第12話『例え、形が在らずとも。』

 午後7時。

 夏でもこの時間になるとすっかりと暮れた。陽の光がなくなると途端に寂しくなる。ただ、病室の窓から見える景色が洲崎町よりも明るいから、いくらかその寂しさも和らぐ。

 強い薬を点滴で投与しているため、なおくんは今も眠っている。なおくんは今、どんな夢を見ているのかな。

 日が暮れたことが気分的にいい区切りになったのか、まずは咲ちゃんと紅林さんが病室を後にした。今回のことで一番ショックを受けていたのは紅林さんだと思う。そんな彼女のことを咲ちゃんが優しく寄り添いながら帰っていくのが印象的だった。

 浩一さんとひかりさんが売店で飲み物を買いに行ったので、病室には私、彩花ちゃん、渚ちゃん、美月ちゃんだけが残った。浩一さんとひかりさんがいることで、平静を保っていた空気感が一気に沈んでしまった感じがする。そのためか、誰一人として言葉を発しようとしない。


「日曜日にルピナスの花を買いに来たときに会った直人先輩は、死にたいなんて考えているようには全く見えなかったんだけどな……」


 彩花ちゃんが儚い笑みを浮かべながら、独り言のように発する。


「どうして気づけなかったんだろう……」


 自責の念が彩花ちゃんを襲っているのか、彼女の目からは涙がポロポロとこぼれ落ちていく。


「彩花ちゃんは何も悪くないよ」

「でも、あのときに何か分かっていれば……」

「……過ぎたことを悔やんでもしょうがないって」

「それでも……」


 表情が崩れてゆく彩花ちゃんのことを、渚ちゃんはそっと抱きしめる。


「……そうだよね。悔しいよね。何かできたかもしれないって。悔しいと思うなら、これからできることをしようよ」

「渚先輩……」


 彩花ちゃんは渚ちゃんの胸に顔を埋めて、声を上げて泣き始める。そんな彼女を抱きしめる渚ちゃんも目を潤ませていた。それでも、勇ましい表情を見せている渚ちゃんは強い女の子だと思う。


「渚ちゃんの言うとおりだよ。彩花ちゃんは何も悪くないよ。私は土曜日からずっとなおくんの側にいたのに、なおくんがまさか……そこまで死にたいと思っていて、その想いを隠していたなんて。全く考えなかったもん」

「美緒ちゃんと同じです。あたしもお兄ちゃんの気持ちに気づけなかった……」

「……みんなが気づけないほど、直人は自然に振る舞っていたんだね。さすがは直人……って言っちゃっていいのかな。みんなが気づけなかったんだったら、私もきっと同じだったと思う」


 紅林さんに殺されたいと微塵にも思わせないほどの自然な様子だった。まさか、という一言に尽きてしまう。それはなおくんの優しさだったのか。さっき、楓ちゃんが電話で言っていたように、相当強いわがままだからこそできてしまったことなのか。


「あっ……」


 私のスマートフォンが鳴っている。発信者を確認すると『北川楓』と表示されている。もしかして、唯ちゃんの気持ちが分かるものが見つかったのかな?


「ごめんね、電話が来てる」


 廊下に出て、楓ちゃんからの電話に出る。


「もしもし、楓ちゃん」

『もしもし、美緒。藍沢君の様子はどう?』

「なおくんは強い薬を点滴で投与されているから、今もずっと眠ってる」

『……そう』

「それで、何か唯ちゃんの気持ちが分かるようなものは見つかった?」


 何か見つかったから電話したのだと信じて、一番知りたいことを楓ちゃんに問いかける。


『まだ、見つかっていないわ』

「……そっか」

『さっきの電話のすぐ後に、柴崎さんの家に行って、彼女のご家族にも協力してもらっているんだけれど、なかなか見つからないの』

「そうなんだ……」


 ご家族にも協力してもらって、数時間ほど探しても見つからないか。


『ねえ、美緒。柴崎さんが亡くなってから2年以上経っている。彼女の気持ちが分かるものが残っているなら、とっくに見つかっていると思うの』


 楓ちゃんの言うことは最もらしい。唯ちゃんの気持ちが分かる物が、何か形として残っているなら、唯ちゃんが亡くなってからの2年以上もの間見つかっていない方がおかしいんだと思う。


