(2)
◎◎
「さあ、解決篇といこう。あまり待たせるのもどうかと思うよ。すでに飽き飽きとしている淑女がいるはずだ。紳士はそれを良しとしない」
だから、謎解きを始めよう。
森屋帝司郎はそう言った。
二つの不可能犯罪を前にして、気負う様子もなくそう言い放ってみせた。
「事件のあらましを説明してくれるかな、ミス・ミスミ」
「……初めに起きた事件は、紅奈岐美鳥の殺害でした」
どうして私がと言う思いもあったが、彼の笑みの前ではどうしようもなかった。
それこそ美鳥嬢に感じたような魅了、その最上位互換を味わっている気分で、抵抗する気など起こる前に消え失せてしまうのだった。それほどまでに少年は美しかった。
この場にいる誰もが、この少年の場違いさ加減に動揺を隠せずにいるにもかかわらず、本来なら怒鳴りつけ今すぐにでも怪しすぎるこの人物を拘束すべきだと解かっているにもかかわらず、それでも何もできずにいるのは、ひとえにその美しさゆえだった。
ひとは、真に美しいものを見た時、正常な思考能力を失うらしい。
とかく、私は金色の少年に頼まれた通り、事件のあらましを語る。
事件は、美鳥嬢の殺害から始まった。
裁断された彼女の遺体が、継ぎ目のない無数の卵の中に密閉され放置されるという事件――不可能犯罪がまず起きた。
そうして次に、密室(言わずもがな不可能犯罪だ)での殺人――被害者は形川リナ。第一の事件の容疑者と目されていた人物である。
彼女はバラバラに分割され、釘によって壁に縫い留められ、その肉体のパーツを使って十字架を作られていた。
そして遺体があった現場には、血文字で犯行声明文のようなものが描かれていた。
「『――砕けたものは戻らない。おまえらは、黙って飛翔を見届けろ!!』……なるほど。この事件には相応しいが、あまりに陳腐だな」
「その言葉の意味が解るんですか?」
「逆に分からない方がどうかしていると思うがね……まあ、はじめの事件から紐解こう」
力なく尋ねる私を軽くあしらい(この少年の前に立っているだけで消耗する)、彼は一つ目の事件に取り掛かった。
「卵に封印された遺体。この事件における超常の点は何か。君達が不可能と思い込んでいる部分は何か……簡単な問いかけだ。失望させないでくれたまえ、ミス・ミスミ?」
「……繋ぎ目の無い卵に、人体が密閉されていることです」
その通りだ。
そう言って彼は微笑む。
私の頬が熱を帯びるのが理解できた。たったそれだけのことで、胸がきゅっとなる。なんだ、何なんだこの魔少年は。
「卵を割らずに中身を取りだすことができないように、卵を割らなくては中身を入れることはできない――君達はそう思い込んでいる」
「思い込んでいるって……何か方法があるとでも言うのですか?」
三田さんがそう尋ねる。
隣で楽田さんが手を打つ。
「何かの手品でみたっす! 意外なところに穴をあけて、中身を入れて、それからふさぐっす。穴の場所が意外だから、誰も気が付かないっす!」
笑みをたたえたまま、森屋帝司郎少年が私を見る。
「君はそんな初歩的なことを見逃すかな?」
冗談ではない。
こっちはこれでも本職の刑事だ、如何に現場保存の原則を乱したからと言って、しっかり記録は取っているし、隅々まで観察している。
卵に穴なんてなかった。
あの卵は、完全に傷一つない代物だったのだ。
「だから、これは不可能犯罪なんです。なんらかの超能力に依存する不可思議な――」
「馬鹿か、おまえは」
「なっ」
心底人を馬鹿にしたような顔つきで、それまで浮かべていた笑みを消し、気取った口調すらやめて、彼は私を罵倒した。
「この程度のトリックに超能力が介在してたまるか。陳腐極まりない単なる知識によるものだ
「あ、阿呆!?」
「産み直し」
彼は、両の手の平を上に向け、首を振りながらそう言った。
「日本人は生卵を食すとかいう野蛮な趣味を持っているらしいが、それならば知っているだろう。
「それは、当然知っていますが、それと言ったどんな関係が――」
「黄味が二つだけではない。時には卵の中に卵が入っていることもある。これを
「――ッ!?」
彼のその言葉に、私の背中は泡立った。冷たい驚愕が走り抜けていった。
