第22話

相原に襲われた――あの事件はそう表現していいのだろうか――日から三日後。相原は突然俺の家にやって来た。

 その日は平日だったが、美原高校の入試があるため一般の生徒は休みだった。なのでもちろん、当の受験生の智也は家にいなかった。

 チャイムの音に気付いてドアを開けた俺は、そこに相原の姿を認めて思わず固まってしまった。どうしようと迷ったあげく、結局は相原を家に入れた。相原が来た理由は三日前のことについてだろうと考えたからだ。

 そうでなければ、いくら相原でもわざわざ三日待ってから俺の家に来るなんてことはしないはずだ。ただ、今は学校では桜と杉浦の監視が付いていて俺に話しかけられないから、もしかしたら違う理由という可能性もあるわけだけれど。

 それでもさすがに玄関先で話をするわけにもいかない。例のことのように際どい内容の話が出てくるかもしれないのだからと、相原を家に上げたのだった。

 智也がいないので家の中には相原と俺しかいない。その状況に妙に緊張していた。桜にきつく言われたこともあって、以前より警戒心が強くなっているような気がする。実際、相原は先日の一件だけでなく前科がある。

 対して、すすめられるままリビングのソファに座った相原は平然とした様子だ。離れた場所に立ったままの俺が一人だけ意識しているみたいで少し恥ずかしい。けれどさすがに近くに座る気にはなれなかった。

「……今日は何の用で来たんだ?」

「わかってるんだろう」

 どこか落ち着かない気分の自分を制して辛うじて言葉を紡いだら、まるでこの家の主人のように落ち着き払った相原があっさりと返してきた。その落ち着きぶりが恨めしい。

「まずはこの間の返事を聞かせてもらおうか。俺はお前の何なんだ?」

 まるで恋人に対する台詞のようだ。そんな言葉を臆面もなく口にする相原は間違いなく天性のたらしだと思う。しょっちゅうそんなことを言っては女の子を泣かせているに違いない。というのは俺の勝手な想像だけれど。

 場違いなことを考えてしまうくらい度を越して緊張しているのかもしれない。そんなことをちらりと考えて口を開く。

「友達だよ。……間違いなく、俺が付き合ってる連中の中でも一番の、友達だよ」

「ふぅん」

 そっけない答えとは裏腹に相原の瞳が少し細められる。

「それだけか」

「あのな、お前が言いたかったことは、多分わかった気がする。気がするんだけどな」

「けど?」

 相原は脚を組み替えながら器用に片方の眉だけを跳ね上げた。

「こう言ったら身も蓋も無いとわかってはいるんだ。だけど、俺は人との付き合い方をいきなり変えられるほど器用な人間じゃないんだ」

「お前が器用じゃないことくらい知ってる」

 なら文句を言うなよと思うが、相原としても今日は事を丸く納めるために来たのだろうと良心的に考えて、ぐっと堪える。

「だから、とりあえずは、お前が一番の友人ってことで、納得してくれ」

 納得してほしいではなくて、納得してくれと言ったのはせめてもの主張だ。俺としても精一杯の譲歩だというのをさりげなくアピールしてみただけなのだけれど。

「まぁ及第点だな」

 だから文句言うなよ。俺はもういっぱいいっぱいなんだ。

 反射的にそう思った。大体、何が及第点なのかさっぱりわからない。けれどそれを聞く暇を相原は与えてくれなかった。

「今のでいいということにしよう」

 偉そうな言いっぷりは間違いなくいつもの相原だ。今日は眼鏡をかけていないせいで、その瞳が楽しそうに笑っているのがよくわかる。

 そんな相原がソファから立ち上がって俺の方に向かってくる。我知らず身体が固くなった。

「な、なんだよ」

 手が伸びてくるのを避けるように後ずさりながら、震える声で問えば相原は面白そうに笑った。

「この間から何なんだよ。き……キスとか何でしてくるんだ」

「さぁ何でだろうな」

「お前……面白がってるだろう!」

 楽しそうな相原に声を少し荒げて言うと、ようやくわかったかと言って口元を手で押さえてとうとう笑い出した。

 まったく失礼なやつだ。

「まぁそんなようなものだ」

 三日前のことを考えると、その答えはいまいち納得のいくようなものではなかったが、深く考えないことにする。深く考えたら何かまずいことにぶち当たるような気がする。

「……お前は『友人』なんだから、もうそういうことはするなよ!」

 言うと少し考える素振りを見せた後に、まだ笑いの残る声で返してきた。

「……そうだな。確かにお前の言う通りだ。これからはしないことにする」

「お前はやり方が回りくどいんだよ。文句があるならもっとわかりやすく、はっきり言えってんだ」

「まぁそう言うな」

 幾分興奮している俺を宥めるように言った相原は手を差し出してきた。

 その手が何を意味するのか意味を図りかねた。

「とりあえずは友情復活だ」

「……そうだな」

 相原の言葉に異議はない。俺は差し出された手を軽く握り返した。

 こうして俺と相原の喧嘩は事実上終わったのだった。




 □ □ □ □ 




「ま、各務さんだけでなく、相原もいいかげんイライラしてるみたいだけどな」

 立ち上がった杉浦に話しかけられて俺は現実に意識を引き戻された。

 確かにここ一週間で、段々と相原の機嫌が悪くなっている。杉浦が気付いているのだから、奥住や普段相原とつるんでいるやつらも気付いているに違いない。そろそろクラスメートあたりから苦情が来るかもしれない。

