第13話『ふるさと』

 私の作った卵料理を直人先輩は美味しそうに食べてくれた。オムライスに玉子焼きに茶碗蒸し……他にもたくさん作ったけれど、病み上がりとは思えない食欲でデザートのプリンまで完食してくれた。

 直人先輩を見ていると、やっぱりずっとこうして直人先輩と一緒にいたい。今みたいに直人先輩のためにご飯を作って、直人先輩と一緒にご飯を食べていたい。

 夕食の後片付けを済ませ、食後のティータイムでゆっくりとしようとしたときだった。


「……あの、彩花さん」

「なんですか?」

「彩花さんに伺いたいことがありまして。これなんですけど……」


 すると、直人先輩はスマートフォンを取り出して、色々とタッチした後にテーブルの上に置いた。

 スマートフォンの画面には私も使っているSNSのトーク一覧が表示されている。そこには、家に帰ってから届いた渚先輩と広瀬先輩からのメッセージや、椎名さんや北川さんなど洲崎町に住んでいる人からのメッセージが届いている。


「咲さんと渚さんは分かるのですが、それ以外のメッセージの送信者のほとんどが分からなくて」

「そうですか。ちょっとメッセージを見てみてもいいですか?」

「はい、是非」


 直人先輩に了解を得たので、私は先輩のスマートフォンを手に取った。

 トーク一覧を見てみると、倒れてから受信した渚先輩と広瀬先輩以外からのメッセージは全て洲崎町に住んでいる方達からだった。北川さんや椎名さん、笠間さん、柴崎さん達から記憶を失ったけれど大丈夫か、という旨のメッセージが届いている。


「洲崎町の方達から、直人先輩のお体を心配しているメッセージが届いていますね」

「洲崎町? 確か、ここからでは電車で2、3時間くらいかかりそうな場所ですが。どうしてそのような場所に住んでいる方からメッセージが……」


 直人先輩、洲崎という町があることは知っているけれど、そこが自分の故郷であることは忘れちゃっているんだ。


「直人先輩、その洲崎町というところが先輩の故郷なんですよ。月原市に引っ越してきたのは高校に入学したときなんです」

「そうだったんですか。僕の故郷はここではなかったんですね」

「はい。今年のゴールデンウィークは私や渚先輩と一緒に洲崎町に行ったんですよ。覚えていませんか?」

「……ごめんなさい。全く覚えていなくて……」


 直人先輩は苦笑いをした後に、ちょっと切なそうな表情を浮かべた。


「しかし、なぜでしょう。洲崎町と聞くと、気持ちが少しざわつくんです。僕は洲崎町で何か辛い体験でもしたのでしょうか……」

「え、えっと……」


 きっと、ざわつく原因は柴崎唯さんが亡くなった2年前の事件のことだと思う。あまりにもショックな出来事だったからなのか、本能で覚えているのかもしれない。


「生まれて中学を卒業するまでずっと住んでいたんです。辛いことはいくつも経験しているかもしれませんね。私はあまり知らないですけど……」

「そうですか。15年間も過ごしていれば、胸が苦しくなるようなことは何度も経験していますよね」


 その経験は本当に胸の苦しくなるようなものだけれど。それを言えば、記憶を取り戻すきっかけになる可能性は高いと思うけれど、もしそうなったら苦しみが伴うはず。その方法だけはなるべく使いたくない。


「咲さんや渚さん、僕の家族以外はその洲崎町の方達なんですね。色々とお名前がありますけど、誰とどんな関係なのか分からなくて……」

「そうですか。この北川さんという方は直人先輩が倒れたときに一緒にいてくれた方で、中学生のときの同級生です」

「そうなんですか。みなさんのメッセージから、咲さんの他に北川さんから聞いたと書いてある方も多くて……」

「広瀬先輩と北川さんは親友同士ですからね。直人先輩のご家族や、洲崎町の方達に連絡してくれたのは彼女だったんです」

「そうだったんですか。納得しました」


 ちょっとスッキリしたのか、直人先輩は爽やかな笑みを浮かべていた。


「そして、椎名さんは直人先輩の幼なじみの同い年の女の子です。故郷にある洲崎町にある高校に通っています」

「そうですか。僕にも幼なじみという存在がいたんですね。しかも、女の子なんですか。てっきり、いたとしても男の子だと思っていました」


 漫画みたいだなぁ、と直人先輩は笑っていた。そういえば、幼なじみに限らず直人先輩の周りには女の子が多いなと思う。


「じゃあ、この笠間さんという方は?」

「……直人先輩の同い年の親友です。椎名さんや北川さんと同じ高校に通っています。笠間さんとは中学生のとき、一緒に剣道をやっていたんですよ」


 笠間さんも柴崎さんの事件に大きく関わっているけれど、訊かれてしまっては答えないわけにはいかない。


「そうですか。僕にも親友と呼べる方がいたんですね。こうして連絡をしてくれるなんて有り難いです」

「ええ。記憶を失っても、直人先輩を支えようとしてくれている方がこんなにもいるんです。ですから、記憶がないことを悪いと思わなくていいんです。少しずつでもいいですから、取り戻していきましょう」

「……ありがとうございます、彩花さん」


 そうだよ。記憶を取り戻さなくても、直人先輩のことを大切に想ってくれる人はこんなにもいる。だから、少しでも長く、私とここで――。


「……何、考えているんだろう、私」


 本当に酷いな。直人先輩の記憶は戻ってほしい気持ちもあるのに、このまま記憶がないまま一緒に住み続けたいと思ってしまうなんて。恋をすることってここまで自分中心の考え方にしてしまうのか。


「彩花さん? どうかしましたか?」

「い、いえいえっ!」

「……ところで、彩花さん。この……柴崎千夏さんとは?」

「えっと……」


 柴崎千夏さんの名前を見つけてから、なるべく話を避けようと思ったけれど、直人先輩の口から柴崎さんの名前が出てしまった。


「な、直人先輩のご実家の近くに住んでいる近所のお姉さん……です。大学生です」

「近所のお姉さん、ですか……あっ」


 急に先輩ははっとした表情になる。何かを思い出したのかな?


