

「ノブバアさんに、これを」

 わざわざそう言っているのはやはりバアちゃんに特別ありがたさを感じているらしい。お礼の品を渡した後もなかなか帰ろうとせず、じっくり話でもしたい様子だった。セツは、お弔いを終えてほっとしたのだろうと、豪太の気持ちもわかるような気がした。親父に勧められて、豪太はそれじゃあと家に上がってきた。

 母親が、もらったばかりの茶をさっそく淹れてやった。豪太がそれをすすっているすぐ横で親父が、

「これからこの村は、おめえがまとめていかねえと」

 励ますように豪太の肩をぽーんと叩いた。

「死んだ婆ちゃんほど、物も知らねえけど」

 豪太は恥ずかしそうに笑うと、

「ノブバアさんにいろいろ、教えてもらわねえと」

 向かいに座っているバアちゃんを見ながらそんなことを言った。

 セツは、はっとした。聞きそびれたあのことを思い出したのである。今聞くか、今聞くか、とセツは言い出す機会を窺っていたが、

「しかしお里は一体、どうなってるのだ? お山が火を噴いたというが、そうすると、どうなるのだ?」

 などと親父がお里のことばかりほじくるように豪太に訊ねるし、お里がどうなっているのかはセツだって知りたかったから、黙って聞いていた。

「お里は、もう、だめじゃねえかな。こっちよりひでえくらいじゃねえか?」

 豪太はそんなことばかり言う。聞いていてセツは気が滅入った。親父も母親も同じらしい。二人とも黙りこくっている。

 セツはふと気づいた。そして思い立ったように口を開いた。

「お里の連中は、なんで今まで、村へ米を持ってきてくれてたのだ? それにおらたちは、なんでお里へ行っちゃいけねえのだ?」

 まくし立てるように豪太に聞いた。親父の、呆気にとられたようにセツを眺めるその顔は、そんなことを聞くなど思いもよらなかったようだ。村ではそんなことに誰も関心を持たなかったし、セツだって今まで考えたこともなかった。だがお里ももうだめだと豪太に言われ、男たちが米を持ってくることもないのかと思うと、初めてこんな疑問が頭をよぎったのだった。

 親父は、

「馬鹿、なーにを言ってるのだ」

 呆れて物も言えないといった顔でセツに目を向けていた。が、胸をつかれたように黙りこくってしまった豪太を見ると、「何かあるぞ!」と思ったらしく、睨むような目つきになって豪太を見つめた。村一番の物知りだった徳婆の伜の豪太なら、きっと知っているに違いないのだ。知ってはいるが言ってよいものか考えているから黙りこくっているのに違いないのである。

 セツは、「何なのだ、一体」といよいよ気になってきた。よほど豪太を急かしてやろうかと思った。

 が、その時、

「それは……」

 豪太がぽつりぽつりと、向かいに座るバアちゃんの顔色を窺うような目をしながら話し始めた。

 昔、お里はたいへんに豊かだったそうである。しかしある年、ちょうど今のように、一年じゅう寒い日が続いた。食い物が足りなくなり、お里は死にかけの年寄りのようにぼろぼろになった。お里よりもさらに大きくて豊かな都とも交わりがあったために、それまで食うのに困ることもなかったお里では、どの家も子供が何人もいた。だが寒さのせいであっという間に食い物がなくなり、口減らしが必要になった。やがて年寄りと惣領以外の子供たちは全部殺してしまおうということに決まった。彼らは男たちに荒縄でぐるぐるに縛られて担ぎ上げられ、遥か向こうにそびえるお山の森へ連れて行かれ、深い深い森の中に放り棄てられたのである。そこで飢えるのを待つしかなかった。だが「やっぱり、これではあんまりだ」と男たちが何人か引き返してきて、皆の荒縄をほどいてくれた。縄を解かれた者たちは、しかたなくお山を上へ上へと進んだ。そしてこの村を造ったのである。縄をほどいてくれた男たちは、お里へ戻った。口減らしのおかげで、お里は厳しい冬をなんとか切り抜けることができた。それから少しずつ暖かくなり、お里もようやく持ち直した。ある時、何人かの男たちが食料を担いでお里から村へ様子を見にやってきた。村では年寄りなどはあらかた死んでしまっていたが、子供たちのうち、体力のある者はどうにか生き延びていたのだ。その後、冬を迎える少しまえになると、お里から、村へ食い物を届けに男たちがやってくるようになった。米を持ってくるかわりに、村の者がお里へ下りていくことは堅く禁じられた。お里の者たちにすれば、どの家も、身内を見殺しにしたも同然であり、今さら帰ってこられても困るのである。帰ってこられでもしたら、いつか仕返しを食らう気がしたのだ。もう顔も見たくないし、早く忘れてしまいたいのである。だから、もし禁を破ってお里に帰ってくるようなことがあれば、村へ食い物を持ってくることも止めてしまうぞ、という決まりになった。年月が経ち、世代が替わっていった。そのうちに、村の成り立ちなどはすっかり語られなくなり、「お里に下りてはならない」という約束ごとだけが伝えられるようになった。

