第9話「神の寵愛」
すっかり秋らしくなったある朝、村の子供たちが、森へ遊びにいった。
セツは彼らが森の口へ下りていくのを、家のまえから眺めていた。
便所に行こうと表に出ると、子供たちの声が村の下のほうから聞こえてきたのである。
ここからでは、もう聞こえそうになかったが、
「森へ行くときゃ 手の平見せろ 帰りは逆だ 手の裏見せろ」
大きな声でそう唄い、彼らを送り出してやった。だが聞こえていないのだろう、子供たちは誰も、セツのほうを振り返らなかった。
村では森で猟をするのは大人の男の仕事である。子供は遊ぶために行く。だがごくまれにそうした子供が、鹿や野うさぎの死骸を見つけることがあった。鹿は子供には重すぎるから、戻って大人を呼ぶしかないが、野うさぎなら子供だけで持ち帰れる。大人の男は森に、弓矢を携え入っていく。子供は遊ぶだけだから手ぶらだ。子供が手ぶらで森に行き、獣の死骸を見つけてくれば、大人は楽して食い物が得られたも同然で、大喜びする。
行きは何も持たないから、見送る者から子供たちの手の平が見える。だが帰りは獣の死骸を抱えていれば、手の平は見えない。見えるのは、手の裏、つまり、甲だけだ。歌には「森へ行くのなら、獣の死骸を見つけてこい」という大人の期待が込められているのである。
だがその日帰ってきた子供たちの手は、裏も、平も、よく見えた。大人たちはがっかりした。そのうえ子供たちの一人、腕白坊主の平太が見当たらず、村は大騒ぎになった。子供たちは森の口から村に戻ってきたのだが、今は村の一番下の家になった松っちゃんのところの、ちょうど野良仕事をしていた嫁に声をかけられるまで、平太がいないことに誰一人気づかなかった。
「さっきまでいたよ、ほんとだよ」
そう泣きわめく彼らを見て顔を見合わせた大人たちは、
「こりゃあ、神隠しに違えねえぞ」
と口々に呟いた。もう平太のことは諦めているのだ。セツは、「あの腕白の平太だから、とびっきり元気がいい奴だったから、連れていかれた」と思い、足が震えた。だがすぐに、「待て待て、あの人だって、死んだものと諦めてたのに帰ってきたぞ」と、いつか崖から落っこちて、それでもひょっこり帰ってきた仁太を思い出し、考え直した。
「きっと、何でもない顔で戻ってくるさ」
そう言おうとした。だが、やめておいた。平太は神隠しにあった。もう、そう決まったのである。誰もがそうだと信じているのだ。なんだかセツまで、平太はもう帰ってこないと思えてきた。
神隠しは数年ごとに起きる。連れていかれるのはいつも子供だ。森で消えてしまう大人もいたが、それは神隠しとは呼ばれなかった。
お山さんの頂上に住む神様は「子供を愛でる」と言われていた。活発な子供を好むという。セツは、これまでに、二度神隠しを見た。
最初は五つの時だった。セツは森の口の少し奥で、同じ年頃の数人と遊んでいた。村に戻ると一人消えていた。村中の大人が手分けして探し回った。セツは仲間とわぁわぁ泣くだけだった。いついなくなったのかもわからないその子は、何日待っても帰らなかった。ちょうど、平太のような、腕白な男の子だった。
二度目に見たのは十一歳の、今ぐらいの時期だった。セツはその日具合が悪く、遊びに出かけはしなかった。今でも覚えているその消えた子供は名前を半治といった。ガキ大将で、いつも、悪さばかりしていた。半治は「無事に冬を越せるように」と母親がこっそり蓄えておいた、半治の親父にも黙っておいた食料を、どういうわけかパッと見つけては、残らず食ってしまうほどの悪童だった。
常に食料が不足しているとはいえ、それを小さい子供に言って聞かせるのは簡単ではない。大人たちはそれをよく承知していた。それでも、小さいうちから繰り返し言って聞かせ、わからぬ子には、尻を叩いたりつねったりして教え込んだ。食い物でぐずって親を困らせたりしないように、どの家も力を入れて仕込むのである。ところが半治は親の言うことを聞かないどころか、わざわざ蓄えておいた食い物を、家の者が冬を越すための食い物を、どこに隠しても簡単に見つけては皆食ってしまうのだった。
半治の母親が、
「こんな子は産まなきゃよかった。こんな子は」
と軒先で泣いているのを、セツは何度も目にしたものだ。
それでも一人息子の半治を、母親は可愛いがっていた。野良仕事をする母親の真似をして、足をふらつかせながら重い鍬を振り上げようとする半治を、嬉しそうに眺める母親をセツは同じくらい見た。
その半治が森で消えて、母親は気狂いのように取り乱した。だが、誰かが、
「神隠しにあったのだ、そうに違えねえぞ」
そう呟くと、母親は観念したように押し黙った。そしていつまでも、森を眺めていた。半治は戻ってこなかった。
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