他の三人はまだ理解していない。その顔に理解の色は無い。
だけれど、私には充分すぎた。
事件の当事者だから、間近であの衝撃的な光景を目撃していたからこそ、卵の中に肉片が詰まっているというそのインパクトに誤魔化されていたが――部外者が見ればこんなもの一目瞭然だったのだ。
「そうだ、ミス・ミスミ。実に簡単な論理だ。肉片は卵を割って入れられたわけではない。肉片こそを」
――肉片こそを中心に、卵が形作られたのだ。
「この島では鶏が飼われているらしいが、それを利用しての犯行だ。肉片が既に腐敗を始めていたことが何よりの論拠となる。
「――――」
――ああ。
私は天を仰ぐ。
私はこの島を訪れたその日、自分をミステリーに出てくる無能な刑事に例えた事があった。
例える必要なんてなかった。
私は無能な刑事そのものだった。
「そんな、何のために……いったい何のために! 誰がお嬢様をそんな目に合わせたと仰せられるのですか!?」
憤るように叫び、怒りと怨みに三田さんが顔を歪める。
知っている。
彼女は美鳥嬢の死を誰よりも真っ先に受け入れた。そして、その忠誠心は本物だ。だからいま、どうしようもない感情が爆発しそうになっている。
その心の内側を知ってか知らずか、森屋少年は今一度笑みを浮かべる。
そうして、気取った口調に戻り、慰めるようにこう言った。
「何故と言う理由は、すぐに明らかになる。もうしばらく待ちたまえ忠義の淑女よ。まず肝要なのは、これで第一の事件が不可能犯罪ではなくなったことだ。二重卵殻膜卵が珍しい現象であっても、誘発すること自体は、現代科学では難しいことではない。だから、この事件に関しては既に不可能ではない。そうして二つ目の事件――密室殺人も、すぐに不可能ではないと諸兄らは気が付くことができる」
少年の微笑みに、いったいどんな作用があるというのか。
彼に柔らかく微笑まれ、三田さんは激昂の行方を失ったように、その場に膝をつく。気勢を削がれた、怒りさえ優しく包まれ、彼女はぽろぽろと涙を零しはじめていた。
あの涙すら流さなかった女優、形川リナとは対照的だった。
「女優か。なるほど」
森屋少年はしたり顔で頷き、二つ目の事件を解き明かす。
「密室殺人。ミステリーの世界ではあまりに使い古された事象だが――こと殺人に限って、これが真実密室たりえた事は一度も無い。それは、今回も同じことだ」
「でも、鍵は私が持っていたんです! マスターキーだって存在しないと」
「この規模の屋敷でマスターキーが存在しないと、本気で信じているのか愚か者?」
「――――」
その口調を再び崩し、私に悪罵をぶつける黄金の少年。
だが、そんな変貌などどうでもよかった。
彼の続く言葉こそが重要だった。
「この島――真子島と、巣籠館と呼ばれるこの屋敷。それ自体には何の意味もない。わざわざ描写する必要もないぐらいありきたりなオブジェクトに過ぎない。だが、この屋敷が相応に大きな屋敷であるということ、それは重要なことだ。往々にして、建造物が巨大になればなるほど、複雑化すればするほど――部屋の数が増えれば増えるほどその管理は難しくなる。ここの部屋の鍵が存在するのと同時に、当然一元管理を可能とするマスターキーが存在しないというのはあり得ない」
たったひとつ、前提条件を打ち崩すだけでよかったのだ。
鍵は唯一であるなどと、そんな思い込みは必要なかった。
例えある人物がそれを否定したとしても、それを信じてはいけなかったのだ。私はその人物を、警戒していたはずなのだから。
「マスターキーは存在した。だから密室など初めから存在しなかった。これが唯一解であり、そして不可能犯罪を撃ち砕くまさに
不可能だったはずの事件が、不可能でなくなる。
超常と思われた事柄が、単なる事件に零落する。
たったひとりの少年が、事件のすべてを解体する!
「で、ですが」
全員が衝撃に打ち震える中、それでも声を上げたのは鳥羽瀬さんだった。
カイゼル髭の執事は、困惑した表情で金色の少年に問う。
では、どうして。
「どうして、お嬢様や形川様はあのような姿に――辱めを受けなければならなかったのですか?」
Question.何故、人体を再生不可能なほどばらばらにする必要があったのか?
