第36話『眠り姫』

「ふぅ……」

 ホットコーヒーを飲んで一息つく。

 今、絢さん達は水代さんとどんなことを話しているだろうか。何か、さっきの坂井さんのメッセージからして、俺の愚痴を垂れ流しているようにしか思えないんだけれど。

「んっ……」

 遥香さんの声が聞こえたのでベッドの方を見ると、起きたのではなくて俺の方を向いて引き続き眠っている。バスタオル姿だけれど、今の遥香さんの姿を見ていると今朝の彩花を思い出すな。

 彩花は……そうか、水代さんが遥香さんの体に入り込んでいるから、今は意識を失っているのか。だから、俺の送ったメッセージの既読した人数が3なのか。遥香さんも今、ベッドで眠っているし。

「絢さん達が何とか気持ちを留めてくれるといいんだけれど……」

 そこは3人を信頼するしかないか。

 水代さんは自分の家族や相良さんを助けることも目的だけれど、その先に氷高さんに絶望を味わわせて殺害することまでするつもりだ。おそらく、自分が自殺したこのホテルで氷高さんが殺害されれば、当時、自分をいじめていた他の人間にも恐怖を与えることができると考えているのだろう。

「ただ、どうすればいいか……」

 彼女が言ったように、既に亡くなっている水代さんに対して法律に則って裁くことはできない。どうにかして、彼女の想いを変えなければならないか。

「うん……」

 おっ、今度こそ起きたかな?

 ベッドの方を見てみると、遥香さんはゆっくりと体を起こして目を擦っていた。

「おはようございます、遥香さん」

「えっ? もう朝なんですか?」

「いや、まだ……夜の9時過ぎですね」

「そうですか。髪と体を洗って、湯船でゆっくりと浸かっていたら気付かない間に眠っちゃ、って!? えええっ!」

 ようやく、今の状況が把握できたのか、遥香さんは顔を真っ赤にすると一度ベッドの中に潜った。

「うううっ、恥ずかしいです……」

 もしかして、遥香さんはお風呂の中で眠っているところを俺に見つけられて、ベッドまで運ばれたんだと考えたのかな。

「バスタオルを巻いていますが、私の裸、見ちゃいましたか? あっ、でも……今は彩花さんの体ですので何度も見ていますよね。昨日も彩花さんとイチャイチャしたんですよね? でも、恥ずかしい……」

 おいおい、彩花。入れ替わった相手だからって昨晩のことを言ったのか。俺も恥ずかしくなってきたぞ。

「確かにベッドに寝かせたのは俺ですが、髪と体をきちんと拭いてバスタオル姿で自分からここまで来たんですよ」

「えっ! 私、寝ぼけることはないのですが、それは凄いですね!」

 そう言って、遥香さんは布団から顔だけを出す。仮に寝ぼけたとしてもそれって凄いことなのかな。

 今は俺の言い方が悪かったな。遥香さんに勘違いをさせてしまった。

「正確には、遥香さんが湯船に浸かっているとき、水代さんがあなたの意識をなくして彩花の体の中に入り込んだんです。おそらく、彼女が髪と体を拭き、バスタオルを巻いたのでしょう。そして、窓の側で夜景を見ている俺のことを抱きしめてきたんです」

「そうだったんですか。じゃあ、私がバスタオル姿で寝ていたのも納得がいきますね。ちなみに、水代さんは直人さんに何を話していたんですか?」

「これまでのことですね。俺達の推理通り、遥香さんと彩花が入れ替わったことは水代さんが仕組んだことでした。理由はやはり、氷高さんから脅迫を受けている相良さんを助けること。これまで彼女を助けてくれそうな人を探しており、昨日になってようやくそんな人達を見つけたそうです」

「それが私達だった……」

「ええ。遥香さんと彩花の体を入れ替えることで、入れ替わりの原因が何なのかを考え、20年前の事件と相良さんに辿り着くと考えたそうです」

「そうですか。私達……水代さんの考えているように動いていたんですね」

 そう、遥香さんの言うとおり、俺達6人は水代さんの思い通りに動いていたんだ。おそらく、水代さんはそんな俺達のことを見守っていたはず。相良さんや氷高さんの様子も。

「でも、水代さんはどうしてこのタイミングで彩花さんの体に入り込んだのでしょう。直人さんに何か伝えたいことがあったのでしょうか?」

「……水代さんは氷高さんのことを殺害したいと言っていました」

「えっ!」

「俺と絢さんは七実ちゃんを通じて氷高さんと出会い、多少ですが話もしています。それを見た水代さんは俺に……自分の苦しみを訴えたかったんだと思います。そして、殺したいくらいに恨んでいると」

