フォーチュンクッキー
全くの言いがかりで、明らかに年下の高校生と思しき三人の不良達に囲まれた僕は裏路地に連れ込まれた。
「弱い者虐めは、感心しないな」
その僕のピンチに現れたのは、小柄な美少女だった。
藍色のスリムなジーパンを履き、白のTシャツの上に格子縞のシャツを羽織っているので、一見少年にも見えるが、出るところは出ている。
天使の輪が輝く奇麗な黒髪は、勿体ないくらいにショートカットだ。でも、そのキリリとした涼やかな顔立ちには似合っているかも知れない。
「何だと?」
不良達はどいつも目つきが悪く、身長も美少女よりはるかに大きい。
(殺されちゃうよ!)
そう思ったが、唇が恐怖で震え、何も言葉が出ない。
「聞こえなかったのか? 弱い者虐めをするのは感心しない。そして、そんな事をするのは人間のクズだ」
美少女の基準では僕は「弱い者」確定のようだ。その通りだけど。
(絶対やばい!)
不良達は意識が美少女に完全に向いている。
今なら走って誰かを呼びに行ける。
しかし、情けない事に僕の身体は全く動こうとしない。
「俺達はこいつに道を訊いているだけだぜ?」
不良の一人がニヤリとして言う。すると美少女は、
「お前達は人に道を尋ねる時に、胸倉を掴んで壁に押しつけるのか?」
と返した。チッと舌打ちをする不良達。
「関係ねえだろ!?」
もう一人が凄む。
「お前達の事情なんかどうでもいい。道を尋ねるのなら、この先に交番がある。そこで訊け」
美少女はそう言い捨てると、不良共を無視して僕に近づいて来る。
「よく見ると可愛いじゃんよ」
最後の一人が嫌らしい笑みを浮かべて美少女に抱きつこうと近づいた。
「え?」
しかし、美少女はそいつをスッとかわしてしまう。
「この
不良共の顔つきが変わる。わああ、もう本当に大変だ!
背後に回った奴が美少女に飛びかかる。
ところが、美少女は後ろに目があるかのように簡単にその襲撃をかわす。
そいつはバランスを崩して倒れかかり、美少女を睨んだ。
「この!」
美少女の進行方向に立ち塞がった二人が、一斉に彼女に突進する。
今度こそダメだ! 僕は思わず目を伏せた。
ごめんなさい。どこの誰かは知らないけれど、僕なんかのために……。
「ぐげえ……」
ところが、聞こえて来たのは彼女の悲鳴ではなく、不良の呻き声だった。
恐る恐る目を上げると、地面に倒れている不良二人が見えた。
何が起こったんだ?
「危ない!」
ようやく声が出た。美少女の背後にいた最後の一人が、もう一度彼女に襲いかかったのだ。
「はあ!」
美少女は振り向きざまに不良の
「うぐお……」
その不良も苦しみながら地面に崩れた。
美少女は息一つ乱していない。彼女は僕を見た。
「怪我はありませんか?」
闘将のようなオーラを漂わせていた彼女が、僕に近づくと女神のように優しい雰囲気になった。
「は、はい」
「良かった」
目の前にある彼女の美しい顔をまともに見る事ができない。
「私はバイトがあるので、これで」
美少女はニコッとしてそのまま行ってしまう。
「せめて、お名前を……」
時代劇のラストシーンのような台詞を吐いたが、すでに彼女はいなくなっていた。
僕は不良達が何かを言っているのを無視して、連中に踏みつけられた肩掛け鞄を拾うと、彼女を追いかけた。
しかし、彼女の姿はどこにもなかった。
惚れてしまった。どこの誰なのかもわからないのに。
ぼんやりとして舗道を歩いていた僕は、ハッと我に返った。
「面接に遅れる!」
携帯の時計を確認し、走り出す。
今は所謂フリーター状態。
何回かわからないほど面接をこなしている。
今日こそ採用してもらわないと。
祈るような気持ちで、面接先の会社へと急いだ。
ダメだった。
ギリギリに着いたのもマイナス要因だったが、職場を転々としているのがもっと悪かったようだ。
どうしよう? このままじゃ、本当に行き詰まる。
ふと目を上げると、コンビニの前にいた。
「フォーチュンクッキー新発売」
そう書かれた紙がガラス窓に貼られている。
(確か、おみくじが中に入っているクッキーだっけ?)
その貼り紙に心惹かれた僕は、店に入った。
「いらっしゃいませ」
元気のいい女性の声が迎えてくれる。
何気なくその人を見た。
驚いた。あの美少女だ。この店の店員だったのだ。
彼女は僕を見て、ニコッとしてくれた。
僕は勝手に運命を感じた。
(これは何かの縁だ!)
マイナス思考ばかりしていたので、彼女との再会は本当に嬉しかった。
そして、この店に導いてくれたフォーチュンクッキーを探す。
お菓子コーナーの一番上の棚にそれは並べられていた。
「く」の形をしたクッキーが、一袋ずつパッケージされている。
しかも、無職の僕に優しい一個十円。今時破格だ。
たくさん買うのも妙なので、一個だけ手に取る。
更に、それだけ買うのも変な奴と思われそうなので、缶コーヒーを持つ。
レジに向かうと、彼女がまた微笑みかけてくれる。
思い過ごしかも知れないが、僕の事を覚えているみたいだ。
「いらっしゃいませ」
僕がレジ台にクッキーとコーヒーを置くと、彼女が言った。
「その節はありがとうございました」
僕は小声で礼を言った。
「いえ。困った時はお互い様ですから」
彼女はレジ打ちをしながら答えた。
覚えていてくれた。
それだけで涙が出そうなくらい嬉しい僕。変だろうか?