「Answer.死んだ人間の数を誤魔化すために決まっているじゃないか」
少年は、悪魔的に微笑んでそう言った。
◎◎
死者の数を誤魔化す方法、そのとくに有名なものに、このようなものがある。
多数の遺体が存在する時、その遺体を分割し、組み合わせることで、あたかも存在しなかったもう一人の遺体をでっち上げる――というものだ。
特殊な切断の仕方を要求され、かつ科学捜査の発達した現在ではDNAの特定を行えば一発で露見してしまういわゆる古典トリックだが、しかし場合によってはこれ以上もなく有用に作用する。
例えば。
「例えば閉鎖空間で、部外者の介在が見込めず、そうして一時的に特定の人物にのみ、死体の数を錯覚させればいい場合、この方法は有用だろう。原型も解らぬほどに切り刻むことでその嵩を増す。数を偽装する。かの有名なるバールストン・ギャンビッド。死体の数を目くらます方法。では、いったい誰の死が誤魔化されていたのか――ミス・ミスミ。君が如何に愚かであっても、既に理解しているはずだ」
彼の笑み。
その意味は理解できない。
だが、確かに私の脳髄は既にその解答に到達していた。
「でも、そんな。そんなことって……」
「『完全にありえないことを取り除けば、残ったものは、いかにありそうにないことでも、事実に間違いないということです』――これは僕の最も尊敬し、最も嫌う探偵の言葉だ。故に僕はこう言おう――ありえないなんてことはありえない。」
「っ」
「実に陳腐で醜悪なトリックだ。犯罪とは――特に殺人とは芸術のためにのみ行われなければならない。他のいかなる理由によっても、人間は人間を殺してはならない。だがこれは、芸術と呼ぶにはいささかお粗末すぎる」
溜息と共に、少年が語る。
森屋帝司郎が、すべてを台無しにする。
「君達は何故、紅奈岐美鳥が死んだと思ったんだい? それは彼女の部屋で、彼女の特徴的な毛髪が散乱する場所で、殺人が行われたからだ。そう、殺人の現場あそこだった。血塗れだったのだろう? 間違いない。形川リナはそこで殺された」
ああ。
嗚呼――
「頭髪を全て切り捨てたからこそ、かつらを被ることは容易かった。眼の色が人工的だったのはそれが事実として人工物、カラーコンタクトだったからだ。声が酷くしわがれていた? 当然だろう、そのまま喋っては幾らなんでも露見する。だから自ら喉を潰したんだ」
「で、でも!」
何が私をそうさせるのか、それでも私は必死で反論を――論理の穴を探していた。
「悲鳴……そう、あの時この館の全員が聴いた悲鳴は」
「日本屈指のホラー女優が、絶叫の一つもした事がないとでも? それをサンプリングすることの容易さ、まさか解らないとは言うまいね?」
「もし――役者としてあれが出来たのなら、一世一代の大芝居だったでしょうね」
――嗚呼。そう言ったのは、私だったのに。
「小指、小指は」
「損壊された形川リナの遺体は手指も判別できなかったはずでは?」
「あんなにバラバラにする時間なんて」
「形川リナが昨日今日保護されたという事実はない。もっと以前から死んでいなければ、あそこまで腐敗しない」
「なら、眼球は――あの赤色の眼球は」
「紅奈岐錵矢は眼帯をはめていた。その下を君は確認したかい?」
「そ、んな……」
待って。
ちょっと待って。
それってつまり。
マスターキーを存在しないと偽った人物がいて、私がこの島を訪れる前に出会った人物までもが嘘を吐いていたというのなら――それは。
それは――
「たった一人を、ほんのいっとき誤魔化すことができればそれでよかったんだ。世界で唯一の不可能犯罪専門家に、これが不可能犯罪であると印象付けられさえすれば――あとは権力でどうにでもできたんだよ」
何のために?
「何のため? それは本人に是非とも聴こうじゃないか。さあ、秘密の暴露により
「――簡単な理由ですわ。鳥籠から、逃げ出したかったの。小鳥だって、いつかは巣立つものよ」
紅奈岐美鳥。
黒髪のかつらを被った赤い双眸の彼女が、そこにいた。
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