第21話

「……今度は一体何があったんだ? お前ら」

 ホームルームの途中にうんざりとしながら聞いてきたのは、言うまでもなく奥住だ。

「被害が無くなるまで近づかないんじゃなかったっけ」

 何食わぬ顔で俺が茶化すと、奥住は心外だと言わんばかりの顔をする。

「俺は爆心地にいたくないだけで、何も我関せずを通したいわけじゃないさ。で、何があったんだよ?」

 言って奥住は廊下の方に目をやった。姿こそ見えないがそこには桜がいるはずだ。

 昨日の生徒会室での一件以来、桜の機嫌は地を這うくらいに悪い。それこそ見た目からもその怒りがはっきりとわかるくらい悪い。

「俺は何より各務さんが恐いよ」

 真剣な顔をしてぼやく奥住のことを責めるわけにもいかない。

 桜は去年の生徒会を立役者の一人なのだ。もちろん表立って目立っていたのは会長の三枝や副会長の相原だが、裏で切り盛りしていた仲間には敏腕会計の桜も含まれるに違いない。あのどこか飄々としている三枝を相手にする力があるくらいなのだから、桜が相当の人物なのは間違いない。

 そんな桜が昨日から一日中俺にべったりなのだ。奥住や普通のクラスメートから見れば天変地異が起きたか、受験で疲れた桜の奇行としか思われないに違いない。

 だからといって俺がそんな桜の行動を喜んでいるかと言えば、もちろん違うわけで。

「俺だって恐いよ」

 正直に言うと奥住は意外そうな顔をした。

「お前が? 従兄弟だろ?」

「そりゃあ奥住に比べればマシってもんだけど、桜ちゃんは何もかもが俺より強いからなぁ」

「あの顔で強いってのは犯罪だよなー」

「……まぁな」

 心の中で、本当は順序が逆なんだけどなぁ、なんて思いつつそこはあえて突っ込まないでおいた。

「まぁ、ざっくり言えば俺と相原の冷戦に桜ちゃん乱入ってとこかな」

 呟くようにして言えば、奥住は鞄に入れるために手にしていた教科書をばさばさと机に落とした。

「……そう、なのか?」

 その顔が微かに青くなっていたようだったが、俺は見て見ぬ振りをした。



「梶、昼飯行くぞ」

 机に伏してうとうととしていた俺は声をかけられて、意識がはっきりしだした。

 ゆっくりと身体を起こしてみれば視界に入るのは3組の杉浦<すぎうら>だ。

「あぁ、杉浦……」

「おい、寝ぼけてんなよ。早く行かないと学食で席が取れないだろ」

 容赦ない杉浦の言葉にあくびをしながらのそのそと動くと、疲れてんのかと声をかけられる。

「そうでもないんだけど」

「そうか」

 それだけ言うと杉浦は黙った。杉浦はもともと口数が多い方ではないので、俺も気にせずに席を立った。

 二人で学食に行くと既に席はほとんど埋まっていた。わずかな空間に席をとって他の集団に挟まれるのはお互い嫌だったので、結局二月の初旬にも関わらず屋上での昼食となった。

 陽射しは温かいが風がまだまだ冷たいこの時期に、わざわざ屋上で弁当を食べようという人はそういない。実際、杉浦と連れ立って来た三年棟の屋上には誰もいなかった。向かいに見える一年棟の方には誰かいるようだったが、こちらからはよく見えなかった。

 少し寒いなと文句を言いつつ、人に揉まれるのは嫌らしい杉浦はさっさと冷たいコンクリートの床に腰を下ろす。俺も隣に座り込んでそそくさと弁当を開ける。

「今日は風がなくてよかったな。日差しで充分暖かい」

 空を見上げる杉浦が眩しそうに目を細めた。

「寒いのに外に付き合わせて悪いな」

 もう何度目になるかわからない謝罪の言葉を口にすると、杉浦はいつも通り少しだけ笑う。

「気にするな。……どっちみち断りようがないんだ」

 断言する杉浦にむしろ俺の良心は痛む。本来、まったくの部外者である杉浦を巻き込んでしまったのは完全なアクシデントだ。

 二月も半ばに差し掛かり、桜もいいかげん国公立大の受験に向けて最後の追い込みをしなければならなくなった。さすがに学校に来ると相原と俺のことが気になって勉強に集中できないらしく――多分、本当は登校してない方がそうなんだろうけど――、信頼のおける人物に俺の護衛を頼むことにしたらしい。

 その実、百合おばさんあたりからも毎日学校に行って遊んでるんじゃないかと釘を刺されて、そうそう登校できなくなったのではないかという気もする。

 何はともあれ、そうして俺に付けられた護衛が目の前にいる杉浦務<つとむ>なのだ。杉浦は現生徒会の会計で、桜の後任にあたる。桜としても相原の行動を把握して、俺の身を守って、かつ頼みやすい――断る余地は多分なかったはずだけど――人物として杉浦ほどよい人間が思い付かなかったのだろう。

