第26話『散り際の真実-後編-』
それが、笠間の話してくれた2年前の事件の真実だった。
唯は自殺ではなく事故死だった。
警察の公式見解の通り、唯が体重を掛けたことで腐っていた木の柵が壊れてしまい、そのことによって、唯は岩場に転落してしまった。ただし、そのときに笠間が必死に唯を助けようとしたんだ。
また、唯は俺に振られたのを苦にしていなかった。むしろ、俺への恋心は膨らんでいき、再び告白しようと思っていたのか。唯は死の直前まで、自殺とはほど遠い前向きな気持ちを抱いていたんだ。
「なあ、藍沢。いつから、俺が柴崎の死んだ事件に関わっていると思っていたんだ?」
「俺が登校するようになってすぐだよ。笠間、そのときも意気消沈していたじゃないか。もちろん、唯が死んだことのショックが原因だとは思ってた。でも、時間が経って普段通りの笠間に戻っていったけど、1人のときとかに思い詰めているような表情をしていることがあって。何かあるんじゃないかと思ってた」
笠間に抱いたその違和感で、彼は唯の死に何か関わっているんじゃないかって考えた。そうじゃなきゃ、こんなにおかしい状態がずっと続くわけがないと思って。
「そうだったのか。誰にもバレないと思っていたんだけど、藍沢には見抜かれていたのか」
笠間はそう言うと、彼のズボンのポケットからあの日、唯がしていた左手の方の手袋を取り出した。
「……お前から剣道場に来てほしいってメールが来たとき、真実を話すチャンスはこれが最後かもしれないと思った。でも、実際にここに来て藍沢の顔を見ると、そんな気持ちはすっと消えたんだ。お前が推測を話しても、素直に頷けなかった。さっき、藍沢に対して竹刀を振り上げる瞬間まで恐かったんだ。2年前のあの日の出来事が本当だったんだって認めることになるから」
きっと、自分の手から離れ、目の前で唯が死んでしまった現実を受け入れたくなかったのだろう。自分のせいにしたくないというわけではなく、純粋に唯が亡くなった事実を認めたくなくて。
「柴崎の姉さん。本当にすみませんでした。この手袋、返します。柴崎の形見として柴崎の姉さんが持っていてください。それが一番いいと思います」
笠間はあの日、唯がはめていた例の左手の手袋をちー姉ちゃんに返した。
「今の話を聞いて、とても辛いけど……唯は最後まで前向きだったんだね。直人君のことが好きだった。何よりも、笠間君が唯を命がけで助けようとしてくれた。悲しいけれど、本当のことを知ることができて嬉しい。直人君に自分の想いを伝えてほしいっていう唯の願いも叶えてくれて、本当にありがとう」
ちー姉ちゃんは優しい笑顔を彼に見せた。
もしかしたら、笠間が俺に真実を話そうと思ったきっかけは、岩場に落ちる直前の唯の願いを叶えようと考えたからかもしれない。
「やっぱり、そうだったんだな」
「私達の予想通りだったわね」
その声がした次の瞬間、佐藤と北川、美緒が剣道場に姿を現したのだ。美緒には俺の推測をメールで伝えていたけれど、どうしてここに。
「ごめんね、なおくん。佐藤君と楓ちゃんに、なおくんの考えていることを伝えたの。私達、実は前から笠間君の様子がおかしいと思っていて。考えてみれば、それは唯ちゃんが亡くなったときからだって分かって、もしかしたらと思って……」
「同窓会をこの時期に開催した理由。藍沢のこともそうだけど、実は笠間のためでもあったんだよ。笠間をまた元気にさせることができるのは、藍沢しかいないと思ってさ。同窓会を機に藍沢や笠間が動くんじゃないかと思ってさ」
「藍沢君なら柴崎さんが亡くなった事件について何か考えがあるはず。その可能性に賭けてみたの。浅水先生にも協力してもらってね」
「ええ。私から3人に連絡しておいたの。藍沢君が笠間君にこの剣道場で2年前のことについて話すってね」
なるほど。きっと、笠間が真実を話し終えるまで俺達に気付かれないように、隠れて聞いていたんだ。
思えば、同窓会のあの席順……佐藤と北川がセッティングしてくれたんだっけ。それは俺や笠