Memories 4

 あの日、実は……灯岬で柴崎と会う約束になっていたんだ。ただし、それは柴崎が藍沢に告白してフラれた場合だったときだ。俺はあの日よりも前に、柴崎が藍沢に告白することを知っていたんだ。


「笠間君」


 柴崎が灯岬にやってきたときには驚いたよ。まさか、藍沢にフラれたなんてって信じられない気持ちだったから。

 けれど、1つだけ柴崎がフラれる理由が思いついた。藍沢は椎名を選んだのかもしれないと。

 藍沢の言うとおり、そのときの柴崎は両手に手袋をしていた。


「ここに来たってことは分かるよね」


 柴崎は海の方を背にして例の木の柵に寄り掛かったんだ。


「直人に告白したんだけど、振られちゃった」


 そう言う柴崎の笑顔がとても清々しかったのが頭に焼き付いている。


「それで、あたしに話したいことって何なの?」


 柴崎はとっくに分かっていたんだ。今日、俺が柴崎に告白することを。俺は柴崎のことが中学を入学してからずっと好きだったんだ。

 俺には自信があった。藍沢にフラれてしまった柴崎を幸せにすることを。俺だったらできるって、物凄く自信があったんだ。


「俺、柴崎のことが好きなんだ。俺と付き合ってほしい」


 俺は自分の想いを柴崎に伝えた。

 柴崎は少しの間俯いていたけれど、再び俺のことを見たときには普段の可愛らしい微笑みを見せてくれた。


「ごめん、笠間君。あたし、笠間君とは付き合えないよ」

「どうしてだ?」

「これはあたしの我が儘。実は、直人は他の誰かが好きだから私と付き合わないってわけじゃないの」

「えっ、藍沢は椎名と付き合うんじゃないのか?」


 俺がそう訊くと、柴崎は一度頷いた。


「うん。恋人として誰かと付き合うとかまだ考えられないんだって。だから、私にもまだチャンスがあるんだって思って。私はこの恋をまだ……諦めたくないの。これからも直人の側にいて、また告白したい」


 藍沢にフラれたから傷付いていたなんてとんでもない。柴崎はますます元気になっていたよ。この恋が終わったわけじゃない。藍沢と恋人になれる未来を歩めるかもしれない。希望に溢れていたように感じたよ。

