すし詰め状態
「アインがね、ウチに聞いてきたの」
「アインって……、
確かこないだウチの学校に来たっていう、留学生の?」
亜紀としずくは、通学に使用している路線バスを待つ間、そんな他愛もない話でヒマを潰そうとしていた。
「日本ではね、満員バスのことを、
『すし詰め状態』って、いうじゃない」
そうだね、としずくは、相槌を入れる。
「でも、肝心の寿司ネタがバスに乗ってないのに、
どうして『すし詰め状態』っていうんだ?
って、怖い顔されて詰め寄られたの、昨日」
「は、はぁ……」
反応に困ったしずく、とりあえず笑って誤魔化しておく。
「んでね、ウチたまらなくなって、
『寿司ならちゃんと乗ってるよ!』って、つい答えちゃったの……」
「なんで、そんなデタラメを……」
「だって、あんなゴツイ体躯で詰め寄られたら、誰だって怖いじゃない!
身の危険感じるじゃない!
ご機嫌損ねたら、下手したら私、犯されるかもしれなかったのよ?」
「……ゴメン、亜紀。
確かに私も亜紀の立場だったら、同じことしてたと思う……」
アインは他の男子よりも、頭1つ2つ抜けてデカい。
こないだ、仮入部でラグビー部の練習に参加した際、単身で屈強な
「それで、アインは納得してくれたの?」
「いや、それが……」
実に歯切れの悪い亜紀の言葉に、しずくはやきもきさせられた。
「アインってば、ムチャクチャ笑顔でね、
『明日朝、お醤油持ってバス停で待ってます』、って……」
一気に血の気が引いたしずく。
「……ごめん、今日早退するわ」
「待って! 見捨てないでよぉ!」
涙目で引き留める亜紀。
「だって! もし嘘だってバレたら、
怒り猛ったアインに食べられちゃうじゃない!
巻き込まれるのはゴメンよ!」
「その時は、しずくも道連れだよ!?
ウチら、友達っしょ?」
「はァ? ふざけんな。
亜紀だけ1人踊り食いされてろよ」
「お願いだから、一緒に言い訳考えてよぉ!
しずくってば、こういうとんち利かすの、得意でしょ!?」
程なくして、バスが到着。
これが、地獄行きへと繋がっていると知ると、ますます二の足を踏んだ。
背後に並ぶサラリーマン風の男から「あくしろよ」と、催促される。
しぶしぶ、2人は、ステップに足を掛けて、バス内へと乗り込んだ。
相変わらず、車内は満員で、おまけに蒸し暑い。
「ねぇ……しずく」
「話しかけないで」
乗り合わせた女子校生同士の、穏やかでない雰囲気を察した他の乗客は、居心地が悪そうに、各自車内広告や窓の外、スマートフォンへと意識の逃げ場を求めた。
「…………そういや」
ふと、しずくが呟く。
「バスって、ほら、
シルバーシートって、あるじゃん?」
「それが……、どうかしたの?」
「察しが悪いなァ!
ほら、シルバーってことは……、つまり、銀!
寿司でいうところの、銀シャリへと繋げられるんだよ!」
「銀シャリ……?」
「銀シャリという名の
いわば
それが、『
落ち込んでいた亜紀の表情が、その瞬間、ぱぁ、と明るくなった。
「しずく……大好きッ!」
満員の車内にもかかわらず、抱きついてくる亜紀。
「しずく、天才だよぉ!
それでそれで? 他にはもっとないの!?」
亜紀は、期待に満ち満ちた顔を、しずくへと寄せてくる。
「そうだなぁ。
まぁつまりは、今シルバーシートに座っている人は、
自分を最高の寿司ネタだと思ってる、ナルシストさん達だってことかな?」
目の前のシルバーシートに座っている、右からおばさん、青年、お爺さんを見下ろすしずく。
「…………」「…………」「…………」
2人の会話を間近で聞いていたために、妙にそわそわし始めるお三方。
おばさんは更に寝たフリに徹底し、青年はイヤフォンからの音漏れなど構わず更にボリュームを上げてスマホに注視する。お爺さんは、フリなのかガチなのかは分からないが、とかく口を開けてあさっての方向を見ていた。
彼らの反応が面白くなった2人は、さらに会話を続ける。
「なんかさー、最近の回転ずしってさー、
変わり種を扱ってるって話じゃーん?」
「そうそう!
魚以外にも、こってりと脂の乗った『豚』、とかね?」
「確かに、インパクトあるけどさー。
寿司ネタとしては、やっぱ邪道だよね~、『豚』は」
少しふくよかなおばさんは、居た堪れなくなったのか、席を立つと、少し離れた近くの手摺りに掴まった。
シルバーシートに、空席が1つ。
混雑した車内で、誰もがその空いた席に座りたい、と思ってはいたものの、今までの女子校生たちの話を聞いていた以上、その席に近づこうとする図太い神経の持ち主は、誰も居なかった。
「あー、そうそう、寿司といえば、
忘れちゃいけないのが、酢飯よね?」
「私、正直言うと、シャリの部分って、邪魔だと思うんだよねー」
「そう考えるとさ、そんな酸っぱいシートの上に座るのも、
なんか気が引けるわァ」
「っていうか、なんかここ、臭くなーい?」
「やっば……、マジでなんか臭うかもォ~……」
「シートが臭いのかな?」
「それとも……?」
スマホを触っていた青年は、頭上から降り注ぐ2人のねちっこい視線にとうとう耐えられなくなって、勢いよく席を立つと、そのまま他の乗客を押し退けて出入り口付近へと消えた。
シルバーシートに、空席が2つ。
「あっれ~? なんだろう?
