第11話『退院』

 火曜日になると直人先輩の体調は大分良くなってきたけれど、大事をとって退院は見送りとなった。

 ただ、長谷部先生曰く、直人先輩は身体的な意味では想像以上の速さで回復していっているという。このまま記憶の方もすぐに元通りになればいいなと思う。



 6月26日、水曜日。

 直人先輩が意識を取り戻してから3日目。

 直人先輩の体調は安定してきたので、夕方に退院が決定した。よって、ひかりさんは今日中に洲崎町に帰ることになった。

 私、直人先輩、ひかりさん、渚先輩、広瀬先輩は病院を出て、バスで月原高校の寮の近くまで移動し、寮のエントランスまで歩く。


「じゃあ。私はここで。みんな、直人のことをよろしく頼むわね」

「分かりました、ひかりさん」

「直人、何か不安なことがあったら私やお父さん、美月に遠慮なく連絡してね。もちろん、ここにいる子達のことも頼りなさい」

「……分かりました、母さん」


 そう言う直人先輩は恐縮しているようだった。病院を出てから周りの人が恐いのか、おどおどしている。いつもの先輩からでは考えられないな。

「じゃあね、直人」

「はい」

 ひかりさんは私達に手を振って、月原駅の方に向かって歩いて行った。

 ここからは私達が直人先輩のことを守りながら、記憶を取り戻せるように頑張っていかないと。


「渚先輩や広瀬先輩も家に上がっていきますか? せっかくここまで来たんですし」

「気持ちは嬉しいけれど、もう6時近いしあたしは家に帰るわ」

「私も家に帰ろうかな。直人と一緒にいたい気持ちはあるけれど、まだ病み上がりだし今夜はゆっくりしてほしいから。あとは彩花ちゃんに任せるって形でいいかな。もちろん、何かあったら連絡してきて」

「分かりました」


 渚先輩の言うとおり、まだ直人先輩は病み上がりの状態。今夜は家で静かな時間を過ごすのが一番いいかもしれない。それに、2人は以前と同じように私と2人きりの生活をすることが今は大切だと思って言ってくれているのかも。


「直人、お大事にね。それで、学校に来たら普段は私に頼ってきて。クラスメイトだから」

「……ありがとうございます。ええと……吉岡さん、でしたよね」

「渚でいいよ。私だって名前で呼んでいるんだから」

「そうですか。では、名前で呼んでみます。……渚さん」


 直人先輩は渚先輩に話しながらも、時々、広瀬先輩のことを見ていた。恋人である彼女の様子が気になるようだ。


「直人、あたしは別の高校に通っているから、学校では会えないけれど、何かあったらすぐに連絡しに来てね。会いたいなら、あたしの方から喜んで会いに行くから」

「ええ、分かりました。咲さんとお話しできるのを楽しみにしています」

「……うん」


 そう言って、広瀬先輩は直人先輩の頬にキスをする。

「じゃあ、またね」

 広瀬先輩は嬉しそうな表情をしていた。私達の前でキスをしたのが恥ずかしいのか、小走りで立ち去ってしまった。


「さっそく、私達の前で見せつけちゃってくれたね、彩花ちゃん」

「そうですね。会ったときにもキスをするかもしれませんね」


 直人先輩のことを見てみると、直人先輩はほんのりと頬を赤くしていた。何だか記憶を失っている今の方が表情が豊かな気がする。


「……頬にキスされることって、こんなにも照れてしまうものなのですね。彩花さんや渚さんの前だったからでしょうか。咲さんってオープンな方なのでしょうかね。この前はみなさんの前で口づけをしましたし……」

「どうなんだろうね。でも、恥ずかしくてもするってことは、それだけ直人のことが好きなんだと思うよ」

「……僕は咲さんに好かれているのですね。幸せ者だな……」


 そんな直人先輩は嬉しそうに微笑んでいた。きっと、この様子なら……広瀬先輩のことを好きになって、素敵な恋人同士になれると思う。本当に。


「じゃあ、私もそろそろ帰ろうかな。もし、直人が明日学校に行けるようだったら、私に連絡してきて。迎えに行くから」

「ありがとうございます、渚さん」

「うん。また明日ね、直人、彩花ちゃん」


 渚先輩はゆっくりと私達の元から立ち去っていった。


「さてと、一緒に家に帰りましょうか」

「……そう言うってことは、もしかして彩花さんもこの寮に住んでいるということですか?」


 直人先輩、私と一緒に住んでいるとは思っていないんだ。広瀬先輩と恋人同士だからっていう理由で。


「いえ、その……私、直人先輩と一緒に住んでいるんです」

「えええっ!」


 直人先輩はそう大きな声を挙げると、目を見開いている。

 この驚きようだと、まさかこんな女の子と一緒に住んでいたなんて、みたいな素直な驚きなんだろうなぁ。


「まさか、彩花さんのような素敵な女の子と一緒に住んでいたなんて……」


 素敵なことを除いて想像した通りのことを言ってくるので、思わず笑ってしまった。


「驚いても無理はありませんよ。だって、彼女ではない女の子と一緒に住んでいるんですもんね」

「でも、どうしてあなたと暮らしているんですか? もしかして、彩花さんは僕の元カノでという関係なのですか?」

「……そんな理由ではありません。もっと、素敵な理由ですよ」


 彼女という関係が一度でもなれたらどれだけ嬉しかったことか。でも、直人先輩と一緒にいたから浅沼達のことが解決した。本当に先輩には感謝している。


「……今の彩花さんの笑顔を見ている限り、本当に素敵な理由なんでしょうね。何だか安心しました。いかがわしい理由ではなくて……」

「先輩は私の我が儘を受け入れてくれて、一緒に住み始めたんです。だから、直人先輩は何も心配しなくて大丈夫です。それに、今……直人先輩と私が一緒に住むことは広瀬先輩から許可を頂いていますから」

「そうだったんですか。安心しました。咲さんという素敵な女の子とお付き合いしているのに、彩花さんという素敵な女の子と一緒に住んでいると知ったので……」

「ふふっ、そうですか」


 困っちゃったわけだ。でも、それが嬉しかったりする。それだけ私のことを女の子として魅力的に感じてくれているから。

 記憶を失う直人先輩はもちろん素敵だけれど、こういう感じだと記憶を失った直人先輩も魅力的だなと思えてしまう。今の直人先輩とも何とか生活できそうだ。


「さあ、家に帰りましょう」

「……はい、彩花さん」


 直人先輩と一緒に寮に入って、私達の部屋の前まで行く。

 あっ、そうだ。直人先輩が退院して家に帰ってきたんだからちゃんと言わないとね。


「直人先輩、おかえりなさい」


 私がそう言うと、直人先輩は優しく微笑んだ。


「……ただいま、彩花さん」


 記憶はないけれど、目の前にいる人が直人先輩であることに変わりない。また、直人先輩と一緒にここに帰ってくることができてとても嬉しい。

 3日ぶりに、おかえりなさい。直人先輩。

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