第6話『訪問者』

 6月12日、水曜日。

 昨日、家に帰ったのは午後9時近くになってしまったけれど、彩花は笑顔で迎え入れてくれた。久しぶりに咲と遊んで楽しかったのかとか、咲との中学時代の話とか、恋敵であるはずの咲のことを彩花は楽しげに聞いていた。以前の彩花だったら、俺に手錠を掛けてもおかしくなかったのに。成長したのか、心変わりしたのか。

 そんな彩花が昼休みに俺と渚の教室に来た途端、


「すみません、渚先輩。今日も直人先輩は女バスの練習に参加できません」


 申し訳なさそうに渚へそう言った。


「私は別に構わないけれど、どういうことなのかな? 彩花ちゃん」


 というか、その台詞はむしろ俺の方なんだけど。彩花自身が参加できないなら分かるんだけど、どうして俺が参加できないんだ。唐突すぎて訳が分からない。


「実は午前中にお母さんからメールがありまして。放課後にお母さんとお姉ちゃんが一緒に私と直人先輩の家に来るみたいで。それで、お母さんが直人先輩に会いたいと言ってきまして……」

「そういえば、彩花のお母さんとはまだ会ったことがなかったな」


 なるほど、そういう理由なら仕方ないな。随分と急な感じはするけど。

 何だか今から緊張してくる。女の子の親からすれば、一緒に住んでいる男の先輩がどういう人間なのか一度は見ておきたい気持ちは分かる。俺も親の立場であればそうするだろう。ただ、彩花と住み始めて2ヶ月以上経ってから会おうと思ったのかが謎だけど。俺だったら引越しした日にでも軽く話すけれど。


「どうして今日まで彩花のお母さんは俺に会おうとしなかったんだろう」

「私が直人先輩なら大丈夫って念を押したからです。あとは、浅沼の一件のことをお姉ちゃんが話してくれたからだと思います。それに、元々お母さんは直人先輩と一緒に住むことを賛成してくれていましたからね。ただ、直人先輩の写真はお母さんに見せたことがあります。……こっそりと撮ったものですが」

「なるほどな……」


 そういえば、俺と一緒に住みたいと話したとき、彩花の父親や姉の茜さんは反対したとは言っていたけれど、母親については何も言っていなかったな。彩花の強い意志はもちろんのこと、彼女の母親の賛成もあったからこそ今の生活があるんだろうな。


「分かった。じゃあ、今日は彩花ちゃんも参加できないってことでいいかな?」

「はい。申し訳ないです」

「気にしないでいいよ。まあ、部活に直人と彩花ちゃんがいるのが普通になってきたから、ちょっと寂しいけれど」


 その言葉通り、渚は寂しげな笑みを浮かべる。

 確かに、最初こそはサポートのような立場だったけれど、今は練習試合に参加させてもらったりしているので、女バスの一員みたいな感じなっているか。


「じゃあ、昼飯でも食べ――」

「やあやあ。藍沢君も吉岡さんも宮原さんも午前中はお疲れ様。本人はいないけれど咲の応援演説に来たよ。お昼ご飯食べながらでいいからね」


 そう言って紅林さんが教室に入ってきた。昨日のことがあったからか、彩花と渚は彼女のことを警戒しながら見ている。

 あと、応援演説って、本人がいる場じゃないと意味がない気がするんだけど。あと、これを金曜日までずっとやり続ける気なのか。

 紅林さんの言う通り、俺達は昼ご飯を食べながら聞いていたけれど……昨日の放課後のことがあってか、全然魅力的に聞こえなかった。百聞は一見にしかずというのはこのことなのかと思ったのであった。



 午後4時。

 彩花の話だと、この時間に寮の前で彩花のお母さんと茜さんと会うことになっている。約束の時間に合わせて俺達は帰ってきたけれど、2人の姿が見当たらない。


「おかしいですね。お姉ちゃんから家を出発したというメッセージがあったので、既にここにいてもいいはずなんですが」

「……もしかしたら」


 俺は茜さんと初めて会ったときのことを思い出す。あのときは確か――。


「いないわねぇ」

「きっと、彩花も藍沢君もすぐに帰ってくるって」


 やっぱり。寮の入り口に茜さんともう1人、彩花と同じ赤髪の女性がいた。茜さんではない方の女性は落ち着いた感じの雰囲気の人だけど、結構可愛らしい。服装などから大人っぽい印象を受けるので、年の離れたお姉さんなのかな。

「おっ、彩花に藍沢君!」

 俺達に気付いた茜さんは手を振って俺達の前までやってくる。


「茜さん、お久しぶりです。彩花ってもう1人お姉さんがいたんですね。俺、お姉さんは茜さんだけかと思っていましたよ」

「面白いことを言うね。彩花の姉妹は私だけだよ」

「えっ?」


 思わず間の抜けた声を出してしまう。

 彩花のお姉さんが茜さんだけってことは、茜さんの隣に立っている赤髪のロングヘアの女性って、


「お母さん、ごめんね。もうちょっと早く帰ってくればよかったね」


 お、お母さんだったのか。可愛らしい人だから、てっきり社会人のお姉さんかと思った。渚のお母さんもそうだけど、女子高生や女子大生の娘を持つ母親ってみんなこんな感じなのか?