 豪太も、この話を知ったのは徳婆が寝込んでからだそうである。ある晩徳婆から、遺言のように聞かされたのだという。

 豪太の話を聞き終えて親父は、

「なんだ、じゃあ、わしらのご先祖様が、お里を救ってやったとおんなじじゃねえか!」

 いきなり怒鳴り声をあげた。

「だったら、お里へ行ってやろうじゃあねえか! 向こうから来ねえなら、禁も何もねえだろう、お里へ下りて行ってやろうじゃねえか!」

 鼻息を荒げて言うのは、すっかりそう決めてしまったらしい。豪太は慌てて、

「行ったところで、お里はもうだめだ。えらいことになってるだから」

 お里へ行く意味などないと親父を制した。だが親父は豪太の話などまったく聞かずに、

「行ってやるぞ、お里に、ご先祖様の土地に帰るのだぞ、何が悪いのだ」

 興奮しきっている。セツは「これはだめだ」と思った。親父のような性根の者は一度こうなってしまえば、誰が何を言っても収まらない。もう自分の決めたようにやってしまうしかないのである。

 豪太は親父の勢いにすっかり圧されてまごついている。見かねたセツは、

「お里もだめになってるなら、わざわざ行ったところで、しょうがねえじゃねえか」

 馬鹿にするような口ぶりで親父に言ってやった。

「だめになってるったって、お里は都にも近えのだから、ここよりだめなわけがねえぞ」

 と、親父はやはりお里に行けば食い物があると思っているらしい。

「だったら、食い物があんのなら、お里からはきっと来るはずじゃねえか。そんなら、待ってりゃじきに来るってことになるじゃねえか」

 セツは今度はそう言って揚げ足をとった。セツに加勢するように豪太も、

「そういうことだぞ、お里に食い物があんのなら、お里からはきっと来るってことだ」

 さっきまでとはあべこべのような言い分だが、この場合は、親父が大人しくなればそれでいいのである。だが豪太も、お里に食い物があると口に出して言えば、ほんとうにそんな気がしてくるのだった。きっと来るぞと言えば、ほんとうにお里からやってくるような気がしてくるのだった。

「だったら、いつ来るっちゅうのだ。お里からは、いつ来るっちゅうのだ」

 口を尖らせてはいるが、親父の口ぶりはずいぶんと落ち着いてきた。「これなら行ってしまったりしないだろう」、そう思うとセツはほっとした。親父をうまいこと言いくるめてやったので、気分もよかった。豪太も胸を撫で下ろしたようで、穏やかな調子で、

「食い物があんのなら、雪の降るまえに来るんじゃねえかな。雪が降っちまったら、ここまで上がってこられねえだろうから」

 と言うと、

「まあ、そう言うことだな」

 わかったわかったというふうに、親父も投げやりにそうとだけ言った。もうこの話は終わりにしたいらしい。豪太も同じだったようで、

「じゃあ、これで」

 そそくさと帰っていった。

 親父は母親がさっそく淹れた豪太の茶をすすりながら、

「しかし、お里はほんとにどうなってるだかなあ」 

 間の抜けた顔をして首を傾げながら呟いた。

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