第8話

突然の報告に俺は教室で叫んだ。

「はぁーっ?!」

 一人素っ頓狂な声を上げた俺はクラス中の注目を集めてしまっていた。

「いつの間にそんなことになったんだよ?!」

「だから昨日だって」

 くってかかる俺に答えたのはクラスの文化祭実行委員、中野<なかの>だった。

「昨日のいつだよ? 俺知らないぞ!」

「だからぁ、梶君はいなかったんだってば。6時間目が終わった後からいなかったじゃない。その間に決まったの」

「昨日の6時間目の後……?」

 なんとなく嫌な予感がして思い返してみれば、6時間目が終わった後トイレに立ったらいろんな人に捕まってしまったのだ。

「その時間は俺は相原に書類渡してほしいって言われて……」

 それで、相原を捜しに生徒会室に行ってそのまま寝てしまったのだ。目を醒ましてしばらくしてから生徒会室に来た相原は、これについては何も言わなかった。

「おいっ相原! お前はそんなことになってるなんて言わなかったじゃねーか!」

 クラスの女の子に笑いかけている相原に矛先を向けても、軽くあしらわれる。

「その場にいなかったお前が悪いだろ」

 しれっと言われると無性に腹が立つ。

 お前のせいだろ、お前の! どう考えてもそうだろ!?

 腹の中で怒りをぶつける。

「そういうことでこれはもう決定済みなの!」

 その一言で俺と今までになく強気な姿勢の中野の闘いは、あえなく中野女史の勝利に終わったのだった。

「だからってなんで……」

「いいじゃない。いつもやってることなんだし、基本的には話したい人の話を聞いてるだけでいいんだから! それにきっとウケるから、だ~いじょうぶだって」

 腰に手を当てながらピースする中野は得意げだ。

「俺は見世物パンダじゃないんだそ……?」

 もはや抵抗する気力もない俺の声はきっと哀れなほど弱々しく聞こえたのだろう。中野はなおも強く言った。

「梶君は顔がいいからいいのよ。そんな男の子が相談にのってくれるだけで女の子は嬉しいんだから、絶対成功するわよ!」

「でもうちのクラスが出すのは喫茶店だろ?!」

「それだけで文化祭競争で勝ち抜けるわけないでしょう! オプションが付いてなんぼよ!! 大体女の子に喜ばれるんだからいいじゃない!」

 握り拳を作って力説したあげく、最後のセリフに合わせてびしっと人差し指で指されてしまえば、突っ込みどころは満載のはずなのにもはやぐうの音も出なかった。

 というより、俺には中野に勝てる気がまったくしなかった。

「わかったよ……わかった。やるよ」

「やった」

 うなだれるように降参した俺とは対象的に、中野はすっきりした顔をしている。ちなみにクラスのみんなはなぜか拍手して、中野の粘り強さを表彰している。

 何だよこのクラス……。俺の味方はいないのかよ。

 そう思わずにはいられなかった。

 そもそも何でこんなことになったかというと。ホームルームが終わった後、文化祭の準備についての予定や役割分担が発表されたのだが、それがことの始まりだった。

 前から回って来たプリントを見て俺は思わず動きを止めた。何も知らなかった俺の名前がなぜか、「文化祭特別相談室」というところに書き込んであったのだ。

 企画の主旨としては、「クラス全体で催す喫茶店に来た客をカモに、さらに金をふんだくる算段……いやいやいや、せっかく来てくれたんだからサービス料金百円で色々相談にのりましょう」ということらしい。

 ついでに言えば、クラス主催の喫茶店の裏標語は「学校一の男、相原慎をダシに女性の心を掴め――相原慎ホスト喫茶ここに開店!」だ。

 つまりどういうことかといえば、男子はホストっぽく、女子はメイドとかお姫様っぽい感じで客をもてなす喫茶店をやるということだ。

 そのプリントを見るまで何も知らなかった俺は、そして冒頭のように声を上げたのだった。

 結果、戦いには敗れたのだが。

 状況を受け入れられずにうなだれていると、普段あまり話をしないおとなしめの女の子がそっと寄って来た。

「でも梶君はギャルソン姿もカッコイイと思う……」

「う……」

 呻かずにはいられなかった。

 このクラスの奴らはなんだかんだ言って俺のことをよく知っている。こんな風に女の子に言われたら断れないってことをわかっているのだ。わかっていて、こうやって刺客を差し向けてくるのだ。

「わかった、やるよ。やればいいだろ!」

 恥ずかしさまぎれに言えば中野がニヤリと笑った。

「梶君ホスト役に追加~」

 俺は明るい声で楽しそうな中野をじっとりと見ずにはいられなかった。




 □ □ □ □ 




 都立美原高校は二学期前半のカリキュラムも少し変則的になっている。

 二学期の中間テストが十月の第二週頃に行われ、その後の十一月の初めに文化祭がやってくる。テストが終わってから文化祭になるように仕向けられているのだ。

 どこの学校もたいてい文化祭は盛り上がるが、テストが終わった解放感も手伝って美原高校の文化祭は一段と学生が盛り上がる。

 それに拍車をかけるのが、学年のクラス割だ。美原高校は一、二年の間はクラス替えがないため、二年になると結束力も増し、盛り上がりが尋常じゃなくなる。

 特に文化祭の出し物の中心的存在になるクラス実行委員にやる気があると、それはもうすごいことになる。別に景品や賞金が出るわけでもないのに、どこのクラスよりもよい出し物をしようと燃え上がるのだ。

