第4話「越冬」

 その年の冬、仁太は松っちゃんから古い弓矢を譲ってもらい、来る日も来る日も猟に出かけた。だが仁太も、他の誰も、獲物を仕留めることはほとんどできなかった。雪がそこらじゅうに積もり、獲物の姿を見かけることすらなくなっていたからだ。とはいえ、冬の猟がうまくいかないのはいつものことだった。

 それよりもお里から運ばれた米が少ないことのほうが、頭の痛い問題だった。それでも仁太の家では、清吉が突然死んだために、お里からの米が少し余った。仁太はそれをちびちびと切り崩しながら、何とか冬を越すことができた。

 よその家では状況はもっと厳しかった。死人が、何人も出た。寝たきりになっていた年寄りが三人死んだ。秋に生まれたばかりだった乳飲み子も冷たくなった。前の年の冬より、死人の数は多かった。

 だがどの家も、自分達のところに死人が出なければ、それでいいのである。そうでありさえすれば、「無事に冬を越せた」 ということになるのだ。

 仁太は、「父っつあんが食い物を残してくれたから、無事に冬を越せそうだ」

と、ありがたい気持ちになるばかりだった。

 


 厳しい冬が去った。雪はまだ村のあちこちに残っていたが、森では、獲物を見かけることも増えてきた。仁太は毎日猟に出かけては、森で獲物を追いかけた。

 そしてその日、とうとうえらい大物を仕留めたのである。

「やったなあ、こりゃ、たいしたもんだ!」

 あの松っちゃんでさえ羨むほどの大鹿だ。これほど大きいものは村では長い間見られなかった。死んだ清吉が、ずっと昔に一頭仕留めただけだった。誰かが、

「ありゃあ、仁太の奴には清吉っつぁんが憑いているに違えねえ」と言い始め、村人たちの仁太を見る目も、少しずつ変わっていった。

 それから仁太は実によく獲物を仕留めた。松っちゃんも「かなわねえ、かなわねえ」と舌を巻くほどだった。仁太は、誰もが認める猟の名手になったのである。



 吹く風もすっかり暖かく、そろそろ夏になるという頃に、仁太のところに嫁がやってきた。十六になったばかりの娘で、名をセツという。十六で嫁にいくのは、遅くはないが、早くもなかった。セツは村のいちばん上にある「米屋」の娘だった。

 米屋はずっと昔、仁太の親父の清吉が生まれる、そのもっと前から米屋と呼ばれていた。この家のご先祖様にえらくけちくさい人がいて、お里から届いた米を貴重なものだからと食い惜しみ、しこたま貯め込んだ。冬になって、いよいよ食う物がなくなってきても、この人は蓄えている米に手をつけようとせず、家族にもそれを許さなかった。今食わないで一体いつ食うのだ、と家族は泣き叫んだが、けちなそのご先祖様は、貯めるという行為そのものに、気狂いのようにのめり込んでしまっていた。

 だが結局、空腹で半狂乱になった家人に飛びかかられ、そのご先祖様は米を奪われた。かわいそうだからと、ほんのわずかだけ残した米を家族が食わせてやろうとしたが、ご先祖様はそれでも食べずにまた貯めようとした。この時には完全に頭がおかしくなっていたのだ。

 もともと空腹続きで弱っていたところに、家族から受けた暴行でさらに弱って、ご先祖様はほどなくして死んだ。最期まで米を食おうとしなかったご先祖様は、とんでもなく阿呆でけちだったが、わけのわからない凄みもあった。そのために村の者たちは、軽蔑と、畏怖の念を込めて、この家を米屋と呼ぶようになった。狂人のご先祖様だけでなく、家全体をそう呼んだのは、家族の者たちにも、同じ狂人の血が流れているのだと皆が考えたからだ。

 だが村ではどの家も同じだった。冬は毎年、気が狂わんばかりの空腹に苦しめられる。実際に少し頭がおかしくなって、生まれて間もない自分の赤ん坊の太腿に噛みついた若い母親が出た年もあった。そういう者が一人出ると、次々に同じような奴が現れる。その年は三人の母親が、我が子の太腿に噛みついた。うち一人は、家の者に取り押さえられながら、子供の足を最後まで放そうとせず、とうとう柔らかい肉を噛みちぎり、血を滴らせながらそれを吞み込んだ。

 誰もが、気狂いになるぎりぎりのところにいる。そういうことを段々と思い出した村の者たちは、やがて米屋を蔑むのをやめた。皆から次に「米屋」と呼ばれるのは、自分の家かもしれないのだ。

 ただ、蔑むのをやめても、畏怖の念は残った。「米屋」という呼称は一度は使われなくなったが、忘れられた頃になると誰かが使い始め、いつの間にか、また定着してしまった。ただし今となっては、その呼称に意味はなく、屋号のようになっているだけだった。

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