第23話

目の前にある、むすっとした桜の顔が恐い。

 かわいい感じの顔立ちにひどく険悪な目付きをするものだから、うっかり尻込みしてしまいそうになる。けれどこのまま引っ込むわけにもいかない。このまま逃走したくなる気持ちを堪えて俺は言葉を次いだ。

「という訳で、……桜ちゃん聞いてる?」

 ふい、と顔を背けて相原の方に視線をやった桜に問いかけると、彼はすぐにこちらに向き直った。

「聞いてるよ」

 答える声は刺々しい。

 うう、いたたまれない。

「あ、うん。そんな訳だから、もうそんなに相原を警戒しなくてもいいから」

 苦笑しながら宥めるように言うと、俺よりも少し背の低い桜がずい、と顔を近づけて来た。

「本当にそれでいいんだな」

 強い語気に思わず身を引いてしまった。けれどすぐに気を取り直す。

「うん、いいんだ」

 気遣ってくれるのが嬉しくてつい笑ってしまうと、桜は憮然とした表情で、それでもわかったと頷いてくれた。

「話は終わったか?」

 話が切れたのがわかったのか、杉浦が近寄って来た。

「ちょうど終わったところ」

「そうか」

 俺と杉浦が話していると、一度は緩みかけた桜の顔が再び険しくなる。

「玲」

「何? 桜ちゃん」

「なんでこいつがいるんだ?」

 納得いかないというのを丸出しにした桜の声音に、俺は再び苦笑するはめになったのだった。

 季節が少し進み、今は既に三月も半ばになった。

 卒業式も国公立大の前期日程の合格発表も終わり、三枝、桜、椿の大学入学が無事に決まっていた。ついでに智也も無事に都立美原高校に合格し、俺の周りには晴れやかな空気が流れるようになっていた。

 そこで入学祝いと桜たちの卒業祝いも兼ねて、俺の家でささやかなパーティを開こうということになったのだ。言い出しっぺは相変わらずこういうイベントごとにはまめな相原だ。

 パーティのメンツは前回のクリスマスパーティの参加者に、杉浦を加えた合計7人。と言っても杉浦を参加させたのは俺の独断だった。そのせいで何も知らなかった相原は当初不機嫌そうにしていたけれど、すぐにどうでもよくなってしまったようだ。

 むしろ相原以上に機嫌が悪いのは桜だ。杉浦の姿を認めるなり、眉間に深い皺が寄せられてしまい、一向に消える気配がない。

 相原のことを説明する前からそんな調子だったものだから、無事に相原のことを納得してもらえたのは奇跡に近いのかもしれない。

「桜ちゃん、なんでって……」

 正直に言って、桜が杉浦の存在にそんなに機嫌を悪くする理由がよくわからない。俺の護衛を任せるくらい杉浦のことを信用しているのなら、もっと友好的な態度になるのが普通ではないのだろうか。

 不思議に思いながらも俺はごく当たり前の理由をあげてみた。

「だって杉浦には色々世話になったし、桜ちゃんたちからすれば生徒会の後輩だし。大体桜ちゃんが杉浦に無理難題押し付けたんじゃないか。そのお詫びとお礼をしてもおかしくないと思うんだけど」

