第29話『恋ができない少女-後編-』

 ――藍沢君、大好きだよ。


 そう言って、御子柴さんは俺にもたれかかってくる。彼女から受ける重みはとても重い。力がなくなってきているんだ。


「御子柴さん! 気を確かに持つんだ!」

「……藍沢君」


 御子柴さんはゆっくりと目を開けて、俺のことを見る。


「苦しいよ……」

「御子柴さん、すぐに先生を――」

「もう……いいよ」


 御子柴さんは息を荒くしながら俺にしがみついてくる。


「私はもう、生きることができないの。だから、せめても……藍沢君に抱かれながら死にたいよ……」

「そんな弱気なことを言わないでくれ。助かる可能性がゼロだとは限らないんだ! だから、死にたいなんて言わないでくれよ!」

「ううん……」


 それでも、御子柴さんは首を横に振る。そんな彼女の顔色がどんどんと白くなっていく。呼吸も乱れてしまっている。

「藍沢君」

 俺の名前を口にすると、御子柴さんは必死に笑顔になって俺の寝間着を掴み、ゆっくりと顔を近づけ、


「……藍沢君のことが大好き。最後の思い出を……ください」


 御子柴さんはそっと俺に口づけをして、力なく胸に倒れ込んだ。


「御子柴さん、御子柴さん!」


 彼女の名前を呼んで、彼女の頬を軽く叩いてみるけれど、御子柴さんからの反応は見られない。


「御子柴さん、目を覚ましてくれ!」


 そう言っても、御子柴さんの眼が開くことはない。

 俺はまた、自分に好意を抱く1人の人間を苦しめ、死なしてしまうのか?

 唯と同じように俺に告白して、寂しそうな笑みを浮かべて。あのときと同じように、俺は何もできずに逃げるだけなのか?

 2年前のことがフラッシュバックする。


 告白した直後の唯の笑み。

 唯が死んだと知らされたときの儚さ、寂しさ、悲しさ。

 クラスメイトや知り合いからの執拗なバッシング。


 逃げたい。あのときのような恐怖から逃げたい。

 でも、それらは俺が唯から逃げ続けた結果でもある。俺はまたあのときと同じような過ちを繰り返すのか? 俺はどうしたいんだ?

「御子柴さん……」

 御子柴さんの口元に手を近づけると、かなり弱くて不安定だけどまだ彼女の温かな吐息が感じられる。


「まだ、生きている……」


 御子柴さんは死にたいなんて言っていたけれど、体は正直なんだ。まだまだ生きたいって。死にたくないって言っているんだ。


 ――君は強い人間だって信じている。


 御子柴さんはこんな俺のことを信頼してくれているんだ。そんな彼女に俺は何度も支えられてきた。

 だから、今度は俺が彼女を強いと信頼して支える番だ。あの口づけを御子柴さんの最後の思い出にはさせない。


「御子柴さん、君の心臓が治ったら、俺と剣を交わそう。だから、頑張るんだ!」


 俺はもう逃げない。目の前にあることから逃げない。大切な人をもう誰一人として死なせない!

 御子柴さんの状況を知らせるため、まずはナースコールをしよう。ベルトが邪魔だけれど、何とか頭でコールボタンを押す。


『藍沢さん、どうしましたか?』

「私の病室に遊びに来ている御子柴香苗さんの容体が急変して、意識不明の状態です。すぐに私の病室まで来てください!」

『分かりました!』


 看護師の女性は慌ただしい声でそう言った。

「御子柴さん、頑張るんだ。もうすぐ先生が来るから」

 俺は御子柴さんの頭をゆっくりと撫でる。

 御子柴さんの名前を出したから、彼女の担当医か日曜日で休みの可能性があっても、心臓外科の医者が来るはずだ。

 1秒でも早く来てほしいのに、廊下の方から足音さえも聞こえてこない。

「くそっ、ベルトが邪魔だ」

 ベルトによる拘束から抜け出すことができない。いてもたってもいられないから、廊下に出て大声で医者や看護師を呼びたいんだ。これは一刻を争う事態なんだぞ!

「藍沢さんっ!」

 病室に2人の女性看護師が入ってくる。


「彼女、御子柴香苗さんが胸の痛みと息苦しさを訴えた後、意識を失いました。不安定ですが呼吸はしています」

「分かりました。急いでストレッチャーを持ってきて!」

「はいっ!」

「御子柴さんは心臓に病を抱えていると話していました。おそらく、彼女は心臓外科の患者として入院しているはずです。彼女の担当医に至急連絡をお願いします!」

「分かりました」


 よし、後はお医者さんや看護師さんに任せよう。

 看護師さんに頼んで、拘束しているベルトを外してもらう。

 ストレッチャーが来て、彼女が処置室に運ばれるまでの間、俺は御子柴さんに声をかけ続けた。ただ、ひたすら頑張れと言って。御子柴さんに対してそれだけしかできなかった。それがとても悔しかった。



 日曜日ということもあり、今日は休日だった御子柴さんの担当医も、彼女が急変したことで病院にやってきた。担当医曰く、予想外の事態とのこと。

 その後、御子柴さんの御両親もやってきた。俺が御子柴さんから聞いた本当の病状について訊いてみると、御両親は御子柴さんのことを考えたら言えるような状況ではなかったという。そのときに、申し訳なさそうな表情を浮かべていたのが印象的だった。

 早急な手術が必要ということなので、御子柴さんは手術室に運ばれ、緊急手術が始まった。手術が成功する確率はかなり低いという。

 手術室の前にあるベンチに座り俺はただ、手術が成功するようにと願った。


「御子柴さん……」


 できることを俺はしたと思う。唯のときにはできなかったことを俺はできたと思う。それは御子柴さんのおかげだと思っている。

 それなのに、俺はこう思ってしまうのだ。


 ――俺は自分に好意を持った人を殺すところであった、と。


 御子柴さんは俺に恋をしたから、こんな目に遭ってしまったのだと。俺のことを知らなければ。そもそも、俺さえいなければ、御子柴さんは今も元気に剣道をしていたかもしれないと思ってしまうのだ。


「怖い……」


 誰のせいでもない。全ては自分が悪いのだと分かっている。

 これからの未来を決断することがまた怖くなった。決断することで誰か、大切な人がいなくなってしまうような気がして。それがとても嫌で。逃げたい気持ちが膨らみ始めていくのであった。

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