第28話『恋ができない少女-前編-』
7月28日、日曜日。
インターハイが明日に迫った渚達は午前中に最終調整を行なうとのこと。それに合わせるように、午後からお見舞いに来ることになっている。インターハイ前に俺と一度会いたいとのこと。
「やあ、藍沢君」
午前10時。いつもの通り、御子柴さんが病室にやってくる。桃色の寝間着に身を包んだ彼女を見ると安心する。
「御子柴さん、おはよう」
「おはよう」
御子柴さんはいつものようにベッドの近くに置いてある椅子に座る。何だか、今日の御子柴さんは顔色があまり良くないような気がするな。普段はちょっと赤らめた感じだけども、今日は青白く見えた。
「御子柴さん、昨日はあまり眠れなかった?」
「えっ?」
「いつもよりもあまり顔色が良くないから、どうしたのかなって」
「……実はそうなんだ」
俺に微笑みかける御子柴さんを見て、なぜか胸がざわついた。いつもなら涼しく感じる空気が肌寒く感じた。
「眠れない日もあるよな。一昨日の俺がそうだったように」
「……入院してからは眠れる日が多かったのに、昨日はひさしぶりにあまり眠れなかったよ」
「それって……息苦しかったり、だるくなったりしたから?」
呼吸がしにくくなったり、胸が苦しくなったり。水分の制限がされていることも辛いだろうな。今も御子柴さんは自分の抱えている病と闘っているんだ。
御子柴さんはゆっくりと首を横に振った。
「ううん、違うんだ。違うんだよ……」
「何か悩み事があったら、遠慮無く言ってくれ。昨日、御子柴さんが俺の力になってくれたように、今度は俺が御子柴さんの力になるから」
いつになく、御子柴さんの元気がないように見えた。だからってわけじゃない。俺は御子柴さんのようになりたいんだ。誰かの力になれるような人に。
「……ごめん。僕の抱えている悩みは、君の力じゃどうしようもできないことなんだ」
御子柴さんは弱々しい声で申し訳なさそうに言った。
「……そうか。でも、俺に話してみて少しでも心が軽くなりそうなら、いつでも言ってくれよ。俺も御子柴さんに色々と話して気分が良くなったからさ」
力にはなれないかもしれない。でも、話したら少しでも心が軽くなるかもしれない。それも、御子柴さんと関わって学んだこと。御子柴さんに何か悩みがあるのなら、まずはそれが何なのか知りたい。何かできないか探ってみたいんだ。
すると、御子柴さんの眼から涙がこぼれる。
「僕は……もう、長く生きられないかもしれない」
俺のことを見ながら、震えた声で御子柴さんはそう告げたのだ。
「長く生きられないって、どういうことなんだ?」
信じられなかった。近日中に手術をすれば大丈夫だと思っていたから。そのことを話してくれたときの御子柴さんも笑顔を浮かべていたし。
「昨日の午後、手術前の検査をしたんだよ。お父さんも、お母さんも、担当の先生もいつもなら見せない表情をしていたんだ」
「いつもなら見せない表情……?」
「……うん。それで、両親と担当医の話をこっそり聞いたんだ。そうしたら、僕の心臓がさらに悪くなっているって……」
「何だって……」
だから、御子柴さんの御両親と担当医は普段見せない表情をしていたっていうのか。
「でも、それは予想の範疇にあることじゃなくて? 手術前だから仕方ないとか――」
「違うよ」
俺の言葉を断ち切るように、御子柴さんは強い口調で否定する。
「僕が聞いたのはそれだけじゃない。手術をしても、症状が改善する可能性がかなり低いって……」
「そんな……」
だから、御子柴さんはさっきあんなことを言ったのか。
――俺の力じゃどうしようもできない。
――もう、長く生きられないかもしれない。
御子柴さんの心臓の状態は担当医の予想よりも悪くなっている。だから、手術をすれば大丈夫だと思っていた診断も、手術をしても症状が改善する可能性が低いという診断に覆った。その話を聞いたから、昨日は眠ることができなかったんだろう。
「でも、御子柴さん。かなり低いってことは、治る確率はほんの少しでも残っているってことなんだ。治らないって決まったわけじゃない」
「そう思いたいよ! でも、お父さんやお母さんの表情を見たら、そんな風には思えない。もしかしたら、本当はもう助かる可能性はゼロかもしれない」
「御子柴さん……」
悩みを抱えていた俺に対しても、常に明るく接してくれた彼女がここまで悩むなんて。今の御子柴さんの心には絶望という感情しかないのかもしれない。
「死ぬしかないなんて思っちゃいけない。まだ希望は残っているはずだ。俺にできることなら何でもする。だから、生きるという希望を捨てちゃいけない」
「……もう、ダメだよ」
「気を……弱くしちゃいけないって」
俺はそう言ったけれど、そう簡単に希望を持てるような心境ではないか。
それでも、御子柴さんが俺を前に向かせてくれたように、俺が御子柴さんをどうにか前に向けるようにさせたい。
「ねえ、藍沢君。僕、最後にどうしてもしたいことがあるんだ。ずっと、この体のために必死に隠して、抑え続けていたこと」
「えっ……」
すると、御子柴さんは精一杯の笑顔を浮かべて、
「私は藍沢君のことが好きなの。ずっと、ずっと前から……」
そう言う御子柴さんは今までの彼女とは別人のようだった。口調も声色も表情も、何もかも……今までのボーイッシュな雰囲気とはかけ離れた、女の子らしい女の子。可愛らしいという一言に尽きる。
「私は藍沢君に……恋をしているの」
「俺に、恋を……?」
御子柴さんはゆっくりと頷く。
「うん。例の写真付きの記事を初めて見たときから、あなたに恋しているんだ。でも、恋をするってことは、心臓をいつもドキドキさせることだから、今の私には恋ができなかった。藍沢君とこうして一緒に話すことができてとても嬉しいのに、恋ができない体だなんて。本当に……残酷、だよね」
御子柴さんの口から放たれる言葉の一つ一つから、彼女の悲しみや痛みが俺の心に刺さってくる。
「御子柴さん、俺は……」
「でも、もう我慢する必要はなくなったよ。最後は少しでも幸せな気持ちになって死にたいの」
「じゃあ、今までの男っぽいあの振る舞いは……」
「そう、本当の自分を隠すためと生きるため。藍沢君への想いを抑えるために、自分のことを僕って呼んで、口調も男っぽくしていたの。病気が治ったら、本当の私を見てもらって藍沢君に告白しようって思っていて。藍沢君と恋人として付き合う未来を勝手に思い描いていたんだよ……」
「そうだったのか……」
少しでも心臓への負担を減らすために。俺への想いを沈めるために御子柴さんは自己暗示をかけていたんだ。口調を男っぽくすることによって。
「今、物凄く胸が痛いよ。でも、どうしてなんだろうね。好きって伝えることができて、とても嬉しいんだ……」
「心臓に負担をかけるようなことは止めてくれ。御子柴さんはまだ――」
「言ったでしょ? 私は少しでも幸せな気持ちになって死にたいって。だから……」
そう言うと、御子柴さんは両手で胸のあたりを押さえ始めた。息苦しそうにしながらも、精一杯の笑顔で俺のことを見る。
「……私は藍沢君に恋をする。藍沢君、大好きだよ……」
御子柴さんは俺への気持ちを口にすると、急に顔色を悪くして俺にもたれかかる。彼女から伝わってくる温もりと重みが、とても痛くのしかかるのであった。
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