第4話『あやまり』

 午後8時。

 私、渚先輩、広瀬先輩は浩一さんに連れられ、休憩所までやってきた。夜ということもあって、直人先輩の病室からここまで看護師さん以外とは誰ともすれ違わなかった。

 休憩所には自動販売機や水飲み場があり、その近くには椅子やソファーもあってゆっくりと飲めるスペースが設けられている。


「これで好きなものを1つずつ買いな」

『ありがとうございます』


 浩一さんから500円玉を受け取る。

 浩一さんが自販機で缶コーヒーを買った後に、私はミルクティー、渚先輩はスポーツドリンク、広瀬先輩は緑茶を買う。

 各々の買った飲み物を持って、近くの椅子に座る。私達は浩一さんとテーブルを挟んで座る。

 浩一さんは缶コーヒーを一口飲むと長く息を吐いた。


「……まずは、直人の命が助かって良かった」


 囁きのように言う言葉にも、重みを感じる。そこには直人先輩が一命を取り留めた安心感だけではないように思えたから。


「……車の中で美月が泣きじゃくってなぁ。あいつの泣く声がとても辛かった。さっきも泣いていたけれど、あれでも穏やかな方だ。車の中じゃかなり大声で泣いていた。洲崎を出るまでは特に。母さんに慰められている中、泣き疲れて病院に着く直前まで寝ていたんだ」


 浩一さんの今の言葉を聞くだけで、月原に向かっている車の中で美月ちゃんの悲しい気持ちが痛いほどに伝わってくる。直人先輩の妹だからこそ抱く辛さが美月ちゃんにはあるんだ。

 私が直人先輩を悩ませたせいで、多くの人に悲しい想いをさせている。浩一さんに謝ろうと思ったけれど、直人先輩が倒れてしまった今、それは何の意味もないのかもしれない。

 渚先輩や広瀬先輩は買った飲み物を一口も飲まずに、しんみりとした表情で俯いている。


「……多分、みんな、俺に謝ろうとか思っているだろうけれど、君達がそんなことをする必要は全くない。仮に君達のことを悩んでいたことが倒れた理由の1つだとしても、それは直人が悩みすぎたのが原因だ。君達は何も悪くない。ただ、直人のことを好きになっただけなんだからさ。それを否定する方が間違ってる」


 私達を安心させるように優しい笑顔をしてそう言うと、浩一さんは缶コーヒーを再び一口飲んだ。


「別に直人がダメだって言っているわけじゃない。もしかしたら、あいつをあそこまで悩ませた1つの原因は俺かもしれない」

「……どういうことですか?」


 そう言ったのは広瀬先輩だった。


「ゴールデンウィークに直人が洲崎に帰ってきたとき、俺はあいつに君達のことについてとことん悩めって言ったんだよ。もちろん、それはよく考えろって意味だっていうのも伝えたんだけれどな。母さんや俺に相談してもいいと言ったんだが……」


 悩ませちまったかもなぁ、と浩一さんはぼやく。


「そんなことありません! 浩一さんのせいじゃありません。直人はきっと、今でも怖いんだと思います。柴崎さんが亡くなったことがトラウマになって、決断をするということが。だからこそ、私達のことで悩み続けてしまったんだと思います」


 私も渚先輩と同じ考えだ。直人先輩は今でも柴崎さんの亡くなった2年前の事件がトラウマになって、誰かと付き合うこと、もしくは誰とも付き合わないことの決断ができないんだと思う。決断の代償が怖くなって。


「……ありがとよ。君達なら直人がどう決断しても、直人が恐れるようなことにはならないと信じられるんだけれどな」

「……あっ、でも……」


 広瀬先輩は何かを話し始めたところで、言葉が詰まってしまう。もしかして、直人先輩と付き合うことになったことを言おうとしているのかな。でも、その経緯が経緯なだけに言いづらいのだと思う。


「どうしたんだ、咲ちゃん」

「……実はあたし、今日から直人と付き合うことになったんです」

「えっ!」


 浩一さんは驚いた表情を見せていた。そして、さっきまでのどこか沈んでいた雰囲気が一気に吹き飛ぶ。


「いやぁ、俺はてっきり悩みに悩みまくって倒れたと思ったけれど、咲ちゃんと付き合うことになったのか。そうかそうか、あいつもついに決断したのか。じゃあ、あいつは酷い夏風邪を引いて倒れたってことか。あいつもなかなか大馬鹿野郎だな! いや、驚いちゃったぜ! コーヒーを飲んでるときだったら、今頃、3人の顔はコーヒーまみれだったぞ」


