第15話『眠る太陽』

 日下陽子。

 昨晩、俺達が見つけた15年前の写真に写っていた女子生徒の名前だ。しかし、日下さんは、


「今も……眠り続けているんですか?」

「……そうだよ」


 湊先生から言われた言葉をそのまま返すと、先生はそう言ってゆっくりと頷いた。15年前から眠り続けているだけで悲しいのはもちろんだけど、先生の表情を見ると……彼女がそうなった理由を知っているかもしれない。

 ただ、まずは日下さん本人について訊くことにしよう。


「2年先輩ということは、湊先生が入学した年に当時3年生だった日下さんと出会ったということですか」

「そう。あたし、在学しているときは茶道部に入部していてね。陽子先輩とはそこで出会ったの。藍沢君の課題に挟まっていたこの写真は、ゴールデンウィーク前くらいに私が陽子先輩のカメラを使って撮影したの。先輩、写真を撮るのも好きで」

「そうだったんですか」


 この写真は湊先生が撮影したのか。湊先生も持っているとは言っていたけど、きっと写っている日下さんもこの写真を持っているだろう。


「陽子先輩はその名前の通り、太陽のような人だった。元気で、明るくて……体は小さかったけれど、存在感はとても大きくて。彼女を慕う生徒は男女問わずとても多かった」


 確かに、写真を見るととても可愛らしい笑顔を浮かべている。太陽のような人だと言われているのも分かる気がする。


「陽子先輩は国公立の受験を考えていたから、出会った当時から受験勉強を凄く頑張ってた。でも、あたしが勉強を教えてほしいって相談すると、先輩は優しく分かりやすく教えてくれたんだ。それが嬉しくて、尊敬できたから……あたしは教師になろうって思った」

「麻衣先生の授業分かりやすいです! 中学の時に苦手だった英語も、高校生になってからは好きになりましたし」

「そう言ってくれると嬉しいよ、渚ちゃん」


 へえ、渚って中学の時は英語が苦手だったのか。思い返せば、渚は文系科目と英語は結構できていたっけ。


「……勉強はそれなりにできていたみたい。でも、陽子先輩の立てた目標はかなり高かったようで。彼女の御両親の話だと、夏休みになると部活は休むようになり、受験勉強に没頭する日々を送ったみたい」

「それだけの勉強量が必要だと思ったんですね」

「そうだよ、藍沢君。でも、陽子先輩は国公立大学の受験ところだけ見てしまい、目の前にある課題を忘れてしまった。陽子先輩が苦手だった数学の課題だけを」

「じゃあ、もしかして……課題の呪いと言われた話の元になったのは……」


 俺がそう言うと、湊先生はゆっくりと頷いて、


「そう、陽子先輩の自殺未遂のことだよ」


 やっぱり、そうなのか。渚から聞いた話では課題を忘れた生徒が自殺したと聞いているけれど、それは15年の時を経て話の内容が変わっていってしまった結果なのかな。


「でも、私が女バスの先輩から聞いた話では、その生徒は亡くなったと……」

「時間が経つとどうしても事実とは違うことが混ざって言い伝えられちゃうよね。もちろん、あたしを含めて、陽子先輩が今も眠り続けていることを知っている先生はこの学校にはいる。もちろん、課題の呪いについても。でも、事実を話したら陽子のことを晒し者にしてしまうような気がして嫌だった。名前が知られていないならその方がいいと思って」

「そう……だったんですね」

「もちろん、あなた達に話したのは、藍沢君の体が小さくなってしまったことと、私や陽子先輩など限られた人しか持っていない写真を藍沢君が持っていたから」


 だからこそ、日下さんのことと、課題の呪いの真実を話そうと決めてくれたのか。俺達なら日下さんのことに向き合ってくれると思ったから。


「渚から聞いた話では、少女は課題を忘れて、その教科を教えていた教師が激しく叱ったため自殺したと聞いています。本当は何があったんですか」

「大筋は合っているわ。当時、数学を教えていた森治もりおさむという先生は、陽子先輩が課題を忘れたことを知ると執拗に怒ったそうよ。苦手な数学から逃げているのか。この程度の問題が解けなければ、国公立はおろか私立の大学さえも行けないと。あたしはその現場を見ていないけれど、教室で怒ったから先輩のクラスメイトの多くが見ていたみたいで、茶道部の先輩を通じてあたしはそのことを知ったよ」

