第31話『糸』

 御子柴さんの手術は今も続いている。

 どのくらい時間がかかるか分からないので、なおくんに病室に戻ろうと言ったけど、なおくんは戻ることを頑なに嫌がった。御子柴さんが手術室を出てくるまで、ここを離れたくないとのこと。

 なおくんの意志が固いことが分かったので、美月ちゃんを呼んで、みんなで手術室の前で御子柴さんの手術が終わるのを待つことにした。


「御子柴さんは……」


 ようやく泣き止んだなおくんの口から、ふと、言葉が聞こえる。


「死にたいって言っていたんだけど、やりたいこともたくさん言っていたんだ」


 死にたいとやりたい。それは正反対の言葉に思える。

 御子柴さんの口から死にたいと聞いたことはなかったけれど、やりたいことが何なのかは以前、なおくんの病室で会ったときに口にしていた。


「なおくんと剣を交わすことだよね。御子柴さんのやりたいことって……」

「……ああ」


 剣を交わす。つまり、なおくんと一緒に剣道をしたいということ。御子柴さんは剣道部の部員で、なおくんが剣道をしていることを知っていたから、御子柴さんがそんなことを口にするのは自然だと思う。


「でも、今思えば……剣を交わすってことは、俺のことが好きで付き合ってほしいっていう意味だったのかもしれない。御子柴さんは中学時代の俺の剣道記事を見たときから好きだったって言っていたから」


 確かに、なおくんを知ったきっかけは記事を見たことだけど、剣道を通じて好きになったと言っても過言ではない。剣道好きな御子柴さんにとって、剣を交わすという言葉は彼女なりの告白の仕方だったんだろうなぁ。

 思えば、なおくんの顔を見ているときの御子柴さん、時々、女の子らしい表情をしていた。普段の男の子っぽい雰囲気が、実は嘘だったんじゃないかって思えるくらいの。


「あのときに言った剣を交わすって言葉が、告白を意味していたのか。もし、そうなら俺は御子柴さんに何も言えなかったってことになるのか……」

「直人先輩……」

「唯のときは付き合えないっていう決断をしたから彼女は亡くなって、紅林さんのときも決断をしたから危うく亡くなるところだった。だから怖くて、決断することをしてこなかったのに、今回は決断しなかったから御子柴さんは生死の境に立たされたんだ。きっと、俺が決断しなかったから、御子柴さんは……」


 すると、なおくんの眼には涙が。

 唯ちゃんや紅林さんのことで、なおくんは何かを決断することが怖くなった。大切な存在を失ってしまうかもしれないから。だから、決断することを恐れている。

 けれど、御子柴さんについては決断できなくて、彼女の気持ちに対する答えが言えなかったからこそ、御子柴さんは生死の境を彷徨っている。


「俺はもう、どうすればいいのか分からない……」


 その一言が、今のなおくんが抱いている気持ちを表していると思った。

 決断しても、決断しなくても。どちらにせよ、大切な存在を失う。だから、どうすればいいのかが分からない。なおくんは今、精神的にかなり追い詰められてしまっている。

 そんな彼に私はどうすればいいのだろう。なおくんと一番長く一緒にいるのに、全然思いつかないことがとても悔しかった。


「今はまだ分からなくていいんだよ、直人」


 渚ちゃんは静かな口調でそう言った。渚ちゃんは優しい笑みを浮かべている。


「どうして、私達がただ待っているだけなのか。それは、直人が必ず自分の納得がいく答えを見つけることができるって信じているからなんだよ。だから、分からないことがあっても当然だと思うし、物凄く苦しくて、悩み続けるときがあるのは当たり前なんだと思う」

「渚……」

「私達は相談には乗るよ。だけど、答えを見つけるのは直人にしかできない。そのことにとことん悩んで、逃げちゃうことがあるのは全然恥ずかしくないと思うよ。でも、死ぬことだけはしないで。戻れなくなるから」


 きっと、渚ちゃんがそう言うのも、一度、なおくんが紅林さんに自分を殺してほしいと言ったことがあるからだと思う。死ぬことは究極の逃げ道だけど、それは決して戻ることのできない一方通行。それだけは止めてほしいと渚ちゃんは願っているんだと思う。それはきっと、彩花ちゃんや美月ちゃんだって同じだろうし、私もそう思っている。