 直人先輩に彼女ができたと知って、浩一さんのテンションが鰻登り。洲崎町へ遊びに行ったときにもこんなに嬉しそうな笑顔はしなかった。

「でも、それには理由があるんです。言いにくいことなんですけど」

「……えっ?」

 広瀬先輩の言葉に対して、浩一さんは間の抜けた声を出す。


「直人の悩んでいることや、その経緯はあたしも分かっていました。だから、彼を悩ませたくないと思って、今日の午後に行なわれた吉岡さんの高校とあたしの高校の女バスの試合で勝った方が直人と付き合うということをあたしが提案したんです。もちろん、吉岡さんが勝てば今までと変わらずなんですけど」

「ということは、咲ちゃんの高校が勝ったってことか。直人が咲ちゃんと付き合っているわけだからな」

「そういうことです」

「そうか……」


 なるほどなぁ、と呟いた後に浩一さんは缶コーヒーを飲み干した。


「そうなったことで、果たしてあいつの悩みは解決したのかね……」


 その一言が胸に酷く突き刺さった。きっと、広瀬先輩はもっと今の言葉に胸が痛んでいることだろう。自分があんな提案をしなければと思っているかもしれない。


「俺も子を持つ人間だ。子供には幸せな道を歩んでいってほしいし、悩みがあるんだったら解決する手助けをしたい。そんな俺から見て、咲ちゃんの提案した方法で直人の悩みが綺麗さっぱり解決するとはあまり思えないな。それはただ、直人の恋人について周りで決めちまうってことだろ? 決断ができないっていう直人の悩みはまだ解決できていないんじゃねえかな。咲ちゃんが恋人になったっていう結果が出たけれどさ」


 浩一さんの厳しい言葉に、私達の考えがいかに甘かったのかを思い知らされる。私達は直人先輩が誰かと付き合っているという事実ができれば、直人先輩の悩みが解決できると思っていた。

 でも、そもそもの直人先輩の悩みは誰と付き合うのか、あるいは誰とも付き合わないのかという決断ができないという点なんだ。その悩みを解決するには、あくまでも直人先輩が自ら考えて決断しないと意味がない。浩一さんのとことん悩む、というアドバイスは直人先輩の抱える悩みを解決する一番の近道なんだ。

 何だか、私達が勝手に思い上がって、直人先輩のことを振り回す結果になってしまった気がする。広瀬先輩の提案を受けてから倒れてしまう瞬間まで、直人先輩はどう思っていたんだろう。


「ただ、どんな経緯であれ、3人の誰が恋人になっても……あいつとのこれからの付き合い方を考えていけば、あいつの悩みは解決できるって思うけれどな。悩みを解決する方法は1つしかないわけじゃねえ。咲ちゃんが恋人になったんだったら、今からあいつの悩みを解決できるように考えていけばいいんだ」

「……あたしにできるでしょうか」


 広瀬先輩は自信なさげに浩一さんに問いかける。

 すると、浩一さんは真剣な様子で広瀬先輩のことを見る。


「どうだろうな。それは咲ちゃん次第だろう。それに、彩花ちゃんや渚ちゃん、洲崎には楓ちゃんや美緒ちゃんとか友達がいるだろう? 恋人だからっていって、変に責任感を抱いて1人で抱え込もうとしなくていいと思う」

「……はい」


 ようやく、広瀬先輩の顔から笑みが見られた気がする。そんな彼女につられて渚先輩も笑っている。きっと、私も。


「直人の意識が戻ったら思う存分に抱きしめて頬ずりして、口づけでもしてやれ」

「そ、それは目が覚めたときに考えます」

「ははっ、そうか。……もし、これから直人の恋人として付き合うのであれば、直人のことをよろしくお願いします」


 経緯はどうであれ、浩一さんは直人先輩に恋人ができたことが嬉しそうだった。きっと、その彼女が広瀬先輩だからだろう。


「もちろんです。あたしは直人のことが好きですから。このような状況になっても、その想いは一切、揺らいでいません」


 目の前で好きな人の父親が、別の女の子に対して好きな人のことをよろしくと言っている。それはとても辛いことではあるけれど、そんな気持ちはすぐに消えていった。むしろ、2人のことを見守っていかなきゃ、と強く思った。


「落ち着いたら、これからどうしていこうか考えようか。彩花ちゃん」


 私にそう耳打ちをする渚先輩の目には涙が浮かんでいた。

 きっと、私と同じ気持ちなんだと思う。悔しいけれど、応援したい。それでも、直人先輩のことが好きな気持ちはなくならないし、変わらない。その証拠に、私も渚先輩の顔が揺らいで見えているのだから。

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