 まぁ、喫茶店とかの営利が多少認められているから、売り上げが伸びれば伸びるほど利益は大きくなって、自分たちが得するので盛り上がるのはいいと言えばいいのだけれど。

 だからってなんで俺がホストの上に、人から相談される役をやらなきゃならないんだ。

 と思わずにはいられないのだけれど。でも、クラスのみんなの考えもわからなくはない。

 美原高校における文化祭の指揮系統は、学校-生徒会-文化祭実行委員という形になっている。最終的には文化祭における全権は、基本的には文化祭実行委員会に譲渡される。

 ただ、飲食店や商店などの企画で特別の器具の調達や物品の仕入が必要な場合は、学校を通してレンタルあるいは一括購入をするので、企画段階では生徒会がパイプラインとなって動くことになる。

 文化祭実行委員会から上げられた企画にダメ出しをしたり、割り振りをしながら、予算枠を決めたりする。そしてそれを学校側と調整する役割だ。

 けれど生徒会の仕事は企画段階までで、そこから先のことは全て実行委員会の仕事になる。特に問題が起こらないかぎり生徒会は関与しない構造だ。ちなみに体育祭も同じように実行委員に委任される。

 つまり普段忙しい生徒会も、文化祭の渦中は実は暇になるのだ。

 そんなこんなで、去年よりも結束が固くなり、しかも人気が全校規模にまで拡大した相原を有する我が2年9組は、ここぞとばかりに相原を売り出すことにした。せっかくクラスで出し物をするのだから、いつも忙しくしている相原にも参加してもらおうという心遣いなのだ。

 それを心遣いというのか野心というのかは人によって異なるのだろうけど。

 それはともかく、だからと言って自分が巻き込まれるのは何か違うと思うが、女の子のパワー――特に中野女史みたいな――には勝てない。押し切られて結局は引き受けてしまう。

 そんなこんなで今日も文化祭当日に着用する衣装の採寸をされたばかりだった。



 テストも終わり、校舎内には文化祭に向けての熱気が溢れている。普段は校内で堂々と携帯電話で通話をすると教師に注意されるのだけれど、文化祭直前の慌ただしさの中ともなれば誰も注意などしやしない。

 みんな誰かと連絡を取り合うために電話を耳に当てている。

 そんな雑然としている廊下を何気なく歩いていると、背後から声をかけられた。

「梶君」

「藤田さん」

 振り返ると、そこには数ヶ月ぶりに正面から見る藤田がいた。今までに見たことがない緊張したような顔をしていて、俺は少しだけ驚いた。

「ちょっと、いい?」

 それには答えず、俺は曖昧な笑みを浮かべた。

 連れてこられたのはほんの数ヶ月前に二人が初めて話をした教室。今もその周りには人がいない。

 こうして藤田と話をするのは夏休みのあの日以来だった。相原に問い詰められたせいなのか、あれ以来藤田からは連絡も来なくなっていた。元々俺からは連絡をしたことがないので、藤田とはそのままになっていた。

「今日は何?」

 別に厭味で言ったわけではないけれど、彼女にはそう聞こえたのだろうか。顔が少し歪んだ。

「あ、……別に厭味とかじゃなくて。今日はどうしたのかなって」

 意識して柔らかめの声を出すと、少し安心したように彼女は小さく息を吐いた。それから大きく息を吸って、顔を赤くしながら震える声を出した。

「あなたが好きです。付き合ってください」

 一瞬だけ俺の時間が止まった。けれどすぐにまた正常に動き出す。ほんのわずかの間だけ訪れた静寂に、けれど心が揺れることはなかった。

「気持ちは嬉しいけど……ごめんね」

 静かに謝ると、彼女は泣きそうになるのをこらえるようにして、俺の顔をしっかりと見た。

「相談のこと利用してごめんなさい」

「……うん」

 相原から俺に藤田の気持ちが伝わっていると知っているにしても、こうして面と向かって告白してくるのにどのくらい勇気が要っただろう。それを考えると申し訳ないような気がしたけれど、好きでもない子と付き合えるほど俺は器用じゃない。

 それに根本的なところで嘘をつかれるのはやっぱり嫌だった。

 そうは思っていても俯く藤田を見ていると切ない気持ちになる。

 切なくて、最後にそっとその肩に触れる。藤田は触れられたことに驚いたように顔を上げたけれど動かなかった。そしてしばらくしてから、「もう行くね」と言って部屋を出ていった。

 静かな学習室に一人取り残されるとなんだか寂しいような気がして、俺は無性に誰かに抱きしめられたくなった。

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