プリン刑事の事件簿

 アパートの隣室で人が餓死していてもまるで気づかない。一人暮らしの老人が孤独死していても、近所の住人は知るよしもない。嫌な世の中だ。

「けっ」

 俺は焼きプリンを食い終わると容器をゴミ箱に放った。

「今日も、ですか?」

 後ろから声をかけられ、顔を向ける。そこには、やる気満々の空回り男が爽やかな笑顔を見せ、立っている。俺はそいつを一瞥するとまた背を向け、

「悪いか?」

と毒づく。どういう訳か、俺はこの男に好かれているようだ。

「課長が怒ってましたよ」

「俺には俺のやり方がある。他のヤマをおろそかにしてる訳じゃねえよ」

 俺は吐き捨てるように言うと、廊下を歩き出す。

「待ってください、僕も行きます」

 そう言って、空回り男がついて来る。


 俺は近藤こんどう昌文まさふみ。H警察署の刑事課一係の刑事だ。定年が近いが、出世と無縁の俺は未だに平の刑事。

 そして、俺にまとわりついて来る空回り男の名は、桜木さくらぎ賢一郎けんいちろう。まだ二十代前半。交番勤務から念願の刑事課に異動になった。やる気だけはあるが、センスがないために他の刑事課の連中の足手まといになっている。そのため、課の中では浮いた存在。俺と同じだ。だから、こいつは俺に張りついて来るのだろう。


 今、署は大きな事件を抱えている。臓器を抜き取られているという連続猟奇殺人事件だ。被害者の年代は、二十代から五十代と多岐に渡るが、全員男性。犯人は何が目的なのか? 今のところ、捜査本部は結論を出せていない。出しようがない。臓器を抜き取る犯人の意図など、理解の範疇ではないからだ。少なくとも、俺の刑事人生で、一度も遭遇した事がない。

 それだけの大事件であるから、当然の事ながら、警視庁捜査第一課と機動捜査隊も動いた。捜査本部はウチの署にあるが、実質は本庁が前面に出て本部を動かしている。所轄の俺達は、本庁のお偉いさんの指示に従って動くだけだ。俺はそれが気に入らなくて、課長や本庁の刑事と口論した。現場を見ないで、会議室で講釈を垂れている奴に何が分かる。そう思ったからだ。

 その甲斐もあって、俺は捜査本部から外された。


 そんな折、俺は以前逮捕した男の女房に、

「夫がもう一週間以上帰って来ない」

と連絡をもらった。普通なら、

「知らねえよ」

と突っぱねるのだが、その時の俺にはその話が引っかかった。「刑事デカの勘」て奴だ。

「詳しく聞かせてくれ」

 俺は近くの喫茶店でその女房と会い、話を聞いた。

 その男は婦女暴行で実刑を食らい、去年の初めに出所した。名前は吉沢恭介。最初は真面目に仕事をしていたらしいが、前科がある事を職場の同僚に暴露され、喧嘩になった。その喧嘩は事件にはならなかったが、社長に僅かな金を退職金代わりに渡され、その会社を辞めさせられた。

 それからまもなく、吉沢は夜になると女房と二人で暮らしているアパートを空ける事が多くなった。女房がどこに行くのか尋ねたが、

「仕事を探してるんだよ」

と言うきりで、それ以上話してくれなかった。そして、十日ほど前、出かけたきり帰らなくなったのだという。俺の中の刑事としての本能が囁く。

(何かある)

 吉沢が何かを仕出かしたのか、奴自身が被害者なのかはわからないが、何かが起こったと直感した。

「俺に任せてくれ。何かわかったら連絡する」

 俺は奴の女房にそう言って、喫茶店を出た。


 それから、署で命じられた捜査をこなしながら、俺は吉沢の足取りを探った。

 もしかするとあの猟奇殺人と結びつくのではないか? そう思ったのだ。


「お」

 通りの先にコンビニを見つける。この界隈は吉沢の生活圏だ。コンビニに立ち寄った可能性がある。しかも看板には「24」の文字。ますます確率が上がる。すると、何を勘違いしたのか、桜木が、

