第14話『夜が明ける』

 6月27日、木曜日。

 今日の天気は曇りだけれど、いつ雨が降ってもおかしくないような感じ。

 昨晩は頭痛で苦しがっていた直人先輩は、今朝になったらすっかりと元気になっていた。学校に行っても大丈夫そうだったけれど、今日は大事を取って学校を休んでもらうようにした。

「ふああっ……」

 昨日は全然眠ることができなかったので、今になって眠くなってきた。

 直人先輩が退院して家に帰ってきたことは嬉しいけれど、広瀬先輩という恋人がいるのに直人先輩と一緒に暮らしていいのかって悩み続けたら、いつの間にか陽が昇っていた。結局、一睡もできなかった。

 学校に向かう途中にあるコンビニで甘いエナジードリンクを買って、コンビニを出たところで一気に飲んだ。これで今日は何とか乗り切れるかな。

「彩花ちゃん」

 私に気付いた真由ちゃんは笑顔で手を振ってこちらにやってくる。


「真由ちゃん、おはよう」

「おはようございます、彩花ちゃん。こんな所で……エナジードリンクを持ってどうかしたのですか?」

「いや、昨日……一切眠れなくて」

「一切眠れない……はっ」


 真由ちゃんは何かを勘違いしているようで、顔を真っ赤にしている。両手を顔に添えて私のことをチラチラと見ている。


「ええと、私はとんでもないことを聞いてしまったみたいです。私は彩花ちゃんを責めるつもりはありません。相手が藍沢先輩からだったかもしれませんし」

「……何をしたと思っているの?」


 すると、真由ちゃんは不思議そうな表情をして私のことを見て、


「……よ、夜に行なう愛の営みではありませんの?」

「はあっ? そ、そんなわけないよ! できるわけないじゃん!」


 ううっ、真由ちゃんがそんなことを考えるような女の子だとは思わなかった。

 でも、真由ちゃんの想像するようなことをしていたら、どうなっていただろう。今のこの苦しみが少しでも和らいだかな。たとえ、直人先輩に望まれたとしても。……ううん、きっと一時的な快感は味わえても、その後にはきっと後悔していると思う。


「ごめんなさい、彩花ちゃん。私、一切眠れないと聞いたものですから、つい……」

「ううん、気にしないでいいよ。そういうことをしちゃいたいくらいに直人先輩のことは好きだし」

「広瀬先輩の恋人になってからそんなに日にちも経っていませんもんね。では、どうして眠れなかったのですか? もし良かったら、聞かせてくれませんか?」

「……直人先輩が退院して、家に帰ってきたんだけれどね」


 真由ちゃんは昨日のことを話した。直人先輩が退院して家に帰ってきたこと。2年前の事件のことをきっかけに、ほんの少しだけだけど記憶が戻ったこと。そのことで頭痛が起きて苦しんでいること。


「そうですか。どうやら、藍沢先輩は2年前の事件について、本能で感じ取ってしまうのかもしれませんね」

「うん。私、直人先輩に記憶を取り戻して欲しいと思っているけれど、あんなに苦しそうな先輩のことを見ると、このまま記憶をなくしたままでもいいじゃないかと思ってきて。それに、先輩と一緒にいるとこのままでいたい気持ちが膨らんできちゃって……」


 ああ、そう思ったらまた涙が出てきた。

「彩花ちゃん」

 真由ちゃんは優しい笑顔をして私にハンカチを差し出す。


「ありがとう、真由ちゃん」

「いえいえ。……そういえば、よく見ると目尻が赤くなっていますね。相当悩んでいるんですね」

「うん。もう、どうすればいいのか分からなくなって。前と同じように直人先輩と一緒に過ごせることがとても嬉しいのに。でも、私は一緒にいちゃいけないような気がして。広瀬先輩っていう彼女もいるし……」

「そのことを考え始めたら止まらなくなってしまって、眠ることができずに朝を迎えてしまったわけですか」

「うん。結局、答えが見つけられなくて……」


 広瀬先輩に許可されているから、直人先輩の記憶が戻るまで一緒にいていいのかな。

 でも、広瀬先輩という恋人がいる以上、あの家から離れるべきなのか。2人まで住むことができるけれど、元々は直人先輩が住んでいる家なんだし。


「難しい悩みですね。記憶をなくし、苦しんでいるときがあるからこそ藍沢先輩の側に居続けるべきか。たとえ、広瀬先輩に了承を頂いていても、恋人のいる男性とは一緒にいない方がいいのか。私も彩花ちゃんの立場なら悩んでしまいますね」

