人間炭酸風呂
友人である
「どっしたの。ため息なんて、らしくないさね」
うん、そうね、と、空返事。
心ここにあらず、といった具合。重症のようだ。
友人として、力になりたい。そう思った巴は、真面目な顔を作って、寿美の真向かいに座り、話を聞く姿勢を取る。
「ため息ばかりだと、幸せが逃げていくんだぞ」
よしよし、と、頭を優しく撫でてあげると、心なしか寿美の表情が和らいだ気がした。
「……うん、そうね。
こんなことで、悩んでいても仕方ないわよね」
うんうん、と、巴は頷く。
「それに、ため息ばかりついてちゃ、
お風呂も炭酸になってしまうだけだものね」
「話くらいなら聞いてやるさ。
そのための、友達、だろ?」
「ありがとう……。
巴みたいな友達が居てくれて、これ程までに嬉しかったことはないわ」
寿美の瞳には、うっすらと、涙が浮かびあがっていた。
「さぁ、話してみたまえ」
「うん、実はね……」
「…………え? 今、なんて言った?」
「……まだ、何も……?
それでね、実は───」
「どうして、お風呂が炭酸になるの?」
巴から投げかけられた言葉に、寿美は、ハトが豆鉄砲食らったかのように、実に間抜けな顔をしていた。
「……なんの話?」
「さっき自分で言ったんじゃん」
「いや、あ、あの……、
それは、だから……冗談で言ってみただけで」
巴は寿美から顔を背けて、どうして炭酸に……? などと、ぶつぶつと独り言を漏らしていた。
「あのさ……ちょ、巴……、あの!」
普段は物静かな寿美が、一段と声を張り上げて、巴の注意を惹こうとした。
その画策は成功し、未だ
「そんなことよりさ!
話、聞いてもらっていい?」
「ゴメン。
なんか、今の私ね、
お風呂が炭酸になるメカニズムが詳しく知りたくて仕方がないんだ」
「…………」
「だから、人生相談は、その後で、ね?」
ぱちり、とウィンクをする巴。
寿美は、さらに、深くため息をつく。
元来移り気な彼女に相談役なんて務まるはずがなかった、と今更ながらに後悔した。
「……いや、だからね、
人間の吐く息には、二酸化炭素が含まれているでしょう?」
そして、こうして真面目に解説してあげる自分にも嫌気が差した。
「炭酸ってのは、水に二酸化炭素が溶け込んで出来ているワケだから、
じゃぁ、お風呂の中でため息つきまくったら、
そのうち炭酸になるんじゃない? っていう、
理系ならではのウィットに
「あはははははははははは!!
ため息でお風呂が炭酸に!?
なるわけがない!
理系でない私でも分かるよ、そんなこと!」
げらげら、と腹を抱えてそのまま椅子ごと後ろに倒れそうな勢いで大笑いする寿美。
「だ、だからぁ……、先に冗談を前提に言ってたと思うんだけど……」
周りの視線が集まっているのが分かる。
途端に、恥ずかしくなってきた。
「あの……、もういいでしょ!?
だから、早く私の話を───」
気づくと、目の前に巴の姿は無かった。
巴は、いつの間にか、別の席の他のクラスメイトに話しかけていた。
「なぁなぁ! ため息でお風呂が炭酸になるワケねーよな!?」
「お願いだから、他人に言いふらさないで!」
しかも、巴が話しかけていた相手はというと。
寿美の悩みの種である元凶の、小林だった。
寿美は、小林に前々から密かに思いを寄せていたのだが、つい先日、その小林に彼女がいるという噂を聞いてからというもの、失恋したのだと勝手に塞ぎ込んでしまっていたのだった。
「なんだそれ?
そんな話、誰がしてたんだよ?」
「アイツ」
寿美は、ご丁寧に私へとその指を差し向けていた。
「ははは、そっか。あの市川さんが、……ねぇ?」
もう人生相談なんていいから、早くこの場から消え去りたかった。
「ご、ゴメン。巴。
私、お手洗いにいくからっ」
お手洗いと言いつつ、寿美はこの昼休み中、渡り廊下を行ったり来たりするだけの苦行に勤しむつもりだった。
しかし、そんな思いつきも、次の一言で何処かへと吹き飛んだ。
「炭酸風呂かぁ……。
そういや、小学校以来だなぁ」
寿美は、耳を疑った。
「マジで!? ため息で本当に炭酸風呂に!?」
巴は胸を弾ませながら、小林に答えを催促した。
「あぁ。その頃は、家庭のこととかで、いろいろとあってな、
毎日ため息ばかりついてたんだ。
そしたら、ある日突然、お風呂の表面にぼこっと泡が湧いてきてな」
「屁だったってオチだったら、ぶっ飛ばすからな」
小林君が、おならなんてするワケがないでしょ! バカ巴!
寿美は、そのまま巴の背中を蹴りたい気持ちに苛まれた。
「いやいや、俺も最初はそう思ったんだけどよ。
試しに舐めてみると……、なんとマジもんの炭酸だったんだわこれが!
その夜、両親はその炭酸使って、ウィスキーを割って見事仲直りしてさ。
ため息つくと幸せが逃げてくっていうけど、
実はそんなことなくて、むしろ逆なんじゃねぇのかな、と、ふと思ったのさ」
小林は、いったい何を言ってるんだろう。
理解したら負けだ、そう思った寿美は、すごすごと自席へと戻った。
同じくして、巴も、寿美の席へと戻ってきた。
「早退するわ」
「いや、なんでよ!?」
「だって、ため息で風呂が炭酸になるかもしれないって聞いたら、
やってみたくなるのが、人間の
「だからって、わざわざ早退までしなくても……」
「無理。このままじゃ、私、好奇心に殺されてしまいそうだよ」
「好奇心に殺されるのは、猫だよ……」
せっせと、荷物をまとめ、帰り支度をする巴。
「実に興味深い話だったよ。ありがとう、寿美」
そう告げると、巴は手を振りながら、そのまま教室を去っていった。
「ちょ……待ってよ、巴!?
私の人生相談は、どうなるのよーッ!?」
寿美は、この身体の奥底から湧いてくる名付けようのない感情のぶつけ先を、考えあぐねていた。
そして、寿美は意を決して、ずかずか、と大きな足取りで、小林の席の前までやってくる。
「アナタのいい加減な話のせいで、
あの子、冗談を本気にしちゃったじゃないッ!!」
「いい加減、だなんて人聞きの悪い。
他人を
大抵、99%の事実と、残り1%のユーモアが含まれているものさ」
悪びれる様子もなく、むしろ開き直ってインテリぶっている小林。対する寿美は、それがひどく鼻についた。
「ため息で本当に炭酸になるのかの真偽はさておき、
実際、炭酸風呂は気持ちイイんだよ?
俺もね、この前シャンパン風呂に入ってさ、なんだコレ!?
って思わず病みつきになりそうだったんだから。
良かったら、今度ウチに来てお風呂に───」
「お断りします!!」
寿美はそう言い捨ててから自席へと舞い戻ると、そのまま机に突っ伏して、ふて寝した。
「あんら、失敗しちゃったなぁ。
せっかく、市川さんとお喋りできるイイきっかけだと思ったのに」
小林は、首の後ろに手を回して、宙を仰ぐ。
「……にしても、こういうくだらない話でしか、
異性とうまく話が出来ないだなんて、なんかもどかしいなぁ……。
だから、ろくに彼女の1人も出来ないんだよなぁ」
小林のため息が、ぷかり、と教室の中を
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