「ここの焼きプリン、しっとりしててトロットロで、美味しいんですよね。買うんですか、近藤さん?」

「違うよ」

 俺は桜木をキッと睨みつけてから、店のドアを押し開けた。

「いらっしゃいませ」

 大きな声で迎えられた。レジに一人若い女の子、冷蔵庫の前にその子と同年代の男。俺はまず、冷蔵庫の前の男の店員に近づいた。

「H署の刑事課の近藤と言います」

 俺が身分証を掲示すると、店員はギョッとした。一般的にはそんな反応が普通だ。

「同じく、桜木です」

 空回り男がたどたどしく身分証を出す。店員は訝しそうな顔で、

「どんなご用件でしょうか?」

と店内の客を気にしているのか、声を低くして尋ねる。周囲を見ると小柄な女子高生がいた。その子は何かを探しているのか、我々には全く関心がないように見える。

「奥で話しましょうか」

 俺は事務所へのドアを指し示した。

「はあ」

 男は俺達を先導するように歩き出し、事務所へと入る。

「そんなに緊張しなくていいよ。別に君を取り調べに来た訳じゃないから……」

 俺は店員の胸のネームプレートを見て、

「とうじょう君」

と言った。プレートに書かれた名字はひらがななので、どんな字なのかはわからない。

「はい」

 幾分安心したのか、とうじょう君はホッとした表情になる。俺は吉沢の顔写真を取り出し、

「この男に見覚えはないかな?」

と単刀直入に尋ねた。とうじょう君は吉沢の写真を食い入るように見つめ、

「僕らも来店されたお客様のお顔を全て覚えている訳ではないので」

「それはそうだね」

 俺は店の方をチラッと見てから、

「レジの女の子にも訊きたいんだけど、いいかな?」

「はい」

 とうじょう君はレジの女の子を呼びに行き、彼女と交代した。

「何でしょうか?」

 おお。この子、肝が座ってるな。俺達が警察だと知っても、全然動じていない。かと言って、反抗的な目でもない。なるほど、格闘技を心得ているんだな。立ち居振る舞いにそれが見受けられる。

「いかるがさんですか」

 俺は彼女のネームプレートを見て言った。

「はい」

 いかるがさんは堂々とした目で俺を見ている。俺はつい苦笑いして、

「この男に見覚えはありませんか?」

と吉沢の写真を見せた。

「あります」

 見せると同時くらいに答えは返って来た。

「深夜のシフトの時、見かけました」

 いかるがさんは自信に満ちた顔で言う。俺はそれを不審に思い、

「何故そんなにはっきり覚えているのですか?」

「同僚の子が、後をつけられたからです」

 いかるがさんの口調は俺達を非難しているように聞こえた。吉沢め、臭い飯食ってもまだそんな事を……。

「それで?」

 俺は先を促した。

「次の日に私が一緒に帰ってお話をし、お引取り願いました」

「なるほど」

 どうやら、実力行使に出たようだ。過剰防衛の可能性もあるが、それは何も言うまい。

「では、それからはこいつはここには来なくなったのですか?」

 俺は無駄と思いながらも、更に尋ねた。

「いえ。その人は、今度はお客様に声をかけていたようです。一度注意したので、店の中には来なくなったのですが」

 いかるがさんはそこで何故か言いにくそうに口篭った。

「何かあったのですか?」

「お店の外で女の人にその……えーと……」

 顔を赤らめて答える。今時珍しい純情な子だ。吉沢の事だ、相当えげつない事をしていたのだろう。

「相手の女性は誰かわかりますか?」

 俺は手帳を手に取り、尋ねる。いかるがさんは首を傾げて、

「よくいらっしゃる方なのですが、お名前とかはわかりません」

「そうですか。身長とか、体型とか、顔の特徴とか覚えていますか?」

 するといかるがさんは急にムッとした顔になり、

「その人の事なら、東城の方が詳しいと思います」

と言い、とうじょう君を呼びに行く。俺は思わず桜木と顔を見合わせる。そうか、彼女はとうじょう君が好きなんだな。しかし、とうじょう君はその女性が気になっている。嫉妬って奴か。

「あの?」

 とうじょう君は事情をきちんと告げられていないのか、キョトンとした顔で現れた。

「この男が絡んでいた女性の事を訊きたいんだ。教えてくれないか?」

 俺はもう一度吉沢の写真を示した。とうじょう君は何故か溜息を吐き、

「その女の人の事ですか」

 俺はとうじょう君の溜息の理由を何となく察してクスッとした。

「大きくて黒目が多い瞳で、鼻が高くて、有名女優のような厚い唇をしてます」

 とうじょう君の簡潔な説明に、彼がそれなりにその女を気にかけているのがわかる。

「アイスクリームをたくさん買って行くので、僕達は『アイスクリーム女王』って呼んでます」

「アイスクリーム女王、ね」

 俺は署では「プリン刑事デカ」と陰口を叩かれている。毎日プリンを食ってるからだ。

「その女王にこの男が絡んでいたのって、いつ頃かわかるかな?」

 俺の質問にとうじょう君は机の上の出勤簿を探り、

「十日前ですね」

 十日前。吉沢がいなくなった頃だ。

「名前は知らないよね?」

「知りませんよ」

 とうじょう君はいかるがさんが聞き耳を立てているのに気づき、大きく首を振った。

「ありがとう。何か思い出した事があったら連絡を下さい」

 俺は名刺を渡し、事務所を出る。騒がした詫びも兼ねて焼きプリンを十個買う。桜木には勿論誰にも譲るつもりはない。すると、とうじょう君が店の外まで追いかけて来て、昨日、女王がここで会った男と帰った事を教えてくれた。彼はいかるがさんの目を気にしているようだ。


 俺は桜木と別れて、更に聞き込みを続ける事にした。


 その女王が吉沢の事を何か知っている。刑事デカの勘がそう俺に告げる。

「あ……」

 俺は我が目を疑った。舗道の向こうからとうじょう君から聞いたのと同じ容貌の女が歩いて来るのが見えたのだ。女は角を曲がった。俺はハッとして女を追いかけた。

「え?」

 同じ角を曲がると、そこには誰もいなかった。

「どういう事だ?」

 狐に摘まれたような思いがする。

「貴方も冷やしてあげる」

 女の声が後ろから聞こえる。

「どこだ?」

 俺はギクッとして周囲を見回す。しかし女の姿はない。

「ぐう……」

 次の瞬間、後頭部に鈍い一撃。俺は地面に顔から倒れる。


 遠のく意識の中、俺は焼きプリンが地面に散乱しているのを見た。

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