近代的接触

 もう間もなく訪れるだろう期末テストの憂鬱さを払拭するかのように夏休みの話題が蔓延し、遊びに惚けたような言葉が自然と飛び交う雰囲気にまみれた教室の中、相変わらずの闇夜は孤高にすましていた。


 海に行こうなどと誘いもせず誘われもせず、山に行こうなどとも以下同文。


 授業を終えるなり、クラスメイトと夏の雑談を交わすこともなく、闇夜は月光とともに教室を出る。なお、一緒に並んで、というわけではなく、月光は無言で後を追っているだけである。


 そろそろ誰かは密かに月光の動向に気付き始めた頃合いではあったが、月光の思惑までは未だ誰も知る由などなかった。


 その何かの決意に満ちる泥みたく濁る瞳に誰が気付けようか。


 しかし、気付かれようが気付かれまいが、月光の決意に何かしらが影響することもなく、それ自体が揺らぐことさえもない。


 これより勝手な苦汁を飲んできた月光が行動を始めるまでだ。


 ストーカー行為も板についてきたようで、おおよそ追跡を追跡と悟られる要素が激減してきていた。ただ自然と廊下を歩き、ふと窓の外の景色に目配せなどしながら、さも一人で下校するよう振る舞う。


 間違いなく闇夜を見据えて離さないが、月光は淡々と平然を装う。


 闇夜が月光の気配を察して、唐突に姿をくらますことも考えられたが、これまで不思議に思うほど闇夜は相変わらずの物静かな有様で、今日も今日とて一目と言わず、二目とよそ見したって月光の視界には闇夜が写る。


 下駄箱に至り、靴を履きかえ、昇降口に出るまでも自然を装うには秒単位と相当目を離さなければならないが、闇夜は忽然と姿を消すこともなく、そこで日常のままの姿でいる。


 月光はもう違和感を覚えない。これが闇夜なのだと認識している。周囲がどうあろうと、いつだってマイペースですました奴なのだと。


 校門を抜ければそこはもう市街地。商店街の近辺を沿って歩けば生徒の大半が行きかいするだろう住宅地の道へと続く。


 月光はその大半の中では例外だったが、闇夜は例外ではなかった。


 闇夜の家は同じような屋根の続く住宅街の中で一際存在感のあるマンションの一室にあることを月光はつい最近知った。


 その周辺は十数年ほど前から都市化計画なるものの影響で、空き地や駐車場の広い空間が点々としており、傍から見れば歯抜けのブロック塀が延々と続く迷路のような場所。


 その中心に都市化計画の第一号として建てられたそのマンションの住人や関係者以外にとっては、用事もなければ訪れようとも思わない場所。つまりは、人気は薄い場所ともいえる。


 月光にとって、これほど好都合なことはなかった。


 闇夜は孤独であり、この場所も繁華街に比べれば閑散としている。隠密に事を運ぼうとするならばこれ以上のものはそうそうないだろう。


 月光が動く決心を固めるのも存外早かった。


 誰も見ていない。周囲に誰もいない。闇夜以外にその場に誰もいない、そう確信した瞬間、月光のどす黒く溜まり続けていたソレが行動力の燃料のように燃え上がった。


 月光は学生鞄から授業では到底使われないであろう得物を取り出す。伸縮式な棒状のもの。何処からか入手した警棒だ。見た目によらず結構丈夫なゴム質の棍棒だ。


 息を殺したまま、足音を消し、闇夜との距離を詰める。もう気付かれたってどうにもならない。十数メートルともない距離で踏み込みが一層強くなる。気付かれたか、いや、まだ闇夜は振り向かない。射程内に入り、月光の手が振り上がる。


 鈍い衝突の音。


 掠った音ではない、直撃の音。


 興奮に急かされた月光は、周囲の時間を置き去りにしていく。成功したのか失敗したのか、判断するこの瞬間が恐ろしく長く感じていた。


 闇夜の後ろ姿が振り返ることもなく、ぐらりと傾き、溶けた粘土のようにゆっくりと地面に落ちていく。それが何かの冗談みたいに見えて、月光はうすら笑みを浮かべてしまった。


 思いのほか、血は出ていない。


 人気のないこんな殺風景な道の真ん中で、不恰好に倒れる闇夜の姿のこの滑稽さはどうだ。月光はとうとう息をこぼしたようなおかしな笑い声が出た。


 だが、月光の計画はまだ終わっていない。


 路上に突っ伏した闇夜の傍らに寄り、息を確かめる。


 そうして予定通りに闇夜がまだ生きていることを確信すると、月光は全身をまさぐるようなおぞましい昂揚感にかられた。そう、月光の計画はここから始まる。


 月光は想定していたよりも重かった闇夜の上半身のさらに半身を、か弱いと自称する力を振り絞って不器用に抱きかかえ、いつ転ぶかも分からないようなよれよれでもたもたとした足取りで、その場から何とか離れていった。

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