第10話
「終わったー」
「お疲れ」
教室の前で大きく伸びをすると、ちょうど休憩から戻ってきた相原に声をかけられた。
「そっちこそ。今日は今の休憩終わったら最後までだろ?」
「ああ」
「あと三時間がんばれよ、ってがんばるまでもないか」
「そんなことないけど、……まぁがんばるよ」
「じゃあまた後でな」
そう言って相原とは別れた。
今日、文化祭二日目の相原は一時間の昼休憩以外、店に出っぱなしだ。昨日の反響が大きくて、味をしめた中野がシフトを変えたからだ。まぁ相原も割と乗り気だったようだけど。
それにしても相原の人気はすごい。昨日俺と回っている間だけでも、何度生徒に囲まれたことか。その度に足が止まるわけだけれど、相原がうまくかわすから案外捕まっている時間は短かった。
同時に相原のすごさもわかった。生徒会長としてほんの短い間しかいられなくても、各クラス、部活の出し物を全部見て、声をかけていくのだ。声をかけてもらった子は嬉しそうにしていた。
まったく相原はすごいやつだ。というか、女の子をはべらせてるけど、ちゃんと生徒会長なんだな、なんて今更ながら思ってしまうわけだ。
「さ~てとりあえずメシにありつくとするか」
そう言って俺は一人でたらたらと歩き出した。
「あ、三枝さん」
出し物が少ない三年棟を特に何も考えず歩いていると、前から三枝が歩いてきた。向こうも俺に気付いたのか手を上げる。
「梶君、何してるの?」
「いや、一人なんでなんとなくぶらぶらと。人が多いとこはあんまり得意じゃないんで。そういう三枝さんはこんなとこにいていいんですか?」
「受験生にも息抜きは必要だからね。ぶらっと歩いてたところなんだけど。……相原は?」
どうやら三枝の中でも俺と相原はセットになっているようだ。
「相原は今もシフト入ってて」
「何の店出してるんだっけ? というかその恰好は?」
「ああ、これ……。うち喫茶店出してるんですけど、相原がホスト、他の男はギャルソン、女の子はメイドとかいろんな衣装で接客するんです」
「なるほど、ギャルソンか。よく似合ってるね」
「ありがとうございます」
そこで会話が切れてしまった。立ち止まったままそうなってしまうと、この間のことが思い出されてなんとなくむず痒い感じに襲われる。
何か言わなければ、と思ったところで向こうから話題を振ってきた。
「もしかして、少し疲れてる?」
「……わかりました? 実は少し。小さい頃から知らない人とかと話すと疲れるたちで……」
「さっきも人込み苦手だって言ってたもんな。……生徒会室なら静かだろうから、そこで休んだらどうかな? あそこなら落ち着いて紅茶も飲めるし」
「いいんですか? 俺、部外者なんですけど」
「構わないだろう。俺は前生徒会長だし」
「じゃあ」
ありがたく三枝の誘いにのることにして、二人で生徒会室に向かった。
行儀が悪いとわかっていても疲れには抗えなくて、俺は三人がけのソファに腰掛けると同時に身体を横倒しにした。
「あー疲れたっ」
脚は床に投げ出したまま上半身だけを横に倒す不自由な形のまま伸びをして脱力すると、少しだけ身体のこわばりがほぐれるような気がする。思っていた以上に人に揉まれて疲れていたのかもしれない。
キッチンから戻ってきた三枝はそんな俺の態度を咎めることはせずに、テーブルにティーセットを置いて紅茶を飲むように勧めてきた。
「おいしい……」
身を起して三枝の入れてくれた紅茶を飲むと不思議と気持ちが和む。
作法も何もあったものではないけれど、少しぬるめてある紅茶を一気に飲み干す。温かい液体が食道を流れ落ちていくのを感じながらもう一度横になった。胃のあたりが温まってほっと息を息をつく。
「はあ」
「こういうの飲むと落ち着くから」
そう言った三枝は同じソファの端に腰掛けて微笑んだ。それにまた体から無駄な力が抜けて楽になる。気心が知れている人といるのは楽でいい。
身体を横にしていると心地良さにそのまま寝てしまいそうで、俺は当たり障りのない話題を振った。
「そういえば、三枝さんは大学どんなところを狙うんですか?」
「俺はできれば国立がいいけど……まぁ入れればってとこはあるかな」
「すごいなぁ。がんばってくださいね」
そう言うと俺を見下ろす三枝がほんの少し表情を固くして、手を伸ばして髪に触れてきた。
この人は案外スキンシップが多い。
「弱音を吐きたくなったら言うんだよ?」
そのままこの間と同じように俺の髪の毛をくしゃくしゃにした。小さい頃に戻ったみたいで、嬉しいような気もするけどくすぐったい。
三枝の手はしばらくの間、俺の頭を撫でて、それから離れていった。
手が外れるとなんだか急に恥ずかしくなって、三枝から顔を逸らすように身をよじるとタイが曲がり、シャツが捻じれて首が絞まった。急に息苦しくなって、俺はタイをとってシャツのボタンを二、三個外した。
もう仕事もないし、いいだろう。
呼吸が楽になったことに一つ息を吐いたところで突然、三枝の指が顎にかかった。
え?