 そんなことを考えていると、ふと、本当はもう喧嘩が終わっていることを伝えた方がいいのかもしれないと思った。このままでは杉浦が相原の攻撃対象になるかもしれない。それはあまりにも理不尽だろう。

 そう思うと、何も全てを話さなくても、多少俺と相原の間にあったことを疑われても、せめて仲直りしたことくらいは知らせた方がいいような気がしてきた。

 腕時計を見ると昼休みが終わるにはまだ時間がある。話すなら今のうちだと、空の弁当箱をまとめて教室に帰ろうとしている杉浦に声をかけた。

「杉浦、ごめん!」

 前後の文脈もなく勢い込んで謝ると、杉浦は不思議に思ったのか首を傾げた。

「どうしたんだ、いきなり」

「いや、本当はさ……。相原とはとっくに仲直りしてるんだ」

 生徒会室での出来事を考えると、どうしても相原が俺をからかって楽しんでいただけには思えない。けれどあの日、そこにはあえて突っ込まなかった。あまりに他人に関心がないことを責められたばかりだったが、たまには見たくないものから目を反らす権利はあると自分に言い訳をした。

 予想しなかった答えだったのか、杉浦のその目が少し開かれる。

「それ、本当なのか?」

「本当だよ。杉浦には本当に申し訳ない」

 もう一度謝ると、杉浦は頭に手をやって大きく息を吐いた。呆れられるのはわかっていたけれど、杉浦はそんな予想とは裏腹にどこかほっとしたような表情になる。

「なんだ。よかったじゃないか」

「いや、でもさ。その桜ちゃんが聞く耳持たなくて、まだそのことを伝えてないんだよ」

「……想像がつくな」

「相原って名前聞くだけでものすごい怒り出すもんだから……。ホント、ごめんな」

 苦笑する杉浦に頭を下げると、頭をポンと軽く触られる。顔を上げるとどちらかというとにこやかな笑みを浮かべている杉浦が目に入った。

「梶が言えないようなら俺から各務さんに言ってもいいさ」

 杉浦の心遣いは嬉しかったが、それはいくらなんでも甘え過ぎだろう。そもそも桜にあんな行動を取らせ、さらには杉浦まで巻き込む結果になったのは自分のせいなのだ。そうなればやはり自分で決着を付けなければならない。

「さすがにそれは悪いからいいよ。なるべくなら自分で言いたいし」

「そうか。……じゃあとりあえず、もう俺の護衛はいらないな」

「そうなるかな」

「どうせ各務さんは一週間後に国公立の入試があるから、学校来ないだろ。ばれる可能性は低いから大丈夫だとは思うけど」

 それに頷いて、最後に今まで悪かったなと謝ると杉浦は笑みを崩さないまま返してきた。

「言っただろ。個人的には楽しいって。梶にはもともと興味があったから大した苦痛でもなかったさ」

 つくづく大物な感のある杉浦だ。

 背丈は俺とさして変わらないが、スポーツでもやっているのか、俺や相原よりも少し身体が厚い。それなのに筋肉バカということもなく、理知的でとても落ち着いた雰囲気の持ち主だ。

 ただ一つ欠点をあげるならば、それはあまり感情を表に出さないところだろう。

 無表情というわけではないが、普段杉浦が笑っているところはあまり見ない。

 近頃、仲が良くなるにつれて次第にいろんな表情が見られるようになったことを考えると、どうやら親しい間柄でないとなかなか表情が崩れないらしい。

 それが大人っぽい外見とあいまってとっつきにくい印象を与えているんだろう、と考えながら杉浦を見ていると不審そうな顔をされる。

「そろそろ戻った方が良くないか?」

「あ、ああ、そうだな」

 慌てて杉浦から視線を逸らして、広げたままの弁当箱を片付ける。

「各務さんがうまく納まるといいな」

 杉浦の隣に並んで階段を降り始めると、杉浦が階段で響くのを気にしてか静かな声で言った。それに苦笑して頷くと杉浦も少しだけ笑う。そうして二階まで降りたところで俺と杉浦は別れた。

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