「そうですか……」


 1対1の場所ならまだしも、多くの生徒がいる前で激しく怒ったのはいけないな。きっと、日下さんはそのことに深くショックを受けたのだと思う。


「怒られた直後、陽子先輩は力なく学校を後にしたみたい。そして、それから2, 3時間経った後……陽子先輩は自宅近くにある踏切で、自殺を図ったの」

「そんな……」

「陽子先輩は奇跡的に助かった。でも、事故に遭って以来……先輩は一度も意識を取り戻してはいない」


 その話がいつしか課題の呪いという話として、今の在学生まで言い伝えられているということか。日下さんが亡くなったという内容に変わってしまったけど。


「あたしがそのことを茶道部の先輩から聞いたとき、とてもショックだった。先輩の御両親やクラスメイトの話、報道によると……先輩は受験勉強に疲れ、森先生による執拗な説教によって自殺を図ったことを知った。今でもあの先生のことは許せないし、私が教師になったときは彼のようにはならないと誓ったの」


 こんなに目つきを鋭くする湊先生を見るのは初めてだ。それだけ、森先生への想いが強い証拠なんだろう。

 思えば、湊先生は優しいし、時々生徒を叱るところを見たことはあるけど、それは生徒を想ってのことだろう。生徒からの人気が高いと聞いたことがある。去年の文化祭の企画で、好きな女性の先生ランキングでの上位3名に入っていた気がする。


「……湊先生」

「何かな、藍沢君」

「その……森治先生はどうしていますか? 俺、そういった名前の教師がいるとは聞いたことがないのですが」

「陽子先輩に説教しているところを見た生徒が多くいたこともあって、事件があった直後、懲戒解雇処分になったわ。そのことに不服を言ったり、異議を申し立てたりすることはなかったみたい。今は……どこかの高校生向けの学習塾で数学を教えているって話を聞いたことがあるよ。本当かは分からないけど」

「そうですか……」


 さすがに、月原高校に森さんはいないか。

 俺の体が小さくなったことに、日下さんが関わっていることはほぼ確実と考えていいだろう。いずれは森さんと話すことになると思う。


「私、月原高校の教師になってから今年で4年目ですが、日下さんの話は今まで知りませんでしたね。課題の呪いは知っていたので、毎年、9月の初め頃は生徒のことをよく見るようにしていましたが」

「まあ、沙織ちゃんのように若手の教師で、しかもOGでないならそれが普通よ。それに、課題の呪いの話は悪いことばかりじゃない。彼女のように9月の初め頃は、生徒のことをよく見るようになった先生もいるから。その時期は事故に遭ったり、病気になったりする生徒が多いから」

「なるほど。麻衣さんの言うように、日下さんは太陽のような方ですね」


 生徒にとっては怖い話だけれど、教職員にとっては教訓の一つなのか。だからこそ、代々、生徒で言い伝えられている課題の呪いについて教職員はノータッチなのかも。


「ねえ、直人先輩」

「うん?」

「日下陽子さんに会ってみたいと思いませんか? 今も意識を取り戻していないので、彼女の眠っている姿を見るだけになりますが」

「……そうだな」


 日下さんの今の様子がどんな感じなのかは知っておきたい。


「湊先生、日下さんに会うことはできませんか?」

「もちろんできるよ、あたしも定期的にお見舞いに行っているし。それに、場所は……藍沢君も何度か入院した月原総合病院だから」

「そうなんですか」


 入院しているときは病室からほとんど出なかったし、特に夏休みの時はベッドに拘束されていたからな。全然知らなかった。

 急ぎの仕事はないということなので、俺達は湊先生と一緒に日下さんが入院している月原総合病院へと向かうのであった。

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