「しばさき……?」


 直人先輩はそう呟くと、

「うっ!」

 急に苦しそうな表情をして、両手で頭を抱える。

「先輩!」

 私はすぐに直人先輩の側に駆け寄り、先輩をソファーまで連れて行く。その間も先輩は激しい頭痛が起きているからか、悲痛な声を出している。


「先輩、とりあえずはここで横になってください!」

「す、すみません……はあっ、はあっ……」


 先輩、とても苦しそうだ。その直前に柴崎と呟いていたから、きっとあの事件に関して何か思い出したのかもしれない。


「先輩、大丈夫ですから。今は私がずっと側にいますから!」

「……海、岬……」

「えっ……」

「なぜなのか分かりません。でも、不意に……曇り空の下に広がっている海の景色を思い出したんです。それに、何だか肌寒い感じがして……」


 そう言うと、直人先輩の顔が青白くなっていて、体が小刻みに震え始めた。

 直人先輩の額に手を当てると、熱がちょっとあった。


「直人先輩、寝室に行ってベッドで寝ましょう。それとも、今の時間であれば長谷部先生もいらっしゃるかもしれませんし、タクシーを呼んで病院に行きますか?」


 私がそう訊くと、直人先輩はゆっくりと首を横に振った。


「ここにいます。だって、彩花さんが……約束してくれたでしょう? 僕の側にいてくれると。僕は……彩花さんの側にいたい」


 とても苦しくて、辛いはずなのに……それでも直人先輩は私に笑顔を見せてくれる。これで何度目だろう。その優しさでまた、直人先輩の顔が揺らめいてしまっている。


「……彩花さんにまた、心配をかけさせてしまいましたね……」

「気にしないでください。一緒に住んでいるんですし、お互い様です。直人先輩、歩けますか?」

「彩花さんが一緒であれば、何とか」

「では、肩を貸しますから一緒に寝室まで行きましょう。それで、今日はゆっくりと寝てください」

「……分かりました。ありがとうございます」


 私は直人先輩に肩を貸して、一緒に先輩の寝室へと向かった。

 直人先輩はゆっくりとベッドに横になる。楽な体勢になったからか、さっきよりは少し落ち着いてきているようだった。


「……何故でしょう。柴崎という名を聞いた途端に、なぜか悲しい気持ちになってしまったんです。さっき抱いた気持ちのざわつきの原因なのでしょうか……」

「……どうでしょうかね」


 やっぱり、柴崎唯さんが亡くなった事件のことで、直人先輩の記憶がほんのちょっとだけ戻ったんだ。彼女が亡くなった当日は曇りで、3月の半ばだから寒く感じてもおかしくはない季節。

 そして、岬。これはゴールデンウィークに行った灯岬のことだろう。柴崎さんは灯岬から岩場へと転落死した。海と呟いたのもきっとこのことからだと思う。


「……あの、彩花さん」

「何ですか、直人先輩」

「……僕から離れないでください。なぜかは分かりません。彩花さんを失いたくない気持ちが湧き出てきて。それは咲さんや渚さんにも言えることで」


 記憶を失っても、2年前の事件がきっかけになって、誰も失いたくない気持ちを抱くのは一緒なんだ。本当にそのことが直人先輩に多大なショックを与えていることを今一度思い知る。


「直人先輩の側にいますよ。むしろ、私が一緒にいたいくらいなんですから。だから、今夜は安心して眠ってください」

「すみません、彩花さん……」


 直人先輩は申し訳なさそうな顔をした。病み上がりなんだし、もっと我が儘を言ってくれていいのに。

「謝る必要なんてないですよ」

「……ありがとうございます」

「いえいえ。何かあったら遠慮なく私に言ってきてください。今夜は外出する予定はありませんから」

「……分かりました」

「では、おやすみなさい、直人先輩」

「おやすみなさい、彩花さん」

 私は電気を消して、直人先輩の寝室から出る。

「……はあっ」

 思わずため息が出てしまう。

 直人先輩が記憶を失う以前から、自分の無力さに悔しさを抱くことが何度もあった。直人先輩の苦しみを一切、取り除くことができていない。むしろ、自分がいることでより苦しませているんじゃないかって。

 きっと、その苦しみの原点は2年前の事件だろう。幼なじみの柴崎唯さんを失うというとても悲しい事件。

 柴崎さんが直人先輩の前に現れて、先輩と話せばきっと苦しみが無くなるんだろうけれど、そんなことはできるはずがなくて。

 直人先輩の苦しみを解くことは、生きている人間には不可能なことかのかもしれない。死には死を……なのかもしれない。

 そんなことを考えていたら、全身に震えが走って、さっきの直人先輩のように肌寒さを感じたのであった。

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