なんか、ちょうど2つ席が空いたね~?」
「誰も座らないみたいだし……、
私らが座っちゃおうか?」
わざとらしいオーバーな演技をしてみせる、確信犯な2人。
「なんせ、私達、
ぷりっぷりのエビちゃんだもんね~?」
周囲の乗客の羨望と妬みの視線を浴びながら、そのままどかーっとシートに腰を落とす。
「あ~、やっべぇ、すっげぇ楽……」
「朝から座れるなんて、ついてるね、私達」
ちょうどその頃、次の停留所に、バスが停車した。
乗ってきた客は、周りの大人たちの頭を1つ、いや2つも飛び抜けた、長身の白人だった。
「寿司ヲ、食ベニ来マシタ!」
片手に醤油の入った小皿を持った、イカれた外国人が乗車してきて、車内はパニックに。
「ちょ……やだ、嘘でしょ!?
とうとう、アインが乗ってきちゃったよぉ……!」
「さすがはアメリカ育ち。
醤油が他の乗客に引っ掛かろうがお構いなしとか、
そのクレイジーっぷりは、まさに合衆国クラスだぜ!」
「ちょっと、しずく……!
なに呑気に解説なんかしてるのよ!」
アインは、2人の姿をその碧い瞳に捉えると、乗客を押し退けて目の前までやってきた。
「オハヨゴザイマス! 亜紀! しずく!」
「お、おはよ……アイン」
引き
「ソレデ、昨日言ッテタ、
寿司ハ、何処ニアリマスカ?」
今にも滴りそうな涎を口の端に溜めながら、詰め寄るアイン。
「あのな、アイン。
そのことなんだけど……」
すると、周りの乗客たちが、亜紀としずくの2人を、一斉に指差し出した。
その中には、先ほどシートから追いやった、おばさんと青年の姿も見られた。
「なんてったって、彼女たち、
ぷりっぷりの、エビ、みたいですから(笑)」
ハゲ頭の親父がそう漏らすと、途端に車内に、くすくす、と嘲笑が巻き起こる。
「お前ら、ふざけんなよ!
一端に復讐のつもりかよォ、ゴルァ!?」
「てめぇら全員、炙ってたたきにすんぞアァッ!?」
「Oh... ソウデシタカ……。
マサカ、亜紀ト、しずくガ、寿司ダッタナンテ……」
「え!? いや、違うのよアイン!?」
アインは、バックパックから、リッターの醤油瓶を取り出すと、それをどばどばと2人の頭の上からぶっ掛ける。
「ぎゃーーーーーーっ!!」
一気に、醤油臭くなる車内。
運転手は車内マイクで、「醤油の二度漬けはご遠慮ください」だなんて、ふざけたアナウンスをしていた。
「ソレデハ……、イタダキマス!」
シートに押し倒した2人の、醤油まみれの生肌をぺろぺろ舐め始めるアイン。
「はふ……ふもっふっ……、
コレハ……、素晴ラシイ寿司ネタデスネー!
身ガプリプリシテマスヨー!」
スカートを捲り上げると、露わになった秘部に舌を這わせる。
「もーっ、アインやめてー!!」
「そこの親父! ジロジロ見てんじゃねーよ!!」
身も、心も、突如来日してきた合衆国の男に、汚された2人。バスの中で。
乗客は、そんな様子を見て見ぬふりをする。
運転手は、男の人畜非道な行いを煽るようなアナウンスをする。
日本死ね。そう思った。
「…………ッ!?」
突然、アインが苦しみ出した。
「…………コ、コノ、ツーン、トシタ……、
鼻ニ抜ケル風味……、
モシヤ……コレハ、ワサビデスカ!?」
車内のびしょびしょになった床に膝をつき、喉を押さえながらのたうち回るアイン。
「ワ、ワサビハ、苦手デース! ヒィーーーッ!!」
アインは、泣きながらそのまま、次の停留所でバスを降りて行った。
「ウチら、助かったの……?」
「なんかお尻が変にすーすーすると思ったら……、
わさびが付いてたんだ!」
ふと、横を見ると、同じシルバーシートに座っていたお爺さん。
お爺さんの手元には、スーパーの袋と、チューブのわさびが握られていた。
「まさか……、おじいちゃんが、
あの悪漢から、私たちを助けてくれたの?」
「ありがとう、おじいちゃん!」
学校の最寄りのバス停に着いた。
非常にすがすがしい気持ちで、心はいっぱいだった。
日本も、まだまだ捨てたもんじゃないな、とつくづく思った。
「学校に着いたら、ジャージに着替えんと……、
アイン、マジ氏ね」
「っていうかさ、
確かにお爺ちゃんのおかげで、私達助かったけど、
いつの間に、お尻にわさびなんて塗ってくれたんだろう?」
「あのお爺ちゃん、かなりの手練だね……?
ひょっとして、昔プロの板前だったとか?」
「いや、ただの痴漢でしょ」
亜紀は、とりあえず、110番通報した。
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