「気持ちを伝えるだけだったならいいですけど。直人さんに訴えるということは、相当な殺意があるということだと思います。既に殺害していなければいいのですが……」

「その点については今のところは大丈夫です。今、遥香さんの体に入り込んで、絢さん達と話していますから。話が終わり次第、俺と連絡することになっています」

 絢さん達が水代さんの気持ちを静めて、氷高さんを殺害することを踏み留めさせることができればいいんだけれど。

「もちろん、直人さんは止めましたよね?」

「ええ。殺人をしてはいけないとはっきりと言いました。そうしたら、水代さん……物凄く怒って。俺と話しても意味がないと言って、彩花の体から出ていき、遥香さんの体に入り込んだんだと思います。坂井さんから、遥香さんの体に入り込んだ水代さんが号泣しているとメッセージが来ましたからね。LINEのグループトークでやり取りをしていたので、遥香さんのスマートフォンからも見ることができますよ」

 俺は遥香さんに彼女のスマートフォンを手渡す。

 遥香さんはスマートフォンを操作している。おそらく、6人がメンバーとなっているLINEのグループトークを見ているんだな。俺もグループトークのメッセージを見ているけれど、俺の送信したメッセージを既読した人数の数字が『3』から『4』になったから。

「本当ですね。絢ちゃんを抱きしめながら、か。殺人をしてはいけないと直人さんに言われたこと……彼女にとっては、自分の苦しみや憎しみ自体を否定されたように感じたのかもしれません。だからこそ、私の体に入り込んで号泣したのかもしれないですね。もしかしたら、絢ちゃんなら分かってくれると思って……」

 さすがに、絢さんの恋人だけあってそういう風に考えるんだな。確かに、絢さんなら女の子同士ということもあって、水代さんのことを慰めることができるかもしれない。それに、向こうには坂井さんも香川さんもいるし。

「あ、あの……直人さん。水代さんは直人さんに話をしただけで、他には何かしたのでしょうか? そ、その……イ、イ、イチャイチャとか」

 遥香さんは顔を赤くしながらそんなことを訊いてきた。恥ずかしいなら訊かなければいいのに……と思うけれど、バスタオルを巻いた状態で姿を表したなら、水代さんが俺に何かしたのかと考えてしまうか。

「急に抱きつかれたり、激昂してベッドに押し倒されたりしたくらいですね」

「そ、そうだったんですか……」

 遥香さん、ほっとしているように思える。彩花の体だとしても、自分の知らない間に俺と何かしていたら嫌だもんな。

「ねえ、直人さん……」

 俺の名前を呼ぶと、遥香さんは俺の手をぎゅっと握ってきた。そして、俺のことを恍惚とした表情をしながらじっと見つめている。

「お昼に言いましたよね。私、彩花さんの体に入っているからか、いつかは直人さんのことが好きになってしまうかもしれないって」

「ええ、言いましたけど……ま、まさか……」

 俺がそう言うと、遥香さんはゆっくりと頷いて、


「私、直人さんのことが……」


 俺に顔を近づけて、彼女の息の温かさが口元で分かるほどになったとき、

 ――プルルッ。

 俺のスマートフォンが鳴る。

「きゃっ!」

 遥香さんは我に返ったかのように、恥ずかしそうにしてぱっと俺から離れる。

 スマートフォンを手に取って、発信者を確認すると『坂井隼人』となっている。水代さんとの会話が終わったのかな。俺は通話に出る。

「はい、藍沢です」

『坂井です。たった今、水代さんが遥香の体からいなくなりました。今、彩花さんは意識を失っている状態です。ベッドで寝かせています』

「そうですか。遥香さんはさっき、意識を取り戻しました。彼女には水代さんが俺に話したことを軽く説明しました」

『分かりました。彩花さんの意識がない状態ですから、このまま電話で水代さんから何を言われたのかを報告しましょう』

「分かりました」

 水代さんは絢さん達に何か違うことを言っただろうか。

 とにかく、お互いに彼女から何を言われたのかを共有して、これからどうすべきかを考えていくことにしよう。

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