 俺もそんな柴崎の想いと一緒だった。


「柴崎は藍沢を追いかける。でも、まだお前は藍沢の恋人じゃない。俺もそんな柴崎のことを追いかけてもいいか?」


 柴崎への想いが絶えるわけがなかった。藍沢に恋をし続ける柴崎を見て、俺も柴崎のことを追いかけたいと思ったんだ。


「あたしを振り向かせるのは相当難しいと思うよ。あたしは直人のことが凄く好きだから。それは覚悟できてる?」


 そんなことを言う柴崎はちょっと意地悪そうな笑みをしていた。


「覚悟できてなきゃそんなこと言わねえよ」

「……そっか」


 この瞬間まではまさか、柴崎の命がなくなってしまうなんて思ってもいなかった。柴崎の想い描いた未来が絶たれてしまうなんて。


「じゃあ、そろそろ帰ろっか」


 そう言って、柴崎が体勢を整えようと木の柵に力を入れたんだろうな。

 ――ミシッ。

 何かが切れてしまった音が聞こえた。そして、次の瞬間。


「きゃあっ!」


 木の柵が壊れて、寄りかかっていた柴崎はそのことでよろめいて、灯岬から体が落ちそうだった。


「柴崎!」


 俺は必死に左手を伸ばして、柴崎の左手を掴んだ。柴崎の重さで思わず俺も落ちそうになったけれど、右手で木の柵に掴んで何とか踏み留まった。

 けれど、手袋をしていたせいで柴崎の手が滑っていっているのが分かった。

 俺は柴崎の手を何としても離さない。その想いで柴崎の手を精一杯に握った。けれど、


「笠間君! あたしの手を離して!」

「何言ってるんだよ! それじゃ、お前が……」

「きっと、木の柵が腐ってたんだよ。多分、笠間君が掴んでいるところもあたし達の重さで、いずれはちぎれて一緒に下に落ちちゃうよ」

「それでも離せるかよ! 俺は諦めたくないんだ! 柴崎を助けることを諦めるくらいなら死んだ方がマシだ!」


 柴崎の想いも分かっていた。けれど、柴崎が言ったからって俺が助かるために彼女の手を離すことなんて絶対にしたくなかった。

 けれど、俺の横から木の柵の破片が落ちていく。このままだと、柴崎の言うとおりになってしまうと思った。

 そのとき、柴崎は優しく笑ったんだ。


「どうして、笑うんだよ」

「……何でだろうね。でも、ふと……思ったんだ。笠間君の想いが聞くことができて嬉しかったし、あたしも直人に想いを伝えられて嬉しかったなって」

「やめろ。それじゃ、もうすぐお前が死ぬみたいじゃないか。絶対に助けてやるから。それで、また藍沢に告白しろよ。だから諦めるな!」

「……もう、限界が来ちゃった」


 柴崎がそう言うと、彼女の重さがぐっと増したように思えた。きっと、柴崎は俺の手を掴む力がもうほとんど残っていなかったんだ。

 そして、俺も。柴崎を落とさないようにすることが精一杯で、岬に引き上げるほどの力は残っていなかった。


「……直人に伝えておいて。あたしはあなたに振られてもショックじゃなかったって。直人のことが好きな気持ちはこれっぽっちも消えていないって」

「俺に頼まずにそれは自分で藍沢に伝えてくれよ! そのために俺が――」

「笠間君、ありがとう」


 柴崎は分かっていたのかもしれない。俺の手から離れてしまう瞬間を。最後に俺に礼を言った瞬間、彼女の左手が手袋から擦り抜けてしまった。


 俺の手から離れた柴崎はあっという間に下の岩場に転落した。


 鈍い音が聞こえて。

 柴崎の頭から血がどんどん流れていくのが見えて。

 穏やかな波に当たった柴崎は全然動かなくて。


 柴崎が死んでしまったんだってすぐに分かった。自分の手から柴崎の命がこぼれ落ちてしまったんだ。俺のせいで柴崎は死んだんだ。


 俺が柴崎を殺してしまったのだろうか。

 このことに償わなければならないのだろうか。


 それが怖かった。自分の目の前で柴崎が死んでしまったことから逃げたかった。

 そのときに思いついたんだよ。


 藍沢にフラれたショックで自殺したことにすればいいって。


 藍沢が指摘した通り、木の柵に細工を施したのは俺だ。そのとき、いかにも木が腐ったことが原因の事故で柴崎が落ちたように見えた。だから、ある程度綺麗に木の柵が壊されていれば、柴崎が自殺したように見えるだろうって安直な理由で、木の柵を壊したんだよ。

 学校で柴崎が亡くなる直前に藍沢に告白したって話を流したのも俺だ。もちろん俺が発信源だと気付かれないように。でも、それについては実際に目撃した奴がいたから、幸か不幸かすぐに学校中に広まっていった。

 警察も自殺の可能性を考えて捜査をしたけれど、最終的には不慮の事故として処理された。俺が関わっていることは一切バレずに捜査が終わってほっとしたんだ。


 だけど、予想外のことが起こった。


 柴崎の姉さんが藍沢を強く非難したことで、3年生になったら、クラスメイトにも強く非難されるようになって、藍沢が不登校に追い込まれてしまったことだ。

 俺は藍沢を助けたかったけれど、俺は柴崎を死なせてしまった加害者で……藍沢を助ける資格なんてないと思っちまって、結局何も言えなかった。それに、藍沢が身代わりになってくれてほっとしてしまった自分もいたんだ。本当に俺は卑劣で、情けない人間だよ。



 悪いのは俺だったんだ、藍沢。お前は何も悪くない。

 だって、柴崎は笑顔だったんだからな。最後の最後まで。

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