第53話『STAY』

 午前10時半。

 相良さんと別れた俺達は香川さんが起きるのを待ってから、全員で絢さん達が宿泊している部屋に戻る。今は俺、彩花、遥香さん、絢さんの4人で一緒にいる。坂井さんは香川さんが意識を失った間に起きたことを説明するために、彼女と隣の部屋にいる。

 今もなお、遥香さんと絢さんはまだまだ距離ができてしまったままだ。2人はテーブルを挟み、向かい合うようにして椅子に座っているけれど、2人とも目を合わせようとしない。氷高さんと決着を付けるとき、2人の仲があまり良くないとそこを突かれてしまうかもしれない。なるべく早く、2人を仲直りさせたいけど。


「せーんぱいっ」


 ふふっ、と彩花は嬉しそうに俺と腕を絡ませている。俺と彩花はベッドで隣り合うようにして座っているので、より体が密着することに。


「……お前は元通りになったなぁ」

「だって、私は先輩のことが好きですから」

「……そうか」


 遥香さんの姿で好きだと言われると、これはこれでキュンとしてしまうな。しかし、何をきっかけに今のようになれたのだろうか。

 遥香さんと絢さん、今の俺達のことを羨ましそうに見ているぞ。ただ、そうなってしまった一因は俺にあるから何とも言えない。

 彩花は俺のことを跨ぐようにして座る。


「先輩は私だけ見ていればいいんですよ」

「……お前、昔みたいな感じに言うんだな」

「だってそうですよ。体が入れ替わったとはいえ、他の女の子と一夜を明かしたんですから。今でも嫉妬心が膨らんでいます」

「そ、そうっすか……」


 低い声でそんなことを言われたので物凄く恐い。しかも、怒っているのではなく笑いながら言うので恐ろしさに拍車がかかっている。まるで、彩花と一緒に住み始めて、手錠を掛けられたときのようだ。


「ねえ、せんぱぁい」

「な、何でしょうか?」


 この甘えた声色……何か恐ろしいことを考えている証拠だ。彩花、俺が遥香さんと一夜を共にしたことにそこまで嫉妬しているのか。


「……遥香さんと何をしたんですか?」


 その時、初めて……彩花は怒った表情を見せる。更なる恐ろしさが襲ってくるので、思わずベッドの上に倒れてしまいそうだ。


「え、ええとですね……」

「遥香さんは答えなくて結構です。直人先輩が答えてください。いえ、答えなさい」


 彩花があまりにも恐ろしいのか、遥香さんも絢さんも今にも泣きそうな表情なんだけれど。

 すると、彩花はゆっくりと顔を近づけて、


「確かに嫉妬はしていますけど、怒っていません。とにかく、ありのままに答えてください。これはあの2人のためです」


 俺の耳元でそう言った。なるほど、彩花は遥香さんと絢さんのために、俺に激しく嫉妬している演技をしているのか。ただ、2人には刺激が強すぎると思うけれど。

 とりあえず、今は彩花の言うとおり、遥香さんとしたことをありのままに話すか。


「……ええと、一緒に部屋のお風呂に入りました」

「えっ?」

「髪と体を洗ってもらいました」

「えっ? えっ?」

「その後は……キスとか色々なことをしてしまいました」

「……こらああっ!」


 彩花は不機嫌そうな表情をして頬を膨らましている。怒っていないってさっきは言ったじゃないか……とは言えないな。好きな人が他の女の子とお風呂に入って、髪と体を洗ってもらって、キスとかしていたら怒ってしまうのは当たり前だ。


「ごめんなさい」

「……べ、別にいいですよ。私だって、その……絢さんと似たようなことをしていましたから。私こそごめんなさい。体が入れ替わった影響もありますし。それに、昨日……先輩が言ってくれたじゃないですか。お互い様だって」

「……ああ」


 事情は分かっているし、仕方のないこともあると分かっているからこそ、これはお互い様なのだと割り切れるんだ。だから、彩花が絢さんとキスをしたり、その先のことをしたことを聞いても落ち着いていられるんだ。


「だから、私は許します。でも、元の体に戻ったら……いつもよりもちょっとだけでいいので甘えさせてください」

「……もちろんだよ」


 いつもなら、ここでキスするところだけど、今は遥香さんの体なので頭を優しく撫でることにした。

 そして、彩花はゆっくりと俺のことを抱きしめる。


「はぁ、直人先輩の匂い……」


 俺の胸に顔を埋めて、顔をすりすりしている。彩花の方はすっかりと元に戻ったな。

 遥香さんと絢さんは今の俺達の様子を見て、お互いのことをちらちらと見始めた。


「……ごめんね、絢ちゃん。昨日はその……泣いちゃって……」


 2人の間に生じた静寂を破ったのは遥香さんの方だった。


「……気にしないでいいよ、遥香。彩花ちゃんの言うとおり、2人の体が入れ替わったこともあって仕方ないところもあるし、それに……お互い様なんだからさ」


 絢さんはそう言うと、優しい笑顔を浮かべながら遥香さんのことを見つめる。


「……うん。ありがとね、絢ちゃん」

 遥香さんは涙を流しながらも笑顔でそう言った。

 これで、氷高さんと決着を付けるために、遥香さんと絢さんが持っておくべきことは全て揃ったかな。


「良かったですね、先輩」

「……お前もなかなかの役者だな」

「何を言っているんですか、半分演技で半分本気です。それに、嫉妬しているのは本当なんですからね」

「……そうか。俺も……嫉妬してるよ。彩花ほどじゃないけれど」


 俺だって、好きな人が他の人とイチャイチャしていたことを知ったら、ね。


「ふふっ、先輩のかっこつけ」

「俺は本心を言っただけなんだけどな」


 姿や声は遥香さんのものなのに、自然と目の前にいるのが彩花だと思える。それだけ、これまでと変わらずに彩花と話すことができているということかな。

 しかし、遥香さんと絢さんの仲の良い様子を見ていると、少しの間かもしれないけれど、相良さんと水代さんもこのホテルで2人のように楽しい時間を過ごしていたのだろう。

 水代さんは自殺をしてしまったけれど、誰かの体に憑依することで相良さんと会うことができる。50年や60年経ってもそのままかもしれない。

 もし、氷高さんと決着を付けることができたら、そんな状況が変わってしまうのだろうか。永遠に会うことができなくなるだろうか。そうなってしまったら悲しいけれど、本来であればそれが普通であり、誰かに憑依したら話せるという今のこの状況の方が特別なのかもしれない。

 今回のことで、水代さんとの永遠の別れになるかもしれないけれど、水代さんはこの状況を変えようとして、彩花と遥香さんの体を入れ替えて、俺達に相良さんへの協力を求めたんだ。


「どうしたんですか? 直人先輩」

「……何でもないよ。ただ、しっかりしなくちゃいけないな、って」

「そうですね。そうだ、コーヒーを淹れますよ。お二人には紅茶を淹れますね」

「ありがとう、彩花」

「いえいえ」


 彩花は俺から離れて、楽しげにコーヒーと紅茶を淹れている。

 そう、俺がしっかりしなくてはいけないんだ。本番では坂井さんや相良さんと一緒に氷高さんと相対するけれど。水代さんの霊を小心者と言ったときの氷高さんの様子を思い出すと、一筋縄ではいかないだろう。

 ただ、その前に……晴実さんと彼女の友人が来る。コーヒーを飲んだり、お昼ご飯を食べたりして、その時を待つことにしよう。

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