第5話『あなたのいない夜』

 病室に戻った頃には美月ちゃんの涙も止まっていた。あとは目が覚ますだけだと私達に笑顔まで見せるようになった。強い女の子だ。

 気付けば、午後8時半になっていた。

 北川さんは洲崎町に帰らなければならないため、午後9時の月原駅発の特急列車に乗るために最初に病室を出て行った。

 直人先輩のご家族はとりあえず、今夜は3人とも近くのビジネスホテルに泊まって明日以降については、直人先輩の病状を考慮して考えるとのこと。

 その後は香奈ちゃんに真由ちゃん、広瀬先輩が病室を出て行って、最終的には私と渚先輩の2人だけになった。


「私達も帰ろうか、彩花ちゃん」

「そうですね」

「お家まで送っていくよ」

「ありがとうございます」


 1人で家に帰るのが寂しいと思っていたから、渚先輩と一緒に帰れることがちょっと嬉しかった。

 私と渚先輩は病院を後にする。

 病院から家に向かう間には月原駅の前を通るけれど、今日は日曜日だからかこの時間でも人がたくさんいてそれなりに賑わっている。でも、直人先輩と一緒にいないとこの景色もいつものように楽しそうには見えない。


「彩花ちゃん、そういえばミルクティーは飲んだけれど、何も食べてないよね。どこかに寄って食べていく? それとも、コンビニとかで何かを買って帰る?」


 思えば、昼過ぎに会場で食べたお昼ご飯以来、何も食べていなかった。直人先輩のことがあったから、今の今まで空腹感を全く感じていなかった。


「……家に食材があるので、渚先輩の分まで何か作りますよ」

「ありがとう。じゃあ、お母さんにメッセージ送っておこうっと」


 そう言って、渚先輩はスマートフォンを取り出した。

 私もお母さんとお姉ちゃんにメッセージを送っておこう。今日のことを。

 スマートフォンを取り出して、お母さんとお姉ちゃんにメッセージを打つ。


『直人先輩の恋人になれなかった。あと、直人先輩が倒れちゃって、一命は取り留めたけれど、まだ意識が回復していないの』


 そんな文章を打ったけれど、改めて内容を読んでみるとこれが現実なんだと悲しくて、辛い気持ちになる。涙が出そうになる。


「送信、っと」


 震えた指先で送信部分をタップして、お母さんとお姉ちゃんにメッセージを送った。


「彩花ちゃんもメッセージ?」

「はい。お母さんとお姉ちゃんに今日のことを伝えなきゃ、と思って」

「私もお母さんに今日のことを書いて送ったよ。お母さん、私のことを応援してくれていたからさ。どう思うかな……」

「私も同じです。お母さんとお姉ちゃんが応援してくれていたので、今日のことを知って何を思うのか」


 お母さんはそうなのね、って言ってくれると思うけれど、お姉ちゃんがどう反応してくるかちょっと怖かったりする。恋人になるまでの経緯を知って、広瀬先輩に何か言ってしまいそうで心配。

 すると、さっそく誰からメッセージが来た。確認してみるとお母さんからのメッセージだ。


『そうなのね。色々とショックだとは思うけれど、藍沢君と会えなくなるわけじゃないってことを忘れないで。少しずつ前を向いていきましょう。あと、今日はゆっくり寝て、明日からの学校を頑張りなさい』


 お母さんからのメッセージを見て、少しだけ気持ちが軽くなった。


「そうだよね。直人先輩と会えなくなるわけじゃないんだよね……」


 そう考えれば、意識をいつ取り戻すのかは分からない状況だけれど、直人先輩が一命を取り留めたことが嬉しく思えてきた。


「さっそく返信が来たの?」

「ええ。お母さんから、ショックだろうけれど少しずつ前を向いてきなさいって」

「そうか。でも、お母さんの言うとおりだね。直人が広瀬さんの恋人になった今、私達もどうにかして前を向いていかなきゃいけない」

「それは分かっているんですけどね」

「直人が広瀬さんの恋人になったのも、直人が倒れたのも今日のことだからね。今すぐに気持ちを切り替えろっていう方が酷だよ。だからこそ、お母さんは少しずつって言っているんだと思う。私だって今は悔しくて、悲しい気持ちでいっぱいだから」


 そう言う渚先輩は儚げな笑顔を私に見せる。

 私だって渚先輩と同じだ。今は悔しくて、悲しくて、寂しい気持ちで胸がいっぱい。今すぐに気持ちなんて切り替えることなんてできないよ。

「あっ、もうすぐお家だね」

 気付けば、直人先輩と住んでいる学生寮が見えているところまで帰ってきていた。

 あの部屋には直人先輩がいないんだな。それだけでとても寂しく思える。あの部屋に帰りたくないな。


「……あの、渚先輩」

「どうかした?」

「……渚先輩に泊まっていってほしいです」


 1人の部屋に帰りたくなかった。せめて今日だけでも、渚先輩と一緒にあの部屋で過ごしたい。そんなわがままが自然と言葉に出てしまっていた。それだけじゃなくて、手を握るという行動にも表れてしまっているか。

 恐る恐る、渚先輩の顔を見てみると、先輩は優しく微笑んでいた。


「私も同じ気持ち。家に帰ってもきっと、寂しいだけだし……何よりも、今夜は彩花ちゃんと一緒にいたいと思ったんだ」

「じゃあ……」

「うん。今夜はずっと一緒にいよう。明日は学校だけれど」


 渚先輩はにっこりと笑い、私の手を握り返してきた。そこから感じる温もりがささやかな心の安らぎを与えてくれる。



 家に帰ると、さっそく私は渚先輩と一緒に夜ご飯を作った。


 一緒に夜ご飯を食べた。

 一緒にお風呂に入った。

 一緒に星空を見た。

 一緒に同じベッドで寝た。


 1人でいるよりも寂しい気持ちはずっと小さくて。むしろ楽しい気持ちも湧いてきて。渚先輩と過ごしたこの夜は特別なものになった。

 けれど、そこには直人先輩がいない。あなたのいない夜はとても寂しい。直人先輩が私のために家を出て行ったあのときよりもずっと寂しい。心にポッカリと大きな穴が空いてしまった感じで。その穴は今でも広がり続けている。


 広瀬先輩の恋人になってしまって、悔しい。

 いつ、目が覚めるのかが分からなくて、悲しい。

 ここに直人先輩がいなくて、寂しい。


 私のベッドの上で、互いの心の痛みと直人先輩のことが今でも好きだという気持ちを渚先輩と分かち合った。そして、


 一緒に……泣いた。

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