第27話『改ざん』

 午後4時半。

 あたしは女バスの活動を休んで、月原高校へと向かう。今のところ、3人から連絡がないからまだ杏子は動いていないみたい。

 体育館に行くと、女バスのサポートをしている直人の姿があった。なるほど、直人のような背の高い男子を入れることで、色々な戦術を編み出しているってわけね。

 隠れて月原の女バスのことを見てみたけれど、チーム力の高さの理由が少しだけ分かった気がする。

 休憩時間に入ったようなので、あたしは直人達のところに向かった。


「みんな、お疲れ様」

「あっ、咲さん。お疲れ様です」

「直人もね。ちょっと練習を見させてもらっちゃった」

「盗めるんだったら盗んでもいいよ。その方が面白いからね」

「……是非、参考にさせてもらうわ」


 あたしがそう言うと、吉岡さんは爽やかな笑みを浮かべた。参考どころか取り入れる気満々だけれどね、こっちは。あたし達が考えついたと思えるくらいに、この技術をものにしてやるんだから。


「やっぱり、咲さんも渚さんもバスケのことになると目が輝いていますね」

「まあ、大好きなことだからね」

「夢の舞台に行くわけだから、ワクワクしないわけがないでしょ」


 インターハイという名の夢の舞台に。その瞬間まであと1ヶ月を切っている。優勝するためにも、これからより一層頑張らないといけないな。


「広瀬先輩、今のところ紅林先輩の姿は見かけていません。香奈ちゃんや真由ちゃんにも協力してもらっているのですが、2人も同じく見ていないようで」

「日中は私が直人の側にいるけれど、紅林さんは見なかったなぁ」

「……そう。分かったわ、ありがとう」


 あたしは月原に通っていないから、あたしがいない間に行動するかと思ったんだけれど、意外だ。宮原さんや吉岡さんが側にいるからなのかな。

「広瀬先輩、あそこに……」

 そう言って、宮原さんが指さした先にはこちらの方を見て笑っている杏子がいた。あの日以来だけれど、彼女の笑みを見ると寒気を感じる。


「もしかして、彼女が例の紅林さんという方なのですか?」

「そう」

「そんなに警戒すべき人には思えませんけど……」

「ダメだよ。彼女はあなたの記憶を改ざんしようとしているんだから」


 あたしは直人を守るように、彼の前に立つ。

 杏子は不気味な笑いを浮かべながら、あたし達のところまで近寄ってくる。


「やっぱり、咲はここにやってきた。私の想像通り。単純な女」

「まさか、この時を待っていたっていうの?」

「当たり前じゃない。私はあなたの目の前で直人君に真実を植え付ける。私が彼女だっていう事実を、ね」

「……本当に直人のことが好きなあたしのことが嫌いなのね」


 杏子は本当に直人のことを自分のものにしたいのね。ここまでしてでも彼氏にしたいほど、杏子は直人に心酔しているんだ。


「直人先輩があなたの恋人なわけがないじゃないですか! 直人先輩の彼女は広瀬先輩なんです!」

「彩花ちゃんの言うとおりだよ。直人の恋人は広瀬さん。それ以外に真実はないよ」


 宮原さんと吉岡さんが反論すると、それが気に食わないのか杏子は不満そうな表情を露わにする。


「……ふうん。まさか、吉岡さんと宮原さんがこんなことを言うなんてね。バスケを使って自分の恋人にさせた咲のことを許しているんだ。信じられない。私だったら絶対に許さないけどね」

「広瀬先輩が直人先輩のことを大切に想っていると信じているから、私は直人先輩の恋人が広瀬先輩である事実を受け入れたんです。あなたのように、誰かを傷つけるために付き合っているんじゃないって」

