ダンジョンはいすくーる

ふ~こ

第1話 謎の少女

「はあ…気が重たいな…」


 ため息が出る、とある春の朝。馬鹿みたいに晴れた空の下、満開の桜並木を眺めながら、俺は活気にあふれる街中をのらりくらりと歩いていた。

 今は入学シーズン真っ盛りで、下ろしたての新しい制服を着た学生の姿があちこちに見える。そんな彼らとすれ違うたびに、俺は気持ちがどんどんと沈んでいく。

 なぜ、こんなにも鬱なんだろう。そんな分かりきったことを無意味に何度も自問しているうちに、いつの間にか俺は校門の前にやってきた。


 私立桜条おうじょう学園。県内一の進学校でスポーツの強豪でもある、名門中の名門。大正時代から続く由緒ある校舎が門の向こうに悠然と横たわっており、この桜条花さくらじょうか町のシンボルである桜の木をあしらったエンブレムが中央にそびえる時計台の上に燦然と輝いている。次々と登校してくる生徒たちの顔はどれも自信と希望に満ち溢れ、そのまぶしさに俺は思わず顔を背けてしまう。

 そんな俺の目線の先から、一人の少女が歩いてきた。俺と同じ中学のクラスメイトだった、橘花桜里たちばなかおり。桜条学園のブラウン色のブレザーを着た彼女は、トレードマークだった三つ編みを解いてイメチェンしていた。眼鏡もやめてコンタクトにしたようだ。セミロングの黒髪がそよ風に揺らめく。前から可愛いと思っていたが、本当に綺麗になったと思った。


「おはよう!」


 明るい元気な声の挨拶。彼女は手を振りながら、こっちに向かって小走りでやってくる。ひらひらとめくれそうなミニスカートにドキッとしてしまった俺はその思いを押し隠そうとして、できる限りさりげない素振りを装う。が。

 身体の火照りが一瞬で暗い気分を吹き飛ばして、代わりに熱を帯びた汗が額に滲んでくる。俺は軽くパニックになりながらも、気持ちを振り絞って、なんとか声を出した。


「お、おはよう…」

「おはよう! トシくん!」

「え…?」


 彼女の言葉は俺のすぐ横を通り抜けて行った。悲しいことに俺は、トシくんではなかった。

 事態を理解できていない俺の横を彼女自身もすれ違って行く。ふわり漂うシャンプーの甘い香りが、風に舞う桜の花びらを思わせる。それに引っ張られるようにして振り向くと、彼女は校門前で待っていた同じく桜条学園の制服を着た長身の男子生徒に向かって嬉しそうに駆け寄って行った。二言三言ここからでは聞き取れない会話を交わすと、二人仲良く肩を並べて校舎のほうへと歩いて行く。それはまるで、仲睦まじい恋人同士のようだった。

 その後姿が見えなくなるまで呆然と眺めていた俺は、通行の邪魔になるからと、近くにいたガタイの良いジャージの男(たぶん桜条の教師だろう)に追い払われた。それを見てせせら笑うような生徒たちの囁きが聞こえる気がした。

 いたたまれなくなった俺は、輝かしき桜条学園の校門前からとぼとぼと立ち去った。


 俺の名前は勇城今日志郎ゆうききょうしろう。今春、中学を卒業したばかりの十五歳。普通ならここで高校生になったばかり、とか自己紹介をするんだろうけど、残念ながら俺にはそれができない。だって、まだ三月だった先週末に、滑り止めの、滑り止めの、滑り止めの、滑り止めの、そのまた滑り止めの高校を落っこちてしまったから。滑り止め、が一個くらい抜けてたかもしれないけど、もういくつ落ちたかなんて覚えてないし、思い出したくもないよ。

 さぞかし馬鹿な奴だと思うだろう。けど、俺だって自分なりに努力はしたつもりだし、偏差値だって五十ちょいはあったんだ。入れそうなところはいくつもあった。それなのに両親は自分らが高学歴なのを鼻にかけて、お前もいい学校に行け、やれば出来ると譲らなかった。