指で上向かされた俺の顔に、段々と三枝の顔が近付いてくる。なんだ、と身を強張らせたところで頭上から別の声が降ってきた。
「三枝」
声に反応して、俺に半分覆いかぶさるようにしていた三枝が身を起こした。
「桜<さくら>、いつからいた?」
「結構前から。玲、大丈夫か?」
三枝に対する冷たい響きの返答の後、ソファの背から俺の従兄弟の各務桜が顔を覗かせた。
「桜ちゃん」
答えるように起き上がると、桜は少し笑った。
「大丈夫そうだな」
「うん」
俺の無事を確かめると桜は三枝の方に視線を移した。
「ったくお前は。玲一をからかうんじゃないよ」
「いやぁ、なに、かわいくてつい」
「色ぼけしてんじゃねえ。かわいい彼女がいるんだからよそ見してんな」
そんな桜の発言に「きついなぁ」と言う割に三枝の顔は笑っている。全然こたえていなさそうだ。
ある意味、暖簾に腕押しなのかもしれないし、これが二人なりのコミュニケーションの取り方なのかもしれない。
初めはこんなやり取りにはらはらしていたけれど、それにも大分慣れてきた。二人にとってはありふれた日常の一コマみたいなものなので、特別なことではない。
桜は去年の生徒会会計で、前生徒会長の三枝とは約二年半にわたって生徒会で一緒に仕事をしていた間柄だ。それだけでなく一年からずっと同じクラスで友人でもあり、――桜の双子の姉である椿<つばき>を挟んで、ある意味でライバルでもある。
そういう事情もあって、俺は三枝とは相原が生徒会に入る前から知り合っていたし、気心が知れているのもこの従兄弟を通して面識があるからだった。
「玲もあんまりこいつには近づくなよ。ろくなことにはならないから」
いきなり話題を振られて、ついていけなかった俺は「え?」とも「は?」ともつかない声を出してしまった。この二人の会話はいつもテンポが早くて、俺はなかなかタイミングが掴めない。
「何言ってるんだ、俺は梶君の相談にのって」
「相談になら俺がのるから」
三枝を遮るようにして言葉をかぶせた桜は、心配そうな顔をして俺の頭に手を乗せた。
「うん」
不思議と昔から桜にそうされると安心して落ち着く。桜の母親が俺の母親の姉にあたるので母親が亡くなった後はよく世話になったし、桜とは兄弟のように育てられた時期もあった。だから俺も智也も桜にはなついている。
正直な話、美原高校を受けようとした理由の一つは桜がいるから、だったりする。もちろんそれが一番の理由ではないけれど。
「何かあったら真っ先に相談するよ」
「よし」
桜は俺の返事に安心したように微笑んだ。それから少しためらった後で俺の髪を撫でる。
「大学のこと悩んでるのか?」
「悩んでるわけじゃないんだ」
「じゃあ、やっぱり?」
「それは……決めてあるから」
桜は俺の返事に困ったように笑う。
「後悔だけはするな。なんかあったら言えよ」
「うん……大丈夫」
「俺も相談にのるからね」
「お前は黙ってろ」
口を挟んだ三枝を睨み付ける桜を見て、思わず笑ってしまう。いつも守られているような安心感にほっとできる。自分には頼れる人間がいるのだと思うと楽になる。そんな風に笑った俺を見て二人が微笑んだ。
「あ、梶君どこ行って……」
文化祭の閉会式が終わったアナウンスを聞いて教室に戻ると、片付けが始まっていた。
「悪い悪い、寝てた」
声をかけてきた中野に答えると食い入るように見られる。
「……その恰好どうしたの?」
「あ、これ? ちょっと先輩とじゃれたから」
「……じゃれたって」
ほのかに顔を赤くして俺の開いたシャツを見る中野に、今までのお返しとわざとにっこりと笑う。
「秘密」
口元にそっと指を持って行ってそう言うと、周りの女の子たちまで真っ赤になった。
「なにそれっ」
中野の質問には笑うだけで答えず、制服を掴んで着替えるために教室を出た。後にした教室が俄かに騒がしくなるのを聞いて、ひっそりと笑う。
こうして長いようでとても短い文化祭は終わったのだった。
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