キャンディーゲーム

 桜も散った。新入生気分も抜かないといけない。


 俺は東城とうじょう健太けんた


 四月から大学生になった。


 田舎の両親からの仕送りだけではキャンパスライフを満喫する事は不可能なので、アパートに近いコンビニエンスストアでアルバイトを始めた。


 今日は金曜日。講義がないので午前中からバイトだ。


 今の時間は客足もまばらなため、俺ともう一人のバイトのみでこなしている。


 店長は滅多に顔を見せない程、俺達バイトは信頼されているのだ。


「健太、フェイスアップ完了したよ」


 バックヤード(商品の在庫や掃除用具などが置いてある場所)で商品の確認をしている俺のところへ、事情を知らない男共が「美人だ」と賞賛するショートカットの女子がやって来て告げた。


 フェイスアップというのは後ろに隠れた商品を前に出す事。その商品が売れ残っている印象をお客様に与えないためにするのだ。


「じゃあ、ウォークインの補充と床掃除頼む」


 その「美人」に俺は素っ気なく事務的に指示を出す。「ウォークイン」とはドリンクを陳列しているガラス扉付き冷蔵庫の事だ。


「わかった」


 「美人」は背を向けながら返事をし、バックヤードを出て行く。


「全く」


 俺は溜息を吐いた。


 その「美人」の正体は俺の田舎の幼馴染。名前は斑鳩いかるが美希みき


 幼稚園から始まって、小中高と、ずっと同じ学校だった。


 もう腐れ縁を通り越した関係で、女として意識しなくなった。


 大学くらいは別のところに行こうと思ったのに、気がついたら同じ受験会場にいた。


 しかも受けたのは同じ学部、同じ学科。


 更にバイト先にまで現れ、「同僚」になってしまった。


 何なんだ、この奇妙な「えにし」は?


 確かに、幼稚園の頃は「健ちゃん」「美希ちゃん」と呼び合い、一緒に遊んだ仲。


 一つの飴玉をかわりばんこに舐めた事があった程だ。


 美希は長い髪を三つ編みにした可愛い女の子だったので、当時の俺は真剣に美希との結婚を考えていた。本当に子供だった。


 ところが、だ。


 三年生になると、男共は女子達と遊ぶのを嫌うようになる。


 俺と美希とはその時から次第に疎遠になった。




 はずだった。


 もし、神様がいるのだとしたら、随分と意地が悪いと思う。


 小中の九年間、ずっと美希とは同じクラスだったのだ。


 偶然にしても、でき過ぎている。


 小学校三年のある日の事。


「健太あ、一緒に帰ろうよお」


 ランドセルを揺らしながら、美希が俺に駆け寄る。笑顔が可愛い。


「ダメだ。俺達は男同士で帰るんだ。お前も女同士で帰れ」


 今にして思えば、どうして俺はあそこまで意固地だったのだろう。


 同級生の男子の目が怖かったのだ。


「あいつ、女と帰ってるよ」


 そんな風に言われるのが嫌だったのだ。


「そうか。わかった」


 寂しそうに離れて行く美希の後ろ姿を見て、俺は酷く動揺したのを覚えている。




 それから数日後。俺は驚愕した。


 美希は奇麗な長い髪をバッサリと切り、スカートを履かなくなった。


 ランドセルまで黒に替え、遠めには男の子に見えた。


 しかも結構イケメンだ。


「どうだ、健太? これで一緒に帰ってくれるよな?」


 美希は元々見た目は女の子らしかったのだが、性格は男勝りで口調も男っぽかった。


 そのせいで、男装には何の違和感もなかった。


 俺は不覚にも美希の姿にポオッとなってしまった。


「え、その……」


 美希は俺の返答を待たずに、


「帰ろう、健太」


と俺の手を掴み、歩き出した。




「おっと」


 昔の事を思い出して手が止まっていた俺は、お客の来店を知らせるチャイムにハッと我に返った。


「いらっしゃいませ」


 バックヤードから飛び出し、レジへと向かう。


 入って来たお客を見て、


(また来たか)


と思う。


 そのお客は「アイスクリーム女王」と渾名あだなされている美人だ。


 大きくて黒目が多い瞳、高い鼻、ある有名女優のような魅力的な厚い唇。


 しかも、細身の割には胸が大きい。


「スケベ」


 美希が俺の背後に来て囁く。顔が熱くなる。


「な!」


 何か言い返そうと思ったが、美希はすでに接客中だ。




 その客は美希目当てで来ると噂の男だ。若いのだろうが、年齢不詳。


 美希が店にいる時を狙って、朝となく夜となく出没する。


 ストーカー紛いの行動なので、俺は店長に相談したのだが、


「何か仕出かした訳ではないから。それに相手は仮にもお客様だよ、東城君」


 店長はニヤリとして、


「幼馴染が心配なのはわかるがね」


と言った。俺は何か言おうとしたが、視界に美希が入ったので、言葉を飲み込んだ。


「ありがとう、健太。私は大丈夫だよ」


 美希は小声で言ってくれた。そんな時でもバカな俺は、


「そうだな」


などと気のない返事をしてしまう。


 それにも理由があるのだけど。


 美希は、髪をバッサリと切った日、空手道場に通い始めたのだ。


 何が目的なのか、当時の俺には謎だった。


 美希の道場通いは高校まで続いた。


 だから彼女は、不良達が避けて通るほど強くなった。


 そのため、仮にストーカーが美希に襲いかかったとしても、返り討ちに遭うのがわかり切っているのだ。




「いらっしゃいませ」


 俺は目の前に来た「アイスクリーム女王」に笑顔で言う。


「よいしょ」


 女王は、買い物籠いっぱいのアイスをレジ台に持ち上げる。俺は慌ててそれを手伝う。


 凄い数だ。


 こんなに買ってどうするのだろう?


