第5話 文学少年の希望
今日はまだ来ていないらしい。昨日より二十分ほど早く着いた僕は、本を持って椅子に座る。喫茶スペースは相変わらず空いていて、彼女の姿はまだ見えなかった。
僕は、ほんのりとコーヒーの良い香りのする空間の中で静かに本を読める喜びを噛みしめた。
ここには、学校の喧騒もにやにや笑いも届かない。曲がりくねった路地とコーヒーの香りに護られた、文学好きのための聖地。
なんて、贅沢なのだろう。
ふと、気づくと、目の前に彼女がいた。
「やっと、気が付いた。」
頬杖をついた君は、笑う。
「ああ、ごめん。本に夢中になっていて。いつからいたの?」
僕は慌てて、ずり落ちた眼鏡をかけ直した。不覚だった。
「つい、さっきだよ。今日は集会が長引いたの。」
君は何の集会かは言わなかったし、僕も聞かなかった。
「…んー、潮騒の詩を口ずさむかもめ。」
「迷宮を這う赤い糸のような歌声。」
「えーえー…駅のホーム、八番線で待つ恋人。」
「鳥が鳴けば、眠りについた彼女を思う。」
「…彼女って誰?君の彼女?。」
君はいたずらっ子のような瞳で笑う。
「んー、僕の言葉やイメージの世界の彼女なわけだから、僕の彼女であっているのかな。」
「なんか、君らしいはぐらかし方だね。どんな人なのかな、君の彼女。」
僕の意識は一瞬だけこの場所を離れ、歌う雲雀の横で眠る君の姿を見た。周囲には白い木の根や蔦が這い、丸くなって眠る君の頬には雨粒が光る。
目覚めるとか目覚めないとか、目覚める方法だとか目覚めない理由だとか、そんなことに一切の関心を払わない、眠る君の世界。
その姿はこの上なく美しかったが、でもそんなこと言えるわけがない。何故なら僕らは干渉しすぎないことで誰よりも近い場所にいる二人なのだから。
「そんなこと言ってないで、次、『ウ』だよ。それとも降参かな?」
「ちょっと待って!うーうー、運命の靴音が響く、僕らのはじまり」
「林檎の実が笑うのは、賢者と道化師の集い」
「『イ』…」
君は暫く押し黙った後、意を決したように強い目で、しかしおずおずと口を開いた。
「一緒に、本を作らない?」
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