 結局、受けさせてもらえたのは偏差値六十台後半の難関校のみ。桜条学園はその中でもトップクラスで俺は絶対無理と言ったんだが、文句なしの名門だし、家から歩いて行ける場所にあって通学に便利なためか、両親はとてもお気に入りだった。まあ俺も、気になっていた花桜里が受験するのを知っていたし行きたい気持ちはあった。最後はもうやけくそになって、そりゃあもう死にもの狂いで勉強したさ。

 そんな入試の結果は、推して知るべし。桜条はもちろんのこと、片っ端から失敗して。最後の滑り止めだけは学力のいらない一芸入試だったけど、何も取りえのない俺はネットで見たお笑いのネタをパクって文字どおりの一発芸をして、その場で思いっきり滑ってしまった。あの時の面接官のひきつった顔が今でも忘れられない。トラウマってやつだ。

 こうして俺の悲惨な高校受験は、心に深い傷を残して幕を閉じたのだった。


 そんな俺は今、俺の受験失敗で家庭崩壊した家を飛び出して、あてもなく街を彷徨っていた。家にいても両親のケンカする声が聞こえてくるばかり。それはいつの間にか俺の受験の話から浮気がどうのギャンブルに金を使い込んだだのろくでもないことに飛び火して、もう収集が付かなくなってしまった。もしかすると近いうちに離婚して一家バラバラになってしまうんじゃないか。そんな想像をすると、まるで地球の重力が倍になったかのように足取りが重くなる。

 もう嫌だ、何も考えたくないよ…。そんな思いが頭の中をぐるぐる巡っているうちにいつの間にか花吹雪舞い散る桜の並木は途切れ、右手に商店街の入り口が見えてきた。気晴らしにゲーセンに寄って音ゲーでもしようかと思い、俺は入口の色あせたアーケードをくぐって商店街に歩を進めた。


 商店街に入ると表通りの活気とはうって変わって通行人はほとんどいなく、大型車がすれ違えないくらい狭い道の両隣に立ち並ぶ店の半数は朝だというのにシャッターが閉まったままだ。きっとこの先も開くことはないんだろうな。そういえば数年前に駅の近くに大きなショッピングモールが出来てから、ここで買い物した記憶が無いな。ふと目をやると、たまに生鮮食品店の店先に土の付いた野菜やら、半分空っぽのショーケースにちょこっと並んだ肉きれやらが置いてあり、店の奥でラジオを聞きながら新聞を読むおじさんの姿が哀愁を誘う。角のタバコ屋はもはや廃墟にしか見えない。何軒かある居酒屋は、どこも店先にひび割れたネオンの看板が無造作に置いてあり、それを見るとなんとも言えない気持ちになってきた。

 俺の人生も、もう壊れてしまったんじゃないか? この先に光り輝くことなんて無いんじゃないか、そんな絶望感がじわじわと押し寄せてくる。いっそもう死んでしまったほうが楽なんじゃないか、そんな考えまでがふと頭によぎってしまう。

 そのとき、狭い路地の向こうから、道幅すれすれの大きなトラックが勢いよく走ってきた。慌てて道の端に避けようとするが、路肩のブロックに足を取られて、俺の体は道の真ん中のほうにふらっと傾いた。


 パッパーッ!