 杉浦が『各務さんにお前の身の安全を確保するように言われた』と言って、一週間ほど前に昼休みに突然現れたときはあまりの驚きと恥ずかしさに倒れそうになった。

 桜が守ろうとしてくれるのは有り難かったけれど、いささかやりすぎじゃないかと疑問を感じる。それでも俺は杉浦の返答に苦笑することしか出来なかった。

「ところで、だ」

「なんだよ」

 ふと弁当を食べながら杉浦が話しかけてきた。

「何があったかは知らないが、相原は敵に回さない方がいいと思うぞ」

 あまり表情が豊かとは言えない杉浦は、いつもと変わらない表情で淡々と続ける。

「まぁ相原との付き合いは梶の方が長いからわかってるとは思うけど。ああいうのは怒らせると厄介なタイプだ。頭がいいだけに手に負えなくなる」

 さすがに生徒会で一緒に仕事をしているだけあって、杉浦は相原のことをよく知っている。

「はは……確かに。でも俺は相原と喧嘩するのは初めてだな。杉浦は?」

「俺か? 俺はまあ喧嘩というほどでもないけれど、ぶつかるのはいつもだな。大体、会長と会計は喧嘩してばかりかな。会長は派手に色々とやりたがるけど、会計は予算の都合上、全部を認めるわけにもいかないしな。うまくやりくりしないといけないからどうしてもぶつかることが多い。去年の三枝さんと各務さんがいい例だな」

「なるほどなぁ」

 杉浦にそう言われると妙な説得力がある。

 思い返せば確かに三枝と桜はよく会計についてもめていた。といってもあの二人は普段からやたらともめごとが絶えない二人なのだけれど。

「俺のは仕事上だけどな。普段はそんなに一緒にいるわけじゃないし、そういった意味では、相原と喧嘩はしたことがないな。相原と一番親しいのは梶だと思うし、梶ですら喧嘩したことないなら他の人もないんじゃないかと思うけど」

 ちらっとこちらに視線を向けてから、杉浦はすぐに屋上のフェンス越に周りの風景に目をやった。

「梶はどうして生徒会に入らなかったんだ」

「俺? どうしたんだよ急に」

「よく生徒会に出入りしてるのに何でかなと、前から少し気になってただけだ」

「あのなぁ、よく考えてもみろよ。俺が生徒会に出入りしてるのは全部相原のせいなんだぞ。まぁ多少は桜ちゃん目当てに通ってたときもあったけど、でも基本的に俺はあいつの奴隷のように働かされてたんだぞ! 好きで雑用係やってるわけじゃねーよ」

「……それもそうか」

 杉浦は納得したように頷いた。

 再び沈黙が落ちてくる。けれど不思議なことにそれが苦痛ではない。

 考えてみれば杉浦とこうして二人で昼食を採るなんて、なんだか不思議な感じがする。もともと杉浦は一年生の頃から雑務要員として生徒会の役員だったから、桜と相原の関係でよく生徒会に出入りしていた俺とはよく顔を合わせていた。

 けれどクラスが別だったせいもあって、とても仲が良いということもなかった。いわゆる知人よりは仲がよいけど親友まではいかない友人というかそんな感じだったのだ。

 それが気がついてみれば桜の職権乱用とも言える無茶な行動の結果、こんなことになっている。なんだか本当に申し訳ない気持ちになる。そうして謝ると返ってくるのはいつも気にするなの一言なのだけれど、それでも謝らずにはいられない。

「すぎうらぁ、本当にごめんな。面倒なことに巻き込んで」

 誠心誠意謝るとこれまでと違って杉浦が少し笑った。

「何回目だよそれ。いいよ、気にするなって」

「でも桜ちゃんが無茶なこと言うから……」

「各務さんは純粋にお前が心配なんだろう」

「だからって杉浦だって巻き込まれたら不愉快だろ」

「まあ、ものすごく楽しいわけじゃないけど、個人的には楽しいよ」

「え?!」

 予想外の答えに思わず声を上げると杉浦の笑みが深くなる。

 そんな表情は初めて見た。普段の無表情とまではいかないが、感情があまり表に出ない杉浦からはなかなか想像できない表情だ。

「前から梶とはゆっくり話してみたいと思ってたんだ。だから今回のはちょうどいい機会だったよ。確かに無茶苦茶な内容の頼まれ事だったけどな」

「……本当は俺もそう思ってた。杉浦とはなんだかんだ言ってあんまり長く話したことないんだよな。でも、とにかく、今回は本当にありがとうな」

「いやいや、こちらこそ」

 言うと杉浦は弁当箱を閉じてまたいつも通りの表情に戻った。

「とにかく、怒り狂った各務さんも恐いけど、何より相原の方が何考えてるのかわからなくて恐い。何があったかは知らないけど、早く友好的手段で決着を付けるのが得策だ。手っ取り早く仲直りをすべきだな」

「はは……」

 本当はもう事実上、相原との喧嘩は終わっているんだけどなと思いつつ、これを言うと逆に相原との間に何があったのかを詮索されそうで――杉浦はしないだろうとは思うけれど――、結局俺は笑ってお茶を濁した。

「ま、一番の問題は各務さんなんだろうが」

 杉浦の最後の言葉に苦笑を誘われる。まったくもってその通りだ。

「それは間違いないな」

 食べ終わった弁当を同じように片しながら、俺は相原と和解した日のことを思い返した。

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