『美緒。柴崎さんがSNSをやっているとか聞いたことはある?』

「えっ? え、えすえぬえす?」

『ソーシャルネットワーキングサービスのこと。簡単に言えば、LIMEとかTubutterとかそういうサービスの総称』

「ああ、この前、楓ちゃんに教えてもらったLIMEのことなんだ」


 唯ちゃんだったら、生きているあのときからSNSとかを使っているかもしれない。確か、唯ちゃんはスマートフォンを持っていたし。


「唯ちゃん、スマートフォンは持っていたよね。でも、SNSを使っているかは分からないな」

『そう。でも、分からないだけで、使っていないっていう確証はないのね。パソコンから利用できるSNSもあるし』

「なるほどね。でも、どうしてそんなことを訊くの?」

『もしかしたら、ネット上に何か投稿しているかもしれないと思って。ハンドルネームは本名とは全く関係ないものかもしれないけれど』

「は、はんどるねーむ?」


 楓ちゃんの言うことは時々、カタカナの言葉が入るから分かりにくい。


『ええと、ネット上での名前よ』

「お名前のことなんだ。じゃあ、『柴崎唯』とは違うお名前で自分の気持ちを投稿しているかもしれないんだね」

『そういうこと。それに、安全面を考えたら、本名や本名が容易に分かるようなハンドルネームは使わない方がいいからね。まあ、彼女がSNSをしているのかも分からないし、仮にしていたとしても見つけるのは難しいと思う。可能性は低いと思っていて』

「分かった。でも、僅かにでも可能性があるなら、それを信じたいな。それに、私自身が唯ちゃんの気持ちを知りたいし」

『……私も同じよ。柴崎さんの気持ちを知りたい。彼女を知っている人に片っ端から聞いてみる必要がありそうね……』

「ありがとう、楓ちゃん」


 ネットの世界で、唯ちゃんの気持ちを表した言葉が、今も生きている可能性を信じよう。もちろん、現実の世界で何か形に残っていることも信じながら。


「……仮に、何も見つからなくても、私はなおくんを元気にしたい」


 例え、形として残っていなくても、ネットに言葉が残っていなくても。生きている私達が協力してなおくんを元気にしたい。笑顔になってほしい。


『美緒と同じ気持ちよ。見つからなかったら、またそのときに考えましょう。それで、美緒はこれからどうするの? 月原に居続けるの?』

「なおくんがいないのに、なおくんの家にいさせてもらうのも複雑な気分だけど、しばらくの間は、お見舞いをするためになおくんの家から病院通いするつもりだよ」


 月原にいること自体、普段とは違うこと。そんな私がすることは、お見舞いをしてなおくんの側にいることなんじゃないかと思う。


『分かったわ。そう言うと思ってた。それでこそ、美緒ね』

「うん。なおくんの側にいたいし、ね」

『ふふっ、美緒の言葉を聞くとさらにやる気が出てくるわね。とりあえず、友達に連絡してSNSの件は訊いてみるわ』

「ありがとう、楓ちゃん」

『洲崎にいる私にはこのくらいのことしかできないわ。だから、美緒は藍沢君の側にいるあなたなりのことを頑張って』

「……うん」

『じゃあ、私はこれで。何か分かったら電話するわ』

「うん、よろしくね。またね、楓ちゃん」

『またね、美緒』


 楓ちゃんの方から通話を切った。

 楓ちゃんには何度も助けられているなぁ。沈んでしまった気持ちを、一気に希望へと向けてくれる。本当に心強い存在。


「……自分にできることを頑張ろう」


 どんな未来になるか分からないけど。できることはやりたい。そんな想いを抱きながら病室に戻るのであった。

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