「それに、直人だって広瀬さんといるときは本当に幸せそうだよ。そんな2人は立派な恋人同士。2人の仲を引き裂こうとする方が許せない」


 宮原さんと吉岡さんはあたしの両隣に立って、あたしのフォローをしてくれる。それが本当に心強くて、とても嬉しい。

 しかし、そんなあたしとは裏腹に、杏子にとっては気に入らないようで舌打ちをする。


「みんな、咲の味方なんだ。つまんないの」


 はあっ……とため息をつくと、意外にも杏子は笑顔になって、


「でも、直人君は私の味方だよね。だって、私の彼氏なんだもん!」


 直人に向かってそう言った。皮肉にも、今の笑顔はとても可愛らしくて。このくらいのことで直人が杏子の彼氏だとは思わないだろうけど、それでも心配だった。

 直人のことを見ると、彼は真剣な表情をして、


「僕の恋人は咲さんです。あなたではありません」


 直人は迷いなく、あたしのことを彼女だって言ってくれた。それがとても嬉しくて、同時に心配してしまったことを申し訳なく思う。


「それに、あなたを見ていると――」

「死んじゃってもいいの?」

「えっ……」


 直人の目が見開き、徐々に体が小刻みに震え始める。


「直人君が彼氏にならなかったら、私……死んじゃうよ?」


 死んでしまう。

 まるで、この言葉が引き金になったかのように、直人は青ざめた表情になり、

「うっ……!」

 激しい頭痛に襲われているのか、両手で頭を抱え込んでその場で倒れてしまう。

 やっぱり、記憶がなくなっても、唯が亡くなったことが自分には苦しいことであるというのは分かるんだ。トラウマは記憶喪失が起こっても消えないってことか。

「直人先輩!」

「直人!」

 宮原さんと吉岡さんは倒れた直人のところに行くけれど、あたしは杏子のことを睨んだまま立ち尽くしていた。杏子にかつてないほどの怒りを抱いているせいだろうか。

 当の本人である杏子は直人のことを見て不気味な笑みを浮かべていた。


「あぁ、倒れちゃった。でも、記憶がなくても、自分が振れば人が死ぬっていう感覚は本能で覚えているみたいだね……」

「杏子! あなた、直人に何をしたか分かってるの!」

「私はただ、直人君の彼女が私だっていうことを言っているだけだよ。ただ、今の直人君があまりにも咲と仲が良さそうに見えるから、今みたいに言わないと振り向いてくれないような気がして。直人君を苦しめたのは……咲、あなたのせいなんだよ」


 そう言うと、杏子はあたし達を蔑むように笑っている。

 卑怯で、卑劣だ。

 唯の死というこれまでずっと直人を苦しませているトラウマをこんな形で利用するなんて。そのことに対して、怒りという名の風船は膨らんでいくばかり。


「直人君、あなたの本当の彼女は私なの。だから――」

 ――パチン!


 気付けば、あたしは杏子の目の前まで行き、彼女の頬を右手で思い切り叩いていた。怒りが抑えきれなかった。


「杏子が直人のことをどれだけ好きなのかは知らない。でも、好きだったら、どうして苦しんでいる直人を目の前にして笑っていられるの!」


 考えられなかった。本当に直人のことが好きだったら、自分の言葉で直人を苦しめようともしないし、彼の苦しむ姿を見て笑うなんて言語道断。正直、杏子から直人への愛なんてこれっぽっちも感じられなかった。


「今の杏子に、あたしの大切な人を絶対に譲らない! 直人にどんな過去があっても、今はあたしが直人の恋人なの! それは決して揺るがないことなんだから! それが分かったら、今日はもう帰りなさい!」


 直人を苦しめて、そんな彼を見て笑顔を見せる人のことなんて許せない。それがたとえ、あたしの親友だとしても。直人のこともそうだし、2年前に亡くなった唯までもが馬鹿にされたような気がして。


「……へえ、そういう態度を取るんだ」


 あたしに叩かれた部分を手でさすりながら、杏子は低い声でそう言った。あたしの体に穴を空けるような鋭い視線を浴びせる。


「それがあなたの意見だとしても、肝心な直人君本人からの返事を聞いていない」

「それはさっき――」

「あたしを振ったら死ぬかもしれない。その上での答えは聞いていないよ。まあ、猶予を与えてあげるわ。明日、直人君の気持ちを聞かせて。まあ、あたしを選ばなかったらどうなるかは、何度も言っているから分かっているよね……」


 そんな捨て台詞を言うと、今日はさっさと体育館から姿を消したのであった。

「直人……」

 京子の姿が見えなくなってようやく我に還ったあたしは、直人の方に振り向く。

 そこには息を乱して時折苦しそうな表情を浮かべながらも、宮原さんと吉岡さんに体を支えられ、あたしのことを真っ直ぐに見ている直人の姿があったのであった。

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