第3話『When will he wake up?』

 午後6時半。

 直人先輩のご家族が到着して、長谷部先生から直人先輩の容体について再度説明がなされた。美月ちゃんの悲しそうな表情もそうだけれど、浩一さんとひかりさんが落ち着いていたことが何よりも印象的だった。私なんて一度は聞いた説明なのに、また気分が落ち込んでしまった。


「とりあえず、このまま安静にしていれば、直人の命に別状はないと考えていいということでしょうか」


 一通りの説明が終わり、最後の質問として浩一さんが長谷部先生にそう尋ねる。


「そうです。ここへ運ばれたときに比べて良くなってきていますし。その点については安心してもらって大丈夫です」

「そうですか。本当にありがとうございます。今後も直人のことを宜しくお願いします」


 浩一さん、ひかりさん、美月ちゃんは長谷部先生に頭を下げる。


「いえいえ。私はただ、運ばれてきた息子さんを処置しただけです。それに、息子さんが倒れた際に、宮原さんや広瀬さん達が適切な応急処置をしていなければ、危ない状況であったことでしょう。彼の命を救ったのは彼女達です」

「そうなんですか。みんな、どうもありがとう」


 ひかりさんは優しい笑みを浮かべて、穏やかな口調で私達にお礼の言葉を言ってくださった。その言葉に少しは救われた感じになる。少しでも直人先輩のためになれたんだと思えた気がして。一番悲しんでいた広瀬先輩さえも、口角が少し上がっていた。


「息子さんの容体も落ち着いてきたので、彼の病室に行ってみますか?」

『お願いします!』


 私、渚先輩、広瀬先輩、美月ちゃんの声が見事に重なる。


「元気をもらえる返事ですね。分かりました。では、さっそく行きましょう」


 私達は長谷部先生の後について行き、直人先輩の入院している病室に向かう。

 日も暮れたし、病棟の廊下は薄暗いイメージがあったけれど、この病院の廊下は意外と明るい。

 やがて、長谷部先生の歩みが止まった。

 そこの病室は308号室。ネームプレートには『藍沢直人』と書かれている。それを見てこの病室の中に直人先輩がいるんだという安心感と、直人先輩は本当に入院しているんだという悲しみの気持ちが湧いてくる。

「さあ、どうぞ」

 長谷部先生は病室の引き戸を開けて、私達を病室の中に案内する。

 病室の中には病床の上で眠っている直人先輩と、その横で直人先輩の様子を看ている女性の看護師さんがいた。


「お兄ちゃん……」


 誰よりも先に直人先輩の側に行き、先輩の手を握ったのは美月ちゃんだった。美月ちゃんはお兄ちゃんと呟きながら涙を流す。


「美月は車の中でも泣いていたの。まあ、途中で泣き疲れて眠っちゃったんだけれどね」


 そう言いながらも、ひかりさんが優しく微笑んでいられるのは、やはり自分の子供達のことだからだろうか。浩一さんもそうだけれど、親ってとても強いんだなと思う。


「北川さんから直人先輩が倒れたと聞いただけでは、不安な気持ちばかり膨らんじゃうと思うので、そうなってしまうのも分かる気がします」


 美月ちゃんだけじゃない。浩一さんやひかりさんだって、直人先輩が倒れたという知らせを受けただけだったから、月原市に向かう間はずっと辛かったと思う。


「すみません、あまり連絡ができなくて……」

「いいのよ。それに、楓ちゃんがいち早く連絡をしてくれたから、こんなに早く月原市に行くことができたんだもの」

「……まずはご家族にお伝えしないといけないと思って」


 北川さんは僅かに口角を上げた。

 ひかりさんの言うとおりだ。病院に運ばれてから連絡が来ていたら、今頃、直人先輩のご家族はまだ月原市に来ることができていなかったと思う。


「本当にいつ目が覚めてもおかしくない感じですね、先生」

「はい。本当にいつ目が覚めてもおかしくない状況です」


 その言葉だけを聞くと、凄く希望のある状況のように思える。

 けれど、直人先輩はいつ目が覚めるのかは分からない。明日の朝かもしれないし、1年後の今日かもしれない。もしかしたら、一生目が覚めないかもしれない。いつ目が覚めてもおかしくないと言われると、こんなにも悲しくて切ないのか。


「何か目覚める兆候のようなものはないですか? こういう状態になったら意識を取り戻すのはもうすぐっていうことは」


 浩一さんは長谷部先生に食い下がる。少しでも直人先輩が目覚める可能性を大きくしたいのだと思う。


「……残念ながら、ありません。本当にふとしたときに目覚めるんです。強いて言えば、運ばれてきたよりも病状が安定してきていることが目覚めの兆候とは言えますね」

「そうですか。そして、病状が安定した今、直人がいつ目覚めるかは分からないということですか」

「そういうことです。私達は直人さんの目覚めを待つしかないです」

「……わかりました。何というか、悔しいですね。周りの人間にはどうにもできないなんて。あとは直人自身の頑張り次第ですか……」


 悔しいとは言っているけれど、浩一さんはとても落ち着いた雰囲気で言っていた。私だったらきっと、こんな風に言うことはできないだろう。

 もう、あとは直人先輩自身を信じるしかないんだ。私達は意識を回復する瞬間をただ待つしかないんだ。


「長谷部先生、改めて直人のことを宜しくお願いします」

「私達も全力を尽くします。それはお約束いたします」


 浩一さんは長谷部先生に対して一礼をした。頭を上げると今もなお、直人先輩の側で涙を流している美月ちゃんのことを見る。


「……まだ、ここを離れるには早いか」

「そうね。美月もまだこんな感じだし」


 浩一さんの独り言のような呟きをひかりさんは逃さなかった。


「……じゃあ、俺はちょっくら休憩所でコーヒーでも飲んでくる」

「それがいいわね。あなた、家からここまでずっとノンストップで運転して、禄に休めていなかったものね」

「すまねえな、ひかり。子供達のことを頼んだ。特に美月のことは」

「ええ」


 今のやり取りを見ているだけで、浩一さんとひかりさんは仲の良い夫婦だと分かる。いつかは私も直人先輩と……って思っていたけれど、今となってはそれも叶わぬ夢物語になってしまった。

「ほんじゃ、俺は休憩所に行ってくるが、俺と一緒についてくれば飲み物を奢るぞ。一緒に来る奴は手を挙げてくれ」

 浩一さんがそう言うと、私は迷いなく手を挙げた。私達に飲み物を奢るだけのつもりで、休憩所に行こうと誘っているわけではないと分かったから。

 最終的に手を挙げたのは私、渚先輩、広瀬先輩の3人だけだった。


「3人は絶対に手を挙げると思っていたよ。よし、そうと決まれば一緒に休憩所に行くか。そこで一杯飲みながらでも、直人のことについて話そうぜ」


 やっぱり、そうだったんだ。浩一さんは私達と直人先輩のことについて話したくて、休憩所に行こうと誘ってきたんだ。

 何を話すのだろう……というよりも、何を言われるのだろうという思いの方が強い。私は直人先輩のことを悩ませてしまったのだから。

 休憩所へと向かう一歩一歩が、やけに重く感じてしまうのであった。

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