第4話 文学少年の憐憫
今日で、森鴎外の授業が終わる。また退屈な評論の読み解きになるのだろうか。作者の書いたことはそのまま、読み手の感性にゆだねられるべきなのに、何故教師はみな一様の解釈に導きたがるのだろう。教師に教わるまでもなく、読んでいればそうとしか解釈できないはずなのに。
だったら、まだ小説の授業のほうが良い。1時間、ずっと鴎外に触れていられるのだから。
僕はぼうっとして、狂ったエリスの表情を夢想した。目は生気を失い、髪は乱れ、口は声にならない言葉を呟きながら豊太郎の子を待ち望むエリス。
その顔は、いつの間にか君になる。あの大きな瞳から、涙が落ちる…
ぽんっ
頭に何かがぶつかった。だるさを引きずりながら顔を上げると、机の上に丸められた紙屑が乗っていた。これが、頭に当たったらしい。
振り返らなくてもわかる、後頭部にはあの嫌なにやにや笑いがねっとりと絡みついてくる。ああ、嫌だ。嫌すぎる。僕は黙って紙屑を持ち、ゴミ箱に入れた。にやにや笑い達はそれを見て嬌声を上げた。
「おい、キモヲタがなんか捨てたぞ、キモい絵とか描いてあったらどうする?」
「見てやろうぜ!」
数人の男子がゴミ箱に集まる。
「うわ――やべえ!マジきめえ」
「なんかエロいこと書いてある―――!」
教室中が一斉に笑う。紙に書いてあるらしい卑猥な言葉を読み上げるにやにや笑い。周囲の温度が上がる度、僕の心は冷めていく。なんて、馬鹿馬鹿しいのだろう。
この教室の中の誰も、あの紙に書いてある言葉が僕のものだなんて思っていない。この茶番劇の何が面白いのだろう。
いや、本当に面白いならまだいい。何を面白いと思うのかはその人の感性次第だし、面白いと思ったのなら笑うのは自然だ。
僕が真に愚かに思うのは、面白いと思っていないのに周囲に合わせて笑っているにやにや笑い共だ。面白ささえ誰かに合わせなきゃならないなんて、なんて楽しくない人生なのだろう。
僕は僕の面白さを守るため、席に戻って本を開く。
「お前、面白れーなー」
僕の机に尻を乗せ、一人のにやにや笑いが話しかけてきた。
「汚い尻を乗せるな。僕に用がないなら戻ってくれ」
「うわ―キレてる!マジおもしれえ!」
奴はそれだけ言うと、机を蹴って走って行った。
『キレる』というのは自分の感情を制御できない子どもの行動だ。自分に向けられた嫌悪の感情を相手の「怒り」に置き換えて面白がるなんて、全くどこまでもおめでたい。
帰り道、今日から部室に寄る必要もない。僕はさっさと立ち上がり教室を出た。廊下では何人かの男子がたむろしていて、僕の顔を見るなり嬉しそうに話しかけてきた。
「あれ?帰んの?もう?部活はサボり?」
「遂に文芸部の女子からも相手にされなくなっちゃったの?」
僕は何も言わずに歩き去るが、彼らはまだ何やら大声で叫びながらげらげら笑っている。僕は奴らと口をきく必要など微塵もないと思っているが、彼らは僕を見れば話しかけずにはいられないらしい。僕のことが嫌なら無視してくれればいいのに、本当にうるさくて不思議で敵わない。昨日は純粋に疑問をぶつけてみたけど、有益な答えは得られなかった。今日の僕は我ながら虫の居所も悪いし、彼らと向き合って会話をしようとは思えない。
嫌いな奴と率先してコミュニケーションをとりたがる輩の考え方を僕は今まで何度も考察してみたが、一度も理解できたことはない。
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