「うっ……」

 本当のことを言われたせいなのか、桜が一瞬怯んだ。

「それは、そうだけど」

「だったら今日、杉浦を呼ぶのがちょうどいいじゃない」

 わざとにっこりと笑うと桜は口元を引き攣らせて諦めたようにうなだれた。

 そもそも桜は俺には甘い。多少の我が儘なら通してくれるとわかっているので、あえて強く出てみたのは正解だったようだ。

「わかったよ、俺の負けだ」

 ため息をついた桜が折れた。

「もう相原とのことにも、杉浦のことにも口は出さない」

「ありがとう、桜ちゃん」

 俺の言葉に苦笑を返して、桜は少し離れたところにいる相原たちのところへと移動していった。

「よかったな。各務さんにわかってもらえて」

 桜の後ろ姿を見ながら杉浦が声をかけてくる。

「どうなるかとどきどきしたけど、なんとかな」

「それでも認めてもらえてよかったじゃないか」

 まるで俺と相原の間にあったことを何もかも知っているような杉浦の口ぶりに、どきりとする。まさかと思うがそこはなんとか顔に出さないように努める。墓穴は掘りたくない。

「ただの喧嘩なのに。桜ちゃん、ちょっと大袈裟だよな」

「ふ~ん?」

 色々とごまかすように言うと、杉浦は含みを持たせたような答えを返してくる。

 薄く笑う杉浦に胸が跳ねる。それを知ってか知らずか、杉浦はそれ以上は追及せずに桜を追うようにして三枝や椿のいる方に行く。

 その背中を見ながら、杉浦は全部知っているんじゃないかという確信めいたものが胸をよぎった。もしかしたら一番敵に回したくないのは桜よりも杉浦かもしれない。

「でもどうして?」

 小声で呟くと、ちょうど智也がキッチンから声をかけてきた。

「玲一、こんな感じでどうだ?」

「あ、今行く!」

 一抹の不安を覚えながら俺はキッチンへと向かった。



 時折、相原と俺にじっとりと纏わり付くような桜の視線を感じたけれど、パーティは大きな問題や争いも発生せずに恙無く終わった。

 ただ一つ、桜が浴びるように酒を飲んだことを除けば、の話だ。

 六時から始めたパーティだったけれど、七時で早々に三枝と椿が抜けた。もともと映画を二人で見に行くことになっていて、席も予約済みだったため途中で抜けることになっていた。全員の都合のよい日が今日しかなかったから仕方がない。

 そうして二人が抜けた後から、桜は微妙なメンツの中に残された居心地の悪さを隠すかのように酒を飲み始めた。新たに差し入れとして持ち込まれたものに加えて、クリスマスパーティの時にもらった日本酒が残っていたのがあだになった。

 目の前にあった酒を智也以外の四人で飲み切った後、コップに注いだ日本酒を早いピッチで二、三杯飲んだときには桜の目は完全に据わっていた。いい加減まずいだろうと止めても飲み続けるから、最後には三人掛かりで日本酒を取り上げる事態にまでなった。

 その後飲み過ぎたせいか、あるいは疲れていたせいか、桜は床に座ったままソファに寄り掛かって寝始めてしまった。

「桜ちゃん、桜ちゃん」

 カーペットの上に横たえるようにしてやり、冷えないように毛布をかけてあげていたせいか、桜はぐっすりと眠っていた。起こそうと声をかけるとまだ眠っていたいのか、毛布を深く被ってしまう。

 それに苦笑しながらもう一度声をかけながら肩を揺すると、嫌がるような仕草を見せた後にうっすらと目を開いた。

「んー、玲?」

 眩しいのか一度開いた瞳を細める。

「もうお開きにするけど、泊まっていく?」

 初めは理解できなかったのか、そのまままた寝てしまいそうな桜にもう一度声をかける。

「桜ちゃん、帰る? 泊まってく?」

「……帰る」

 きちんとした答えを返した桜は起き上がった。

「悪い、水くれないか」

「気持ち悪い?」

「気持ち悪くはないけど……」

 相原が気をきかせて持って来てくれたコップを桜に渡すと、それを勢いよく飲み干して、桜は緩慢な動きで立ち上がった。

「わっ」

 けれど酒のせいで足元がおぼつかないのか、力が入らないのか、桜は大きくよろけて床に倒れ込みそうになる。

「桜ちゃんっ」

「しっかりして下さいよ」

 驚いて、慌てて助けようとする前に杉浦が後ろから桜を支えてくれた。

 杉浦は一度桜をソファに座らせて手際よくハーフコートを着せる。そのまま杉浦が手を引いて桜を玄関まで連れていく。

「一人で帰れるから」

 少し呂律が怪しいながらも桜は言い切って、杉浦の手を叩くようにして退けた。

 それから、たたきとの段差に腰掛けて靴を履くところまではよかったのだけれど、立つと足元がふらふらしていて危なっかしい。とても一人で帰れるようには思えない有様だ。

 桜がこんな風になるななんて初めてのことだ。今までは頼れる年上の従兄弟という意識が強かったので、どうしても意外さが先立ってしまう。それに顔が赤くなった桜はちょっと可愛かった。

「桜ちゃん、俺が送ろうか?」

 どうにも一人で帰すのが心配で申し出ると、素早く靴を掃いて桜の腕を取った杉浦が声を発した。

「いや、俺が送っていくよ。梶はパーティの準備から片付けまでやってて疲れてるだろ。 相原は家も近いからそっち手伝ってやれよ」

「ああ、こっちは任せとけ」

「悪いな、杉浦。桜ちゃんのこと、よろしく頼む」

「気にするな。ああ、各務さんしっかりして。ちゃんとつかまって下さい」

 一人で帰れると暴れるようとする桜を宥めながら、杉浦は俺たちに背を向ける。二人を相原と一緒に門まで見送りに行き、桜を支えるようにして歩いていく義浦の後ろ姿に俺はぽつりと言葉をこぼした。

「桜ちゃん大丈夫かなぁ」

「大丈夫だろ。各務さんは見た目以上にタフなんだから」

「でもあんな桜ちゃん初めて見た」

「ま、みんな酒に酔ったらあんな感じだろ。気にすんな」

「……うん」

 二人の姿が見えなくなるまで見送って、それから俺と相原は家に入った。

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