「御子柴さんのおかげで、紅林さんと仲直りできたんですよね。それは直人先輩が一つ、自分の納得がいく答えを見つけて、行動に移せたということだと思います。だから、私達の告白に対しても、いつか自分の納得がいく答えが出せるって信じています。私達はそのときを待っています。それがどんなに先のことでも……」


 彩花ちゃんの温かな言葉に対して、なおくんは何も言葉を口にしなかったけれど、何度も瞬きをして、下唇を噛んでいた。

 私達にできることは、彩花ちゃんや渚ちゃんの言うとおり、なおくんが自分で納得のいく答えを見つけられると信じて待つこと。なおくんからその相談を受けることくらいしかできない。


「私達は私達ができることをしよう。私は明日からのインターハイを一戦一戦勝ち抜いていくこと。彩花ちゃんはそのサポートをすることかな」

「そうですね。気持ちを切り替えて、インターハイを頑張っていかないと。きっと、広瀬先輩も同じだと思います」

「そうだね。金崎は今回のインターハイの最有力の優勝候補とも言われている。対戦するなら決勝戦しか可能性はないと思うけど、私は必ず当たると思っているよ」


 渚ちゃん率いる月原高校は優勝を目指して練習しているけど、そこには当然咲ちゃん率いる金崎高校という壁がある。そんな金崎高校も月原高校に勝たなければ全国優勝はないと考えているようだし、もしかしたら決勝戦での対戦が実現するかもしれない。


「直人。御子柴さんのことで、色々と辛いと思うけれど気分転換でもいいから、試合を観に来てくれると嬉しいな」


 渚ちゃんがそう言うと、少しの間、なおくんは口を開かなかったけど、


「……体調が良くなったらな」


 俯いたままそう答えた。これまで練習風景の見学に誘っても行かないと言っていたので、気分が良くなったらと言うだけ気持ちの状態が良くなったのかな。


「インターハイ前に一度、御子柴さんと話をしてみたかったんだけれど……どうやら、それは難しそうかな」

「そうですね」

「いつか、御子柴さんと話がしたいな。できれば、優勝したって伝えたい」

「それができるように、御子柴さんの手術が成功するように祈りましょう。それで、インターハイで優勝できるように頑張りましょう」

「そうだね、彩花ちゃん」


 いつまでも立ち止まっているわけにはいかない。次のステージに向け、前へ進もうとしている渚ちゃんや彩花ちゃんが凄いなと思った。


「去年、インターハイに行けなかった悔しさ。この前の予選で金崎高校に敗れた悔しさ。明日からのインターハイで全て返す。優勝っていう形でね」


 それは渚ちゃんの決意であると同時に、月原高校女子バスケットボール部としての決意でもあるように思えた。渚ちゃん個人としては、インターハイを通じてなおくんに元気や勇気を与えたいんだと思っている。


「……頑張れよ、渚。彩花は女バスのサポートをよろしく。応援してる」


 ようやく、なおくんは渚ちゃんや彩花ちゃんに目を合わせ、2人に激励の言葉を贈った。僅かだけれど口角が上がっているのを見て、とても安心する。2人も笑みを浮かべている。


「直人にはたくさん感謝してるからね。明日からの試合で返していくよ」

「私や真由ちゃんが精一杯サポートしていきます。頑張っていきましょう、渚先輩」

「そうだね、彩花ちゃん」


 明日からのインターハイ、とても楽しみになってきた。私の場合は月原だけじゃなくて咲ちゃんのいる金崎も応援したいんだけどね。

 私達は御子柴さんの手術が終わるのを待ち続けた。途中、何度か手術室からお医者さんが慌ただしく出て行くのを見る度にヒヤっとした。

 ただ、御子柴さんの容体が悪いのか、手術はなかなか終わらない。明日に試合がある渚ちゃんと彩花ちゃんは日が暮れた頃に帰った。



 日付が変わろうとした頃にようやく手術が終わり、無事に成功した。それを知ったなおくんは喜びの表情を見せることはなく、ただただ良かったと涙を流していたのであった。

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