第7話「地獄の餓鬼」
仁太が帰ってこないことを、セツはあくる朝、隣の松っちゃんに相談した。
「森に入ったのか? どこかに落っこちたのかもしれんぞ」
松っちゃんは腕を組み、首を傾げている。その様子は、そうに違いないと決めてしまったようにも見えた。
「馬鹿な奴だあ、自分の親父とおんなじヘマをしちまったってのか」
家の前から森の口を見下ろしてため息をつく。セツは「怪我でもしてるのかもしれん、きっとまだ、森ん中に……」 と言ったが、実際のところ、ほとんど諦めていた。だがそうでも言わないと、気が変になりそうだった。
「なあに、すぐに見つけてやるさ」
松っちゃんはセツに同情したのか、それからすぐに村の男たちを連れて仁太を探しに出てくれた。
だが結局見つからなかった。
「どうもだめだな、こりゃあ」
松っちゃんはすっかり諦めた顔で戻ってきた。セツもそれ以上、どうしようもなかった。
ところがその晩、村中の者が寝静まった頃、仁太はひょっこり帰ってきた。落としたのか、弓も矢も持っておらず、顔は擦り傷だらけだった。左足にも傷を負っていて、ふくらはぎの肉が、鍬でざっくり掬ったように無くなっていた。仁太は灰色っぽい骨が剥き出しになった左足をひきずりながら、木の枝を杖にして何とか帰ってきたのである。
寝ていたところに、仁太が戸を開けていきなり入ってきたのでセツは仰天した。
「おらを迎えに来たか!」
仁太が死んで成仏できずに、自分をあの世へ迎えに来たのだと本気で思い、顔を青くして飛び起きた。
仁太が慌てて、
「おい、急に起き上がるんじゃねえよ。腹の子に悪いから」
となだめた。その様子は、とても死んだ者には見えない。唇まで真っ青のセツは、
「あれ、お前さん、生きてんのか?」
おそるおそる訊ねる。
「馬鹿、当たりめえだ。ほれちゃんと、足だって生えてるだろうが」
仁太は自分の足を指して苦笑する。気が動転しているセツは、ふくらはぎの怪我にも気づかないまま、
「崖から落っこちて、死んじまったのかと」
涙の滲む目を衣服の袖口でこすりながら言った。
「ああ、落っこちはしたが、途中で止まったのだ。運がよかった。ありゃあお山さんのおかげだぞ」
仁太はお山さんのそびえる方角の壁を向く。
「きっとお前さんの、死んだお父っつぁんも守ってくれたんだ。きっとそうだよ」
セツも同じ方角を見た。それから両方の手のひらを、ぴったりと合わせていつまでも拝んだ。
その冬はどの家も、前の年より食い物に苦しんだ。それでも死人の出た家はうんと少なかった。セツの家と、丸平の家だけだ。
丸平の家では、家主の丸平が死んだ。
両足を潰された丸平は猟に行くこともできず、村の禁を破った罰当たりでもあったので、家の者からも疎んじられた。やがて物置に押し込められ、そのまま放っておかれ、家の者も気づかないうちに死んでいた。そうとわかったのは、死んで何日か経ったあとだ。凍えるような寒さのためにか、死骸には、蛆一匹湧いていなかった。
セツの家で死んだのは仁太だ。
足の傷のせいで、仁太はあれからすぐ調子を崩した。傷口のまわりの肉が腐り始め、ひどい熱が出て、一日中呻いてばかりになった。その呻き声も、段々聞こえなくなり、寒さが特別に厳しい、殴りつけるような強い風の吹く朝に、あっさり死んでしまった。日ごと痩せこけていく仁太を見て、
「傷があんなに腐って、熱まで出ちまったら、持ち直すのはとても無理だ」
セツは両親にそう漏らした。もう諦めていた。
お里から届けられた米が少なく、村には食い物はほとんどなかった。だが誰もが、葉っぱでも草でも木の根っこでも、食えるものは何でも食った。痩せ細り、何とか呼吸をするだけの地獄の餓鬼のようになりながら、どうにか生き延びた。ひどい状況だったが、それでも死人を出さずに冬を越せた家では、「無事に冬を越せた」と言った。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます