第9話

そしていよいよ文化祭当日がやってきた。

「いける! これはいけるわ!」

 朝、衣装に着替えて髪の毛をセットしてもらった俺を見て、握り拳を作って感激しているのは言うまでもなく中野だ。同調するように頷いてるのは女子が殆どだったが、近くにいた友人の一人の奥住<おくずみ>も声をかけてきた。

「嫌になるくらいきまってんなー」

 そう言う奥住も似たような恰好でよく似合ってる。

「お前だって似合ってるぞ」

「まぁそこそこな。でもあいつにはかなわねーよな……」

 奥住に促されるまま視線を移すと、そこにはそのままホストの恰好をした相原がいる。

 ホストというとスーツのイメージがあったのだけれど、相原を見るとそうでもないことがよくわかる。わずかに青味を帯びたシャツと革製のパンツは確かに相原によく似合っている。

 鎖骨の辺りまで見える開襟シャツに、光を反射するシルバーコーティングのアクセサリーはチャラチャラした感じがするのに、相原が身につけると不思議と軽さがなくなる。

 普段身につけている眼鏡が外されているのもまたいい感じだ。もちろんのこと、髪の毛も女の子の手によって綺麗にセットされている。

 女の子たちが顔を赤くして見てしまうのもわかる。なんだかちょっと本物っぽく見える。

「さすがにあれに対抗したいとは思わないけど、この恰好はどうなんだ?」

 改めて自分の姿を見る。

 相原以外の男子のうち数人がギャルソンとして給仕する。どうやって調達したのか、女の子たちは揃いの生成りっぽい色味の長袖シャツ、紅色のタイ、黒いスラックスを人数分用意していた。

 ギャルソン役の男は全員その組み合わせなのだけれど、中にはバーテンダーみたいに黒いチョッキを着ているやつもいる。誰がチョッキを着るのか決めたのは、言うまでもなく女子だ。

 ちなみに奥住はチョッキを着ているが、俺は着ていないしシャツもスラックスから出したままだ。コーディネートは女子にすべて任せているので、それぞれに少しずつ変化を加えているのはわざとなのだろう。

「やっぱり見込み通りギャルソン姿似合ってる」

 ポソリと呟いたのは、二週間前に俺にギャルソンをやらせる原因を作った女の子だ。彼女は食料班らしく、制服の上にエプロンをかけている。

「……ありがとう」

 げんなりとしながらもそう言うしかなかった。

 そんな俺の隣で奥住が面白そうに笑っている。それをちらっと見て、改めて教室の中を見るとなんだか異様だった。

 幾人かの女の子は相原や俺のようにそれぞれの衣装を着ているのだけれど、明らかに男より気合いが入っている。

 話によるとレンタル衣装をフル活用したらしいが、普通のミニスカートスーツを着ている子もいれば、いわゆるお姫様風のふわふわのレースをあしらった服――ピンクハウスだっけ――を着た子や、ゴスロリ調のメイド服っぽいのを身にまとった子や。果ては婦警の制服っぽいのを着ている子もいる。クラスの中にそんなのがいるだけで、ある意味恐い光景だ。

 教室にはさっきの彼女のように制服の上にエプロンを付けている子もいて、日常と非日常が入り混じったおかしなファンタジーワールドにでもまぎれこんだ感じがする。

 役割分担としてはエプロンを付けた女の子たちが裏方で喫茶店で出すケーキやクッキーを作り――焼き物は日持ちするので予め前日にある程度の量を用意しているけれど――、手の空いた他の人は衣装管理、シフト管理、会計、BGMなどを担当する。

 それにしてもなんとも大胆な企画だ。よくこんなのが生徒会のチェックをパスしたものだ。

 つーか、本当は女子がこういう衣装着たいがために企画を出したんじゃないのか?

 疑惑が頭をかすめるが、あえて何も言わないことにした。どうせ中野女史あたりに言いくるめられるのがオチだからだ。

「そうそう梶君」

 他のクラスメートと話していた中野がまたもや話しかけてくる。

 今度はなんだ。

「あそこが相談室のスペースだから」

 示された場所を見ると、教室の窓側後方に微妙な空間が出来上がっていた。

 なんだあれ。いつの間にあんなのができた。

「工作班ががんばって作った相談室よ。周りが筒状に二重の暗幕で覆われてるから小さな声だったらもれないし、スペースも割と余裕があるから。中には大きめの円形テーブルとライトが用意してあって、暗くなりすぎないようになってる」

「……またすごいもん作ったな」

 満足そうに頷く中野は俺の顔を見て最後に付け加えた。

「あ、何やってるか外にばれないからって、変なことしちゃダメよ」

「しねーよ!」

 吠えた俺に中野が笑っていると、全校放送が入った。

『十時になりました。ただ今より開門します。美原高校文化祭の開幕です』

「よおっし、やるわよ! みんな!」

 文化祭の開始を告げる放送を聞いた中野が、テンションを上げて声を張り上げた。

 それが2年9組の怒涛の文化祭の幕開けの合図となった。




 □ □ □ □ 




 混雑する教室を出た俺は思い切り伸びをした。

「あ~疲れた」

 首を回すとごきっという音がした。後ろでさすがの相原も疲れたように笑った。

「休み無しだったからな」

「まったく俺らを何だと思ってるんだか」

 文化祭自体は十時に始まっても、始めのうちはなかなか盛り上がらないのが普通だ。けれど2年9組だけは違った。「喫茶2-9」と題した店は開店直後から客が殺到した。

 もちろん我先にと駆け込んできたのは一般の人ではなく、その時間にシフトに入っていない学生諸君だったわけで。

 なにせ普段なかなか話をできない人気生徒会長が店に出るものだから、人が殺到してしまったのだ。教室とテーブルの大きさのせいで、一つのテーブルにつける最大人数の四人が座ったとしても、全体で24人しか入らない。

 しかも相原は一人しかいないから、一テーブルごとの時間制限をしても相原目当ての客がなかなかはけなかった。ついでに相原も女の子にはサービスしたりするから、なおさら客が帰らない。そのせいで開店から十分後には廊下に行列が出来てしまう事態になった。

 おかげで相原のシフトが入っている午後一時まで、一般の人は店に入ることすら出来なかった有様だ。

 まぁ相原を全面に出す時点で、学内から搾り取れるだけ金を搾り取るという魂胆だったから、その目論見は成功したと言えるわけだけれど。

 それにしても俺も相原も本当に働かされたのだ。

 そうは言っても相原なんかいつもやってることと大して変わらないからまだいい方だ。俺なんかギャルソンとして給仕をするかたわら、一時間に四、五人の相談にのらなきゃいけなかったんだ。プロでもないのに!

 何よりひたすら人の話を聞くのはけっこうきついものがある。しかも中には周りから見えないのをいいことにせまってきたり、セクハラまがいのことを言ったりやったりする子たちがいて、大変だった。

 大胆にも机に乗りあげるようにして顔を近づけられた時にはどうしようかと思った。恥ずかしながら暗幕をめくり上げて相談室から逃げ出して、クラスメートに助けを乞うてどうにか切り抜けられたのだけれど。

 そういえば相原との仲を取り持ってほしいとか、相原の秘密を教えてほしいとかいう子もいた。

 そんなのに付き合っていたせいでもう心身ともにぼろぼろだ。たかが三時間の労働だったのにこの疲れかたは尋常じゃない。

「はあぁ」

 もう一度大きく息を吐くと、相原が軽く肩を叩いてきた。

「まぁ今日はもうこれで終わりだからいいだろ。それよりいろんなところ回ろう」

 三時間ぶっ続けで客――笑えることにその半分が一年の男子だった――の相手をして、相原も疲れているはずなのにはっきり言ってものすごく元気そうだ。

「お前タフだよな」

「タフじゃなきゃ会長は務まらない」

「だな。よし、回るか」

 そう言って、まず昼飯にありつこうと歩き出したのはいいんだけれど、相原は予想通りすぐに生徒に囲まれた。

「せんぱーい、なんですかぁその恰好」

「あれ、知らない? 2-9で喫茶店やってるんだけど」

「それは知ってますよ~」

「これはその衣装。テーマはホストだよ」

 どうやら一年生の女の子たちらしく、相原の恰好がホストだと知ってきゃーきゃー騒いでいる。相原は相原で彼女たちに優しく接していて、なかなか話が終わりそうにない。

 仕方がないからその場で相原を見捨てることにした。

 そのままその場を離れてふらふらと歩いていると、2-6の看板が見えた。ふと思い立って教室の中を見ると、以前相原を探していた佐々木がエプロンをつけて接客をしていた。

 覗いたついでにそこで何か買っていくことにして、佐々木の前に立つ。

「佐々木さん」

 作業をしていた佐々木は顔を上げて、俺を見るとすごく驚いた。

「梶君……どうしたの? その恰好」

「うちは喫茶やってるんだけど、この衣装。ギャルソンのイメージらしいよ。2-6はクレープ出してるんだね」

「そうなの。どれ食べる?」

「……じゃあチョコレート生クリーム」

 彼女は器用に作業をしながら「梶君のおかげで企画書が間に合ったの。あの時は本当にありがとう」と再び礼を言ってきた。

「そんなに気にしなくていいよ。実はあのとき、他の人にも頼まれてたんだ」

「でもやっぱり梶君のおかげだもん。はい、お待たせしました、チョコレート生クリーム」

「いくら?」

「これは私のおごり」

「でも」と言うと彼女はいたずらっぽく笑った。

「ほんの気持ちだから受け取って」

 そう言われると断るのも失礼な気がしてそのまま受け取ってしまう。

「ありがとう」

 今度はこちらが礼を言うと、笑いながら「ギャルソン似合ってるよ」と言ってくれた。それに苦笑しながら教室を出ると、そこには相原がいた。

「よくここがわかったな。女の子たちは?」

「あの子たちはどっか行った。それよりいいもの持ってるじゃないか、一口くれ」

「しょーがねーなぁ」

 腹が減ってるのはお互い様だ。クレープを渡しながら、俺たちは二人でまた歩き出した。

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