 一人で食べ切れる訳がないし。


 いかん、いかん。お客様のプライベートを想像してはいけない。


 俺は雑念を振り払い、レジ打ちに集中する。


 横を見ると、美希の前の男性のお客が、


「その、財布を落としたみたいで」


と言っていた。俺が声をかけようとした時、


「私が立て替えましょうか?」


 アイスクリーム女王が言った。


「え?」


 男性と美希が、ほぼ同時に女王を見る。


 そして、その男性は女王に代金を立て替えてもらった。


 新手のナンパか? そんな風に思ってしまう。


 現に男性は女王のレジ袋を持ち、ヘラヘラしながらついて行ったのだから。


 どっちがナンパされたのか、よくわからない感じだが。


 入れ違いに、女子高生が駆け込んで来た。


 何を買いたいのかわからないが、店中を隈なく見て回る子だ。


 欲しいものを言ってくれればいいのに、それをしない。


 不思議な子だ。


 結局、ションボリして出て行った。


「スケベ」


 レジを終えた美希が、また背後で囁く。


「あのな」


 今度は店内にお客がいないので、バックヤードへと歩く美希を追った。


「何なんだよ、スケベって? お客様が何か尋ねて来たらすぐ対応できるように見ていただけだぞ」


 すると美希はツンとした顔を俺に向け、


「ふーん。健太ってさ、お客様の胸を見て対応するんだ」


 その言葉に、俺はギクッとした。


「健太って本当はムッツリスケベなんだね」


 美希はニヤッとして続ける。


「今度から気をつけないと。健太と二人きりになったら、襲われちゃうかも知れないから」


「誰がお前なんか襲うか!」


 言ってしまってから、俺は強烈に後悔した。美希も驚いたような顔で俺を見上げている。


「そ、そうだね。私みたいな女、襲わないよね」


 美希はバックヤードから出て行った。


(俺は何て酷い男なんだ……)


 自分の情けなさを悔やむ。


 長い間、心の奥底に封じ込めていた何かが風船が割れるように弾けた気がした。


 俺は、美希を女として意識しなくなったのではない。


 意識しないようにしていたのだ。まさに無意識のうちに。




 幼稚園の時、飴玉を舐めている美希をつい、ジッと見てしまった事がある。


 すると美希は、


「舐める?」


と口から飴玉を取り出して俺にくれた。


 当時の俺はその行為の大胆さに驚く程は知恵が回らなかったので、美希が飴玉をくれたのを単純に喜んだ。


「全部舐めちゃダメだよ。それしか持ってないから。返してね」


 ニコッとする美希が可愛いと思ったのは記憶にある。


「うん」


 俺は大きく頷き、飴玉を少し舐めると美希に返した。


 美希はそれを嬉しそうに口に放り込んだ。


 今思えば、相当ドキドキするやり取りだ。


 俺はあの時からずっと、美希が好きだったんだ。


 ようやく、それを認められる自分になれた。




 さっきの暴言を謝ろうと美希を探したが、お昼休みが始まる時間になり、来客が増えた。


 俺と美希はレジ打ちで忙しくなり、話す暇がなくなった。




 やがて、来客が一段落した。


 そして、美希の退店時間になる。


 午後のシフトの女の子が来たので、


「レジお願いします」


と告げ、俺は裏口から出て行く美希を追いかけた。


「待ってくれ」


 俺の呼びかけに美希はキョトンとした顔で振り返る。


「さっきはごめん、酷い事言って」


「気にしてないよ」


 美希は弱々しく微笑み、また歩き出す。


「ずっと好きだったんだ!」


 俺はありったけの声で叫んだ。美希が目を見開いてもう一度振り返る。


「幼稚園の時から、ずっとお前の事が好きだった。できれば、あの頃に戻りたいくらいだ……」


 俺は顔が熱くなるのを感じながら、一気に言い切った。


「あの頃に戻りたい?」


 美希は機嫌が悪そうな顔になった。俺は思わず身じろいだ。


「だったら、一発殴らせて。さっきは気にしてないって言ったけど、ホントは凄く悲しかったから」


 美希は真顔でそう言った。


 殴らせて? 普通の女の子になら二つ返事だ。しかし、美希は空手の有段者だぞ。


 確実に大怪我をしてしまう。


 しかし、俺の暴言はそんな程度で帳消しにできるようなレベルではない。


「わかった」


 唾を飲み込んで頷く。美希がフッと笑う。殺気を感じる。


「目を閉じて!」


 その声にビクッとし、固く目を瞑る。


 本気で殴るつもりだろうか?


「ひっ!」


 美希の両手が俺の後頭部を押さえ込んだ。


 まさかと思うけど、頭突き?


 そんな! だが、俺が悪いんだ。仕方ない。


 しかし、俺はもっと衝撃を受けた。


 目を開くと、美希の顔がすぐそばにあり、その唇が俺の口に押し当てられている。


 それだけではない。美希の舌が俺の口をこじ開けて、何かを押し込んで来た。


 もしかして?


「全部舐めちゃダメだよ。それしか持ってないから。返してね」


 美希は顔を赤らめてそう言った。


 俺は卒倒しそうになった。


「私もずっと好きだったよ、健太」


 その時の美希は最高に奇麗だった。

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