「百二十円になります」
僕はその声でハッと我に返り、小銭を慌てて取り出す。
「三十円のお返しです」
お釣りを渡す時、彼女はソッと左手を僕の右手の下に添えてくれた。
ほんの少しだけど、彼女の指先が僕の手に触れる。
「ありがとうございました」
彼女はまた笑顔で言う。僕は会釈をし、店を出た。
手を添えてくれるのはコンビニのマニュアルに書かれている事。
以前働いた事があるのでそれはよくわかっていたが、それでも嬉しい。
僕はアパートに帰り、早速クッキーを二つに割り、中に入っているおみくじを取り出した。
「近々吉報あり」
そう書かれていた。
基本的に占いの類いを信じないのだが、それは信じたくなった。
何しろ、あの美少女と再会させてくれたクッキーだから。
「うお」
食べてみると、これでもかというくらいの甘さだった。
僕は甘いお菓子が苦手だったのを思い出した。
そして翌日。僕は気分を一新し、面接に向かう。
もう何回断わられようと頑張る。いや、頑張れる。
あの子と付き合うとか、仲良くなるとか、そんな事は全然考えていないけど、助けてもらった事ともう一度会えた事で、僕は前向きになれたのだ。
それだけでも感謝感激だ。
しかし。
また面接はうまくいかなかった。
それから僕のコンビニ通いが始まった。
フォーチュンクッキーを買うため、そしてあの子の笑顔を見るため。
いいおみくじを引き当てて、就職する。
そして、改めてあの子にお礼をするんだ。
「その節はありがとうございました」
それだけではすまないくらいの恩義がある。
いや、違うよ。
もう一人の僕が囁く。
お前はあの子と仲良くなりたいんだよ。
僕はもう一人の僕の言葉にギクッとした。
そうかも知れない。きっとそうなんだ。
でもいいじゃないか。何かいけない事なのか?
僕はもう一人の僕の囁きを封じ込めた。
ある日、気づいた。
僕がコンビニに行き、あの子の立つレジに並ぶと、同僚の男の店員が、
「こちらのレジへどうぞ」
と呼びかける。
もう一つのレジが塞がっていると、
「ウォークインの補充お願いします」
と割って入り、彼女とレジを交代してしまう。
僕はその男の店員にすっかりマークされていた。
彼女と接触させてくれないのだ。
自分の行動を思い出してみる。
彼女が店にいないとそのまま帰った。
レジに彼女が立っていないと交代するまで立ち読みしていた。
警戒されて当然か。我ながら、気持ちの悪い事をしていたと思う。
反省し、読んでいた雑誌を棚に戻す。
その時、一人の美女が入って来た。
よく見かける人だ。いつも大量のアイスを買って行く。
美人だけど、そこが何だか怖い。
どうして怖いのかと言われると、理由が言えないけど。
この人が来たのはある意味チャンスだ。
今レジには男の店員しかいない。
あの女性がレジに行くのを見計らって行けば、彼女がもう一つのレジに立つ。
男の人が入って来た。早くしないと、追い越されるな。
僕はタイミングを計って、レジに行った。
彼女が男の店員に何か囁く。男の店員はムッとしたようだ。
どうしたのだろう? 実は仲が悪いのかな?
僕はお菓子コーナーに行き、クッキーを取り、缶コーヒーを持つと、レジに向かう。
男の店員は大量のアイスと格闘中。
嬉々として彼女の立つレジに並ぶ。その後ろにさっきの男の人が並んだ。
まだ肌寒いのに半袖のTシャツ一枚とは、元気な人だ。
「いらっしゃいませ」
ニコニコして仕事をこなす彼女に僕は言った。
「もう少しで就職が決まりそうなんです」
「良かったですね」
彼女は笑顔でレジ袋を差し出した。
「頑張って下さい」
「はい」
僕はその言葉を噛み締め、店を出た。
その日はそれから面接だったので、クッキーの中身を舗道で確認した。
「願い事叶う」
そう書かれていた。
「よし!」
僕は気合を入れた。
「わ!」
角を曲がったところで、僕は誰かとぶつかった。
「ごめんなさい!」
尻餅をついた僕に頭を下げたのは女子高生。それも小柄な可愛い子だ。
この子とぶつかったの? それで僕は吹っ飛ばされた?
そんなバカな……。
女子高生は何度も頭を下げながら、駆け去った。
そんな事があったけど、何とか今度こそ僕は採用された。
就職が決まったのだ。
いても立ってもいられなくなり、あのコンビニに向かった。
彼女に報告したい。そう思った。
「え?」
コンビニの手前で僕は見てはいけないものを見てしまった。
裏口へと通じる狭い通路の向こうでキスをしている男女。
あの男の店員と彼女だ。
やっぱりそういう事なのか。
僕は踵を返し、アパートに向かう。
ポケットの中にあるクッキーを取り出し、口に放り込む。
あれほど甘かったものが、その時に限って何故か酷くしょっぱかった。
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