第49話『敗者の涙』

 電車やバスを乗り継いで、なおくんの入院している月原総合病院に向かう。

 病院に着いたのは午後3時過ぎだった。それにしても、晴れているからかこの時間でもとても暑い。

 病院の中に入り、なおくんの病室に戻ろうとしたときだった。なおくんの病室の前に、咲ちゃんと楓ちゃんが立っていたのだ。


「藍沢君、戻ってきたわよ」

「う、うん……」


 優しい笑みを見せる楓ちゃんの横に立つ咲ちゃんは悲しげな表情を浮かべている。やっぱり、決勝戦に負けてしまったことにショックを受けているのかも。


「藍沢君に会いたかったみたいなんだけど、会場だと人がいっぱいで。だから、ここまで来たの」

「そうだったのか」


 咲ちゃんはなおくんの方を向いてはいる。しかし、試合に負けたことで複雑な想いを抱えているからなのか、なかなかなおくんと眼を合わせようとしない。


「私と彩花ちゃんは休憩所でゆっくりしてるから、広瀬さんは病室の中で直人とゆっくり話して。それでいいよね、彩花ちゃん」

「はい、そうですね」


 きっと、それは咲ちゃんのことを気遣ってのことだろう。


「じゃあ、私達は休憩所にいるから」

「あたしも一緒に行きます」


 渚ちゃん、彩花ちゃん、美月ちゃんは休憩所の方に向かっていった。


「……とりあえず、中に入ろう」


 なおくんはそう言うと、病室の扉を開けて私達を中に通す。


「……咲」


 なおくんは咲ちゃんの目の前に立って、彼女の名前を口にした。


「今日はチームメイトと一緒によく頑張ったな。2点差で負けたのは悔しいと思う。ただ、とても立派な準優勝だと思う。それは誇っていいことだと思うぞ」


 咲ちゃんに対して称賛の言葉を贈ると、咲ちゃんの眼からは涙。今まで我慢していたのかと思わせるくらいに、大粒の涙がいくつもこぼれ落ち、止まらない。


「悔しいよ……」


 第一声の咲ちゃんの言葉が、負けず嫌いな咲ちゃんらしい言葉に思えた。

 ありがとうでもなければ、そうだねでもない。悔しいと言えるところが、咲ちゃんのバスケに対する情熱の強さを象徴していると思う。


「悔しいよ。凄く……悔しいよ!」


 悔しいと何度も言った後、咲ちゃんはなおくんの胸に飛び込み、声に出して泣いた。

 同じ涙でも渚ちゃんの涙とはまるで違う。嬉しい涙と悔しい涙。それは、勝者の涙と敗者の涙とも言えるもの。こんなにも違って見えるのか。

 けれど、そんな両者に対してなおくんのすることは変わらない。なおくんは咲ちゃんのことを抱きしめる。


「……そうだよな。負けたら……悔しくて当たり前だよな。それがインターハイの決勝戦だったら、その悔しさはきっと俺が想像している以上に悔しいよな」

「うん……」

「それでいいと思うんだ。でも、金崎高校はとてもいいチームだった。それを引っ張ってきた広瀬咲という女の子は凄い奴なんだ。それは俺が保証するし、チームのみんなもそう思っているんじゃないか」

「……本当にそう?」

「少なくとも、俺はそう思ってる。もし、負けたのは咲のせいだとか言われたら、そのときは俺に言ってくれ。そんなことないって言うから」


 なおくんは優しく微笑みながらそう言った。あんな笑顔、中学生以降あんまり見たことなかったから何だか懐かしい。


「……直人は月原の生徒だから、直人のことは見ちゃいけないと思って、あまり見ないように心がけていたんだけれど、気付いたら直人のばかり見てた。不安なときやピンチのときは特に」

「何度か咲と目が合ったような気がしたけど、やっぱりそうだったんだな」


 渚ちゃんも一緒で咲ちゃんもなおくんのことを見ていたときが結構あったんだ。それだけなおくんが心の支えになっている証拠なんだ。


「ねえ、直人」

「なんだ?」


 すると、咲ちゃんはなおくんの胸から顔を離し、


「もし、直人がサポートしてくれていたら、うちが優勝できていたのかな……」


 なおくんを見上げるようにして咲ちゃんはそう言った。

 ここ1ヶ月以上は、なおくんは直接のサポートをしていなかったけど、予選までは月原高校の女バスを献身的にサポートしていたと聞いている。咲ちゃんはきっと、なおくんの存在が優勝の一因だと考えているのかも。


「……どうだろうな。俺はバスケの経験者でもないし、たいしたサポートもできていなかった気がする。本人達の頑張り次第なんじゃないかな」

「……そっか」

「でも、何かが変わっていたかもしれないな」

「きっと、もっと練習が楽しくなっていただろうね」


 やっと、咲ちゃんの顔にも笑みが戻ってきた。これなら、きっと大丈夫だと思う。


「咲も、吉岡さんも藍沢君の存在がとても大きいのね」

「そうみたいだね」

「それで、美緒は何かしなくていいの? 咲や吉岡さんは藍沢君との距離がまた縮まったような気がするけれど?」


 楓ちゃんは意地悪そうに私の耳元でそんなことを囁く。


「……わ、私はもう十分に距離が縮まってるもん。月原に来て半月くらい経ってるし」

「ふふっ、そっか」


 告白だってして、キスだってしたし。月原に来てから半月以上経つけれど、その間は私が一番なおくんと接している。なおくんのことを一番に想っている自信だってある。


「……ただ、目の前で女の子と抱きしめているところを見ちゃうと、やっぱり心がざわつくなぁ」

「それが恋をしていることなんじゃない?」

「そうなのかなぁ。楓ちゃんはそんなことってないの?」


 そんなことを訊いてみると、楓ちゃんはふっと笑って、


「……昔、ほんのちょっとざわついたことがあるだけ。今は全くないわ」


 清々しい笑みを浮かべてそう言った。

 昔、ほんのちょっと……か。今は全くないということなので、何も言わないでおこう。笑えるってことは、それは心が温かくなる思い出だと思うから。

 とにかく、咲ちゃんに笑顔が戻って良かった。きっと、咲ちゃんにとってもこのインターハイがいい思い出になることだろう。

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