 大音量のクラクションが鳴る。少し遅れてブレーキの軋む音。あ、これやばい。俺、死んじゃうかも…! ダメだ、もう間に合わない。

 …ああでも、これでいいのかもしれないな。生まれ変わったらきっと今度は、いいことあるでしょ。だからもう、終わりでもいいや。

 俺は目の前に迫るトラックが見えないように目を閉じて、そのまま重力に身を任せた。


 …。


 ……。


 ………あれ。痛くないな。


 …死ぬときは痛いと思ってたんだけどな。痛いというよりか、気持ちいい。ふわふわしてて、とてもいい匂いがする。なんとなく花桜里の顔が思い浮かんだ。あ、そうか、ここが天国…。


「おい貴様、いつまでそうしてるつもりだ!」

「へ?」


 いきなり話しかけられてびっくりした俺は、思わず顔を上げた。そこには花桜里、ではなくて、知らない少女の顔があった。先が若干カールした桃色の髪、パッチリとした青い瞳。どことなく幼さを感じさせる顔立ちの少女は、俺のことをジト目でじっと見つめていた。

 ここが天国なら、もしかしてこの娘は…。


「あ、もしかして。て、天使さん、ですか?」

「はあ? 何をとぼけたことを言っておるのだ」


 きょとんとした顔でそう言われて、俺ははっと気が付いた。彼女の頭の後ろに色あせた電信柱とそこに張り巡らされた電線が見える。なんだ、ここはさっきの商店街か。

 なら俺はまだ生きているのか…。でも何で…、と思いながら目線を落とし、俺はとんでもないことに気が付いた。

 見上げれば少女の顔。そして両の頬を包み込むふわふわした感触。うっすらと香るフローラルな香り。そう、あろうことか俺は彼女の胸に顔を押し付けていたのだ!


「うわわっ!?」


 俺は慌てて少女から離れた。その突然の動きに少女も驚いてビクッとなる。


「なんだ貴様、いきなり!? びっくりするではないか!」

「あ、ご、ごめんなさい」


 俺は謝りながら、改めて少女を観察した。俺よりも一回りか二回り背が小さいな。百五十センチ、いや、百四十センチ代か? 服装はこの辺では見かけないデザインのセーラー服で、その上から黒っぽいパーカーを羽織っている。奇妙なことに頭にかぶったパーカーのフード部には、何かねじくれた角のようなものが付いている。なんだこいつ、朝っぱらからコスプレか? でもこのセーラー服は本物っぽい気がするし、よく見るとパーカーの胸元に学校名らしき刺繍がしてある。なになに、『私立ダンジョン学園』…? そんな変な名前の学校、この辺にあったっけ? …ま、いいや。てことは高校生か、顔つきはどこか幼いけど。でもまあさっきは胸もそれなりにありそうな感触だったし。おっといけない、思い出したら興奮してしまいそうだ。


「どうしたのだ? 人のことジロジロ見て…」

「あ、いや、別に…なんでも、ないです」


 やばい、エロい目で見ていたのがバレるとこだった。落ち着け、俺。深呼吸だ…ふう。

 それにしても、何だか偉そうな口調だよなあ。もしかしていいところのお嬢様だったりするんだろうか…? 髪と目の色からすると外国人っぽいけど、顔立ちは日本人に見えなくもない。まあ、とにかく変わった娘だ。いや、変わったというか、むしろかなり変だ。そんな失礼なことを思いながらも、俺は彼女に気になっていたことを尋ねた。


「あの、もしかして君が助けてくれたの…?」

「うむ。危ないところであった。次からはボーッとしてないで、気を付けて歩くのだぞ?」

「あ、うん…」

「それと…」


 彼女は俺のすぐ横を通り過ぎながら、すれ違いざまにその深い青色の瞳で俺の目をじっと見つめてきた。すると一筋の風が吹き、ふわり風にそよぐ幻想的な桃色の髪の毛。ふと花桜里のとはまたちがう、甘酸っぱいような不思議な匂いが風に乗って俺の鼻をくすぐる。それと同時に何か得体のしれない力のようなものを感じた気がして、思わず背筋がぞくっとなった。まるで心を全て奪われるかのような心地よい恐怖感。矛盾した感情に困惑する俺に向けて、彼女の小さくふっくらとした唇が開かれる。


「余は天使ではない…」

「え?」


 そして。唐突な言葉に戸惑う俺を尻目に、不敵な笑みを浮かべてこう言い放ったんだ。


「余は魔王だ!」


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