第20話

連行された俺は相原に突き放されるようにして生徒会室に入れられた。

「と、と、とっ」

 勢いがついた俺は足を踏ん張ってなんとか転ぶことだけは避けられた。

 ようやく開放された腕にはうっすらと跡が付いている。

 一体どれだけの力で俺の腕を掴んでいたんだ。馬鹿力め。

「ったく何すんだよ。腕に跡付いただろ」

 赤くなった腕をさすりながら文句を言っていると、近寄ってきた相原が俺の腕などには頓着せずに顎に手をかけてくる。そのまま顔を掬うように無理矢理上げさせられた。

 首が前に引っ張られるようになって少し痛い。けれどほんの少しだけ上にある顔に怒りが浮かんでいるようで、それに気付いてしまうと今度は文句を口にはできなかった。一瞬、相原に気圧されてしまった。

「……何、怒ってんだよ」

「お前は何を考えてるんだ? 俺とは顔を合わせようとしないのに、なんであんな女と仲よさ気に歩いてるんだよ」

「は?」

 場の雰囲気にそぐわない間抜けな声を出してしまった。一体なんでそんな発言が出てくるのか俺にはよくわからい。

 それでも理不尽に詰られたことだけはわかって、かちんときた。

「何言ってんだよ。俺が誰と話そうと仲良くしようと俺の勝手だろ! お前には関係ない!」

 ついカッとなって声を荒げながら顎にかかる手を振り払う。相原の綺麗な顔が歪む。その瞳にはっきりとした怒りを感じ取って身体が震えた。

 相原との付き合いは今年で四年目だったが、こんな風に怒る相原を見るのは初めてだ。綺麗な顔なだけに妙な迫力があった。

「この間俺が言ったことについて何か考えたのか」

 相原は問い詰めるような口調で言って、ただでさえ狭い二人の間の距離を縮めてくる。

 俄かに恐怖に似た感情が沸き起こってきて、俺は相原から逃げるように後ずさった。冬の空気で身体は冷えているのに背中や手に汗が吹き出すのを感じる。緊張しているのだ。

「かっ……考えたよ」

「言ってみろよ。どんな答えが出たんだ」

「なんで一々報告しなきゃならないんだよ……」

「お前は俺との友情を取り戻したくないのか?」

「な……なんだ、それ」

 相原が近づいてくるから俺は後ずさる。それを何回か繰り返したところで俺の足は中央のソファの背もたれに引っ掛かった。

 そのまま後ろに進めなくなった俺は、ソファを避けようと相原と対面したまま左に移動する。隣のソファをさらに左に避けようとしたところで相原が距離を一気に詰めてくる。

 驚いて反射的に大きく後ずさると、ちょうど膝裏より少し上のところに肘掛けが当たった。

「うわっ」

 後ずさった勢いで上体が後ろに大きく傾いて、そのまま背中からソファに勢いよく倒れ込んでしまう。ちょうど脚の裏側を基点にして身体が回転してしまった格好だ。回転の軸になったところがすごく痛い。

「……ってぇ」

 膝から下をソファから投げ出して仰向けに寝転がるような形になって呻く。柔らかいとはいえソファに叩きつけられたダメージは大きい。

 けれど、すぐに跳ね起きなかったことを後悔しても遅かった。

 一瞬の出来事に半ば呆然としながらゆっくりと上半身を起こしたのと、脚の辺りに重みを感じたのはほぼ同時だった。

「何やってんだよ?!」

 俺の口から出た声はもしかしたら悲痛なくらい泣き声に近かったかもしれない。

 相原は起き上がった俺の左肩を押して再びソファに身を沈めさせると、馬乗りのような体勢を取った。

 顔の上に相原の影が落ちてくる。危機感を覚えた。

 ここ最近の行動を考えれば、その意味はわからなくても学習能力はつく。これは絶対にまずい状況だ。

 何とか相原の下から逃れようと身体を押し返すが、逆に肩に当てられた手の力が増してソファに縫い付けられる。その力が強いせいで掴まれた肩が悲鳴を上げた。

「……った……痛えんだよ放せよっ。何のつもりだ?!」

 精一杯睨み付けた相原はまるで知らない人間のように見えた。

 それがさらに何をされるかわからない恐怖心を煽り、俺は情けなくも叫び出しそうになる。それをなんとか堪えようと発する声は、けれど当然のように穏やかではなかった。

「放せ! どけっ!」

 手や脚を動かして暴れると、それまで黙って俺を見下ろしていた相原が低く囁いた。

「少し黙れ。大人しくしろ」

 その声の低さに俺は縛られたように動けなくなってしまった。

 逆らうことがひどく恐かった。噴き出した汗で制服のシャツが背中に張り付いて気持ち悪い。

 相原は静かになった俺を見ると、一度身体を起こして左手で眼鏡を取った。それを隣にあるテーブルに置くと再び身体を倒してくる。

 そのまま顔が次第に近づいてくるのに、見ていられなくなって咄嗟に目をつむった。予想通りというか、唇に柔らかいものが触れた。数回軽く触れてそれは離れていく。

 肩から重みが無くなるのを感じてうっすらと目を開くと、薄く笑った綺麗な顔が見えた。

 全てが終わったのかと身体から力を抜くと、まるでそれを待っていたように相原の手が俺の首筋に回った。シャツのボタンを一つ外して、相原の指が耳の付け根から鎖骨の辺りへと這う。

「なっ?!」

 普段、他人には触らせないところを触られて、思わず声を出すと相原の満足そうな顔が目に入る。

 満足そうに笑った相原は俺の制止にも関わらず、今度は手を首から鎖骨の辺りにかけて手を這わせる。冷たい空気に触れて冷え始めた肌に、相原の熱い手が触れるてどきりとする。

 その相原の熱い手の感触で金縛りが解けた。

「やめろって!」

 俄然抵抗を始めた俺に小さく舌打ちした相原は、身体を押し戻そうとしていた俺の手を右手で一掴みにした。そのまま頭の上の方で固定されると、いくら暴れても力が入らない。

 相原の力は強くて、手の拘束は破れなかった。

「なにすんだ!放せ!」

 なおも暴れるようにする俺には構わず、相原はまたキスをしてくる。バードキスを繰り返すうちに次第に緩んだ俺の唇を相原の舌がなぞるようにして、口内に進入してくる。逃げようとする舌を絡めとられると、息が継げなくて苦しい。

「……やめ……ろって」

 キスの合間に切れ切れに訴えても聞き入れてもらえず、苦しさは増すばかりだ。せめてもの抵抗として顔を背けてもすぐに相原の手によって戻されてしまう。

「あいは……らっ……」

 辛うじて名前を呼ぶと、深く入り込んだ舌が上顎をなぞった。

「……んんっ」

 くすぐったいような何とも言えない感覚に身体を揺らすとようやく相原が顔を離す。やっと満足に呼吸が出来るようになった俺は思い切り息を吸い込んだ。

「手……放せよ……」

 小さく息切れしながら訴えたが、相原にはそのつもりはないらしい。手だけは開放されない。

 なんだよと思いながら横を向いてため息をつくと、再び相原の顔が近づいてきた。またキスをされるのかと口を堅く閉じて耐えようとする。もうそれ以外には抗う術もなかった。

「あっ……」

 思わず自分の口から漏れた声に一気に羞恥心が沸き起こる。

 相原の濡れた唇が首筋に触れて、そのまま首筋をなぞっていく。指で触れられるのとは違うぞわぞわとした感覚に身体が震えてしまう。

「なっ……やめ……」

 肩口を時折柔らかく噛まれると身体から力が抜けていくようだった。それに合わせるように空いた相原の左手によってスラックスからシャツが抜かれて、手が肌をまさぐり始める。

 熱い手が皮膚に触れる何とも言えない感覚に身をよじろうとしても、相原に阻まれてどうしようもなかった。

「やめろっ……もう……放せって!」

 あまりの不快感に最後の力を振り絞るようにして叫ぶと、足元の方からいきなり音がした。音の主は俺でもなければ相原でもない。

 突然の出来事に心臓がどきんと大きく打って抵抗を忘れた。

 さすがの相原も咄嗟に俺の上からどくなんて芸当は出来なかったらしい。首に顔を埋めていた相原が観念したようにゆっくりと身を起こすと、ようやく俺の視界が開けて部屋の入り口の方を向くことが出来た。

 けれどそこにいる人物が目に入った瞬間、俺は身体が硬直するのを感じた。

 そこには俺と相原をじっと見ている桜だった。

「……」

 呆然といった様子で桜は完全に固まっている。

 俺が「……桜ちゃん」と呟くとはっとしたように身体を揺らした。それから俺の姿を見て、顔を赤くする。桜のその反応でようやく俺は自分がどんな姿なのかに気付いた。

 腕は相原に縫い止められたまま、鎖骨がはっきりと見えるくらいまでシャツの衿が開かれ、裾はまくられて腹が見えている。そんな自分の恰好にはっとなって、自分の上に乗ったままの相原を咎めようとしたが、それよりも桜の方が早かった。

「ああああいはらぁっ!!」

 桜は一直線に相原の方へ駆けてくる。そのまま力ずくで俺から相原を引きはがす。

 桜は外見に反して腕っ節は滅法強い。相原が手を放そうとしなかったおかげで俺まで引きずられそうになったが、桜がうまく手を離させてくれたおかげでソファから転げ落ちるのだけは免れた。

 相原は無理矢理に俺の上から退かされたせいで少しよろめいたが、何事もなかったかのようにその場に立っている。けれどその綺麗な顔だけが明らかに不機嫌だと主張して止まない。

「玲、大丈夫か?」

 相原には目もくれず、桜は俺の身体を起こさせると肩に手を当てて顔をのぞき込んでくる。

「なんとか。桜ちゃんありがとう」

 俺は応えながらそそくさと着衣の乱れを直す。そんな俺を背に庇うようにした桜は相原と対峙する。

「お前は玲になんてことをするんだ! 無理矢理に玲の意思を無視してこういうことをしていいと思ってるのか?!」

「無理矢理かどうかなんて途中から見た各務さんにはわからないじゃないですか」

「見りゃわかる!!」

 激昂した桜に相原の眉が不満そうにひそめられた。

「お前らの喧嘩の原因は本当はこれだな?!」

「そうですが?」

 さらに眉間の皺を寄せて俺に不満をアピールしている相原の、持ち前のなんでもないような言いっぷりについに桜の勘忍袋の緒が切れた。

「金輪際! 不必要に玲に近づくな!!」

 叫んだ桜は俺の手を引いて生徒会室を出た。俺は一度も相原を振り返らなかった。

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