「ううん、気にしないで。もう2人が帰ってきているかもしれないと思って、念のためにインターホンを鳴らしてみただけだから。それにしても、私のことを茜と彩花のお姉さんだと思ってくれるなんて。さすがに彩花の惚れた人だけはあるわねぇ」


 ほのぼのとした笑顔で彩花のお母さんはそう言った。別に俺じゃなくても、結構な数の人が彩花と茜さんのお姉さんだと思いそうだけど。


「いや、俺は素直にそう思ったから言っただけです」

「あらあら、お母さん嬉しいわ」

「……あっ、名前を言うのを忘れてました。藍沢直人です。彩花と一緒に住まわせてもらっています」

「彩花の母の宮原めぐみです。私のことは下の名前で呼んでね」

「は、はい。分かりました。……めぐみさん」


 お言葉に甘えて下の名前で呼ばせてもらうと、めぐみさんはほんのりと顔を赤くした。


「若い男の子に下の名前で呼んでもらうなんて久しぶり。高校生に戻った感覚になるわ。もし、私が藍沢君と同い年で、彩花のように高校時代に出会っていたら、あなたのことを夫にしていたかも」


 うっとりとした表情でめぐみさんはそう言ってくる。本当に大学生くらいじゃないかと思えるくらいに可愛らしい。


「今の言葉、絶対に旦那さんの前で言わないでくださいね」


 色々とまずいことになるから。

 あと、めぐみさん相手に嫉妬した表情を見せなくていいんだぞ、彩花。茜さんも苦笑いをするくらいなら何とか言ってくれませんか。

「とりあえず、家に行きましょう」

 俺は宮原姉妹……ではなくて、宮原親子を家に招き入れ、リビングに通す。そして、2人に紅茶を淹れる。

 リビングには長いソファーが1つしかなかったので彩花、茜さん、めぐみさんに座ってもらい、テーブルを挟む形で俺が座布団の上で正座して座る形に。面接っぽい感じだ。

 しっかし、こうして3人が並ぶと本当に姉妹みたいだなぁ。みんな可愛らしい顔立ちで、髪の色も同じだからだろうか。

「とりあえず、紅茶でも飲んでゆっくりしてください」

 3人がティーカップに口を付けたのを見計らって、俺も紅茶を一口飲む。

「結構綺麗な部屋に住んでいるのね」

「俺も女の子と一緒に住んでいるのでできるだけ清潔にしようと心がけていますが、ここまで綺麗なのは彩花のおかげです」

 彩花と一緒に住んでいることで、俺はいい環境の中で暮らせていると思っている。色々と頑張ってくれる素敵な女の子だと思う。そんな彼女に甘えずに、俺も頑張らないといけないな。先輩でもあるんだし。

 彩花はとても嬉しそうな表情をしていた。


「それで、2人はどこまで進展したのかしら?」

「ぶっ!」


 めぐみさんがそう言った瞬間、彩花は紅茶を吹き出した。


「し、進展って……昨日、お母さんとお姉ちゃんに近況を話したでしょ」

「何か彩花が言っていないことがあるかもしれないじゃない。それで、藍沢君。実際のところ、彩花とはどこまでしたのかしら?」


 さりげなく訊いている内容が具体的になっている。

 興味津々そうなめぐみさんと茜さんの横で、彩花は恥ずかしいのか両手で赤くなった顔を覆っている。


「高校生として健全な生活を送っています。それに、俺には3つ下の妹がいるんで、可愛い妹のような感じで彩花とも一緒に暮らしています」

「嘘を言うな、藍沢君。だったらどうして彩花は両手で赤くなった顔を隠しているんだ」


 さすがは茜さん。妹の様子を観察して、そこから俺の言葉の真偽を判断するとは。


「茜、そんなに強い口調で訊いたら話せないこともあるのよ。そういう風に訊くんじゃなくて、例えば……藍沢君は彩花と一緒に寝たことはある?」


 いかにも面接って雰囲気になってきたぞ。

 俺が今の質問に答える前に、彩花が小さく「あうっ」と声を漏らして体をビクつかせる。これが答えでいいんじゃないかと思うけれど、


「何度かあります。彩花が俺の部屋に来たときもあれば、彩花から俺に一緒に寝ようと自分の部屋に招き入れることも……」


 俺への質問なので、正直に答える。


「さすがに藍沢君相手だと積極的になるんだ」

「成長したのね。あんなに引っ込み思案だった子が……」


 めぐみさんと茜さんは、自分から俺に歩み寄っている彩花に感動しているご様子。

 ようやく、ありのままの彩花を普段から見ることができるようになったので、今の2人の気持ちも分かるけれど、以前の積極的ヤンデレ彩花しか知らなかったらとても驚いていただろう。


「ううっ、恥ずかしいよ。穴があったら入りたいよ。ここから逃げたいよ……」


 彩花の切ない呟きが部屋の中に虚しく響き渡る。

 そんな彩花を見て、めぐみさんも茜さんもさすがにやり過ぎたかと苦笑い。もう少し娘や妹のことを考えてあげてください。こんなに恥ずかしそうにしているんですから。

 すると、めぐみさんが何かを閃いたようだ。


「それじゃあ、彩花におつかいを頼もうかな。月原駅の近くに美味しいケーキ屋さんがあるの。そこで適当に4人分のケーキを買ってきてくれるかしら」

「……うん、分かった」


 ようやく顔を見せる彩花はほっとしている様子だ。


「茜もついて行ってあげて」

「えっ、私も行くの?」

「浅沼君達の一件が終わっても、彩花1人だとまだ不安なの。彼の仲間全員が囚われの身じゃないし。あと、久しぶりに姉妹2人きりで話したいことだってあるでしょう? それに、私は藍沢君と2人きりで話したいことがあるから」


 俺と2人きりで話したいこと? それって何なのだろう。

 彩花はめぐみさんからお金を受け取って、茜さんと一緒にリビングを出て行く。

 めぐみさんは2人が玄関を出たことを確認して、


「じゃあ、2人きりでゆっくりと話そうか。藍沢君」


 にこっと俺の顔を見て笑った。

 4人でいるときよりも、今の方がよっぽど緊張する。彩花の母親であるめぐみさんから、これから何を言われるのかが恐いから。

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