「そうだよね……」


 真由ちゃんは冷静だから、何か答えを言ってくれるかなと思ったんだけれど、やっぱり難しいことだよね。


「ただ、この悩みを解決する答えははっきりとはないんじゃないでしょうか。一緒にいてもいなくても、彩花ちゃん次第なのではないかと思います」

「真由ちゃん……」

「私は彩花ちゃんがどのような判断をしても責めるつもりはありません。彩花ちゃんのことを支えるつもりですから。浅沼君のときみたいに。だから、何か心配だったり不安だったりしたときには、今みたいに相談してきてください」

「……うん。ありがとう」


 そうだよ、私はすっかりと忘れていた。自分の部屋で直人先輩のことを考えていると、まるで世界には直人先輩と私しかいないような気がして。直人先輩に頼っていいと言ってしまった以上、自分1人で直人先輩への責任を果たさなきゃいけない気がして。

 私には真由ちゃん、香奈ちゃんがいるんだ。渚先輩や広瀬先輩も。それに、私の家族、洲崎町の人達だっている。みんなで直人先輩を支えようということを最近決めたはずなのに、それをすっかりと忘れてしまった。

 不安を言葉にして、ほんの少しだけスッキリした。それでも悩みは解決する兆しは見えないけれど、1人で抱え込むよりはずっと良かった。


「彩花ちゃんさえ良ければ、昼休みに香奈ちゃんと渚先輩を加えて4人で相談しましょうか。こういうときは多い方がいいですし」

「……そうだね」


 自分の気持ちをしっかりとしたものにしたい。直人先輩と一緒に居続けるとしても、離れるとしても。どちらにしても、柔な気持ちではきっと直人先輩を笑顔にはできない。


「色々ありますよね。藍沢先輩のことも考えたいけれど、一緒にいるとどうしても自分の欲が出てしまう」

「うん、まさにそう」

「それだけ、藍沢先輩のことが今でも好きなんですよ。でも、それは何にも悪いことではありません。彼女がいる方に対してでも恋心を抱くというのはとても素敵なことだと思います。藍沢先輩のことを話す彩花ちゃんはとても輝いていますから」

「……ありがとう」


 そういえば、ひかりさんにも同じことを言われたな。意中の人に恋人がいても、好きという気持ちを持ち続けることは素敵なことだって。


「私はそんな人にいつか巡り会うことができるでしょうか。それとも、既に巡り会っているのでしょうかね」

「……真由ちゃんなら素敵な人と恋人同士になれるよ」

「もし、彩花ちゃんが藍沢先輩の恋人になれなかったら、そのときはその……私が彩花ちゃんの恋人になってもいいんですからね」


 真由ちゃんは顔を結構赤くして、恥ずかしそうな表情をして視線をちらつかせていた。


「……もしかして、昨日の香奈ちゃんのことで嫉妬してる? 香奈ちゃんの頬にキスをしたから」


 そう言うと、真由ちゃんははっとした表情になって頬を赤くする。


「なっ……! そ、そういうわけではありません! しかし、彩花ちゃんのお嫁さんになるのであれば、彩花ちゃんと付き合いの長い私の方がいいかと思いまして……!」


 そういうわけじゃないと言っておきながら、言っていることは結構そういうわけな内容だと思うんだけれど。


「もう、しょうがないなぁ」


 周りに月原高校の生徒がいないことを確認して、私は真由ちゃんの頬にキスをする。


「……これでいい?」

「……はい。す、末永く宜しくお願いしますね……彩花ちゃん」


 目を潤ませながら私のことを見てくる真由ちゃんはとても可愛くて、ちょっとキュンとした。


「今のキスは香奈ちゃんに昨日したからであって。その……真由ちゃんの気持ちはとても嬉しいけれどね」

「……あうっ。す、すみません。私、彩花ちゃんにキスをされたことが嬉しかったものですから、ついあんなことを言ってしまって……」

「気にしないでいいよ」


 末永くって聞いたときには本気で私のことを奥さんにするかと思ったけれど、やっぱりキスされたことに驚いちゃったからだったんだね。

 すると、真由ちゃんは私の手を掴んだ。


「あと少しですけれど、前みたいに手を繋いで学校に行きましょう」

「うん」


 そういえば、浅沼の一件で、不登校になった時期があって。学校にまた登校し始めた時には、行き帰りに真由ちゃんがこうして手を繋いでくれたっけ。

 真由ちゃんの手から伝わってくる温もりが優しく思えた。一晩中悩み続けていたから、人の感触や温もりがとても心地よく感じたのであった。

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