第2話『容体』

 その後、渚先輩、香奈ちゃん、真由ちゃん、北川さんが病院にやってきた。直人先輩の治療がまだ終わっていないので、私達は引き続き処置室の前のベンチ付近で待つことに。


「治療が長いと不安になってきてしまいます」

「そうだね。でも、直人ならきっと大丈夫だよ、彩花ちゃん。直人は絶対にこんなことでは死なない。またすぐに、いつも通りの直人が帰ってくるよ」


 渚先輩は優しい笑顔をして、私の頭を優しく撫でた。

 渚先輩達が来てから30分ほど経ったときだった。

 処置室から、直人先輩の処置を担当する男性のお医者さんが出てきた。その後ろからは、ストレッチャーの上で眠っている直人先輩が看護師さん達によって運び出される。

「直人!」

 広瀬先輩が直人先輩に近寄って、彼の体に触れようとするけれど、看護師さん達に止められる。


「命に別状はありませんが、意識は戻っていません」


 お医者さんは冷静な口調でそう言った。


「手配した個室の部屋に、藍沢さんを連れて行ってください。……それで、宮原さんと広瀬さんでしたか。できれば、藍沢さんのご家族にも病状をお話ししたいのですが……」


 広瀬先輩は……やはり、意識を失っている直人先輩を見て、今もなおショックを受けてしまっているみたい。私が代わりに答えないと。


「直人先輩のご家族は洲崎町から今、こちらに向かっているところです。あと、2時間くらいかかると思います」

「そうですか。分かりました。それでは、まずはみなさんに藍沢さんの容体についてお伝えしたいと思います。別の場所でお話ししますので、ご友人の方々もついて来てください」


 私達はお医者さんの後について、相談室に案内される。

 相談室の中には大きなテーブルがあって、その周りにたくさんの椅子が置かれていた。

「みなさん、お座りください」

 お医者さんの言うとおり、私達は一列になって座った。私の両隣には渚先輩と広瀬先輩が座っている。

 お医者さんは私の正面にある椅子に座った。改めてお医者さんを見てみると、結構若そうな方で、直人先輩を優しげにしたような雰囲気だ。


「申し遅れました。私、この病院の内科医をしております、長谷部潤はせべじゅんと申します。藍沢さんの担当医として、これから宜しくお願いいたします」


 お医者さん……長谷部先生が挨拶をした後、私達は1人ずつ自己紹介をした。


「なるほど、恋人に後輩、クラスメイトに故郷のご友人ですか。こんなにも多くの方が揃うと、何かイベントなどがあってお集まりになったんですか? 確か、倒れた場所は女子バスケのインターハイ予選が行なわれていたとか」

「渚先輩の高校と広瀬先輩の高校による優勝決定戦がありましたので」

「なるほど、そうだったのですか! 私も学生時代はバスケをやっていたので、是非、その試合は観戦してみたかったですね」


 長谷部先生は爽やかな笑顔を見せた。もしかしたら、沈んでいる私達を見て場を和ませようとしているのかもしれない。


「みなさんのことも少しは分かったところで、そろそろ本題に移りましょうか」


 本題。直人先輩の容体のこと。さっき、一命を取り留めていたと言っていたけれど、直人先輩はどんな状況なのだろう。


「全身に強く打ち付けられた痕がありましたが、これは階段から落ちたことによるものでしょう。酷い熱中症のような症状もありました。あなた達が緊急の処置をしなければ、かなり危ない状況だったでしょう」

「では、命に別状はないと考えていいのですか?」

「そうですね、広瀬さん。身体的には峠を越え、何日間か入院して安静にすれば大丈夫でしょう」


 長谷部先生のその言葉に、みんなの顔からようやく笑顔が見られるようになった。良かった、一命を取り留めることができて。


「しかし、一番の問題があります」


 静かに発せられた先生の言葉に、僅かに温まった空気が一気に冷たくなった気がする。まるで希望から絶望に突き落とされたような感じ。


「藍沢さんは倒れる以前にかなり体調が悪かったのだと思います。倒れる直前に、藍沢さんは立ちくらみを起こしていたとか」

「はい、試合が終わって観客席から立ち上がるときによろめきました」

「……そうですか。体調が悪い中、階段から落ちたことで脳にダメージを負っている可能性があります。仮にそうだとしても、命に関わるほどではないと考えていますが、藍沢さんはいつ目覚めるか分かりません。精密検査をしていきますが……」

「そんな……!」


 広瀬先輩はそう言って、勢いよく立ち上がった。


「それでも、絶対に直人の意識は回復するんですよね! どんな状態になっていたとしても、直人は目を覚ましますよね……」


 広瀬先輩はそう言いつつも、目からは涙がボロボロとこぼれ落ちていた。まるで、長谷部先生からの答えが分かっているかのように。


「申し訳ありませんが、絶対に意識が戻るとは言い切れません。今すぐかもしれませんし、1年後かもしれません。一生、覚めないかもしれません」

「……そんなのいやっ!」


 広瀬先輩は一言言い放って、相談室を飛び出してしまった。


「私が追いかけるから、みんなはここにいて!」


 すぐさまに北川さんが広瀬先輩のことを追いかけに、相談室を出て行った。

 広瀬先輩は直人先輩の意識が戻ることを何よりも願っていた。例え、どんな状態になっていたとしても。けれど、そんな願いさえも届かないかもしれない。嫌だと言ってしまうのは仕方がない。


「もう少し、言葉を選ぶべきでしたね。申し訳ございません」

「いえ、本当のことを分かりやすく言っていただいてありがとうございます。あの、薬とかで直人の意識を早く戻すような方法はないんですか?」


 落ち着いた口調で渚先輩は長谷部先生に訊く。

 しかし、長谷部先生は頷くこともしなければ、首を横に振ることもしなかった。


「今の時点ではそのときを待ちましょうとしか言えません。より詳しい検査をしていかないと何とも。それまでは、点滴を打つなどの処置をしようと思っています」

「そうですか……」


 渚先輩は悔しそうな表情を浮かべていた。もっと、あの時にできることはなかったのだろうか。それ以前に、自分が倒れなければ……と責めているかもしれない。


「それでも、私達が全力を尽くします。それだけは約束します」

「……直人先輩のことをよろしくお願いします」


 先輩のことは長谷部先生に任せるしかない。

 私達にできることは直人先輩の意識が回復するのをひたすら待つだけか。それしかできないなんて。悔しくてたまらなかった。

 やがて、広瀬先輩と北川さんが戻ってきた。広瀬先輩は今もなお泣いており、北川さんが広瀬先輩のことをそっと慰めている。


「咲、藍沢君のいる病室がどこなのか探し回っていたの。藍沢君に会いたくて仕方がないみたい」

「そうですか。今はまだ治療をした直後なので面会はできませんが、もう少しして状態が落ち着いたら藍沢さんの病室に行きましょう。それまでは、この部屋でゆっくりしていてください。藍沢さんのご家族が到着されたら、またここで藍沢さんの病状を説明したいと思っていますので」

「分かりました」

「……では、私は藍沢さんの状態を確認するために病室へ行ってきますね。終わり次第、説明しにここへ戻ってきますので。失礼します」


 そう言って、長谷部先生は看護師の方と入れ替わるようにして、相談室を出て行った。

 直人先輩の意識が戻らないかもしれない現実を目の前にして、私達は何も言葉を出すことができなかった。



 それから2時間以上経った午後6時半。とても嫌なきっかけで、直人先輩のご家族と1ヶ月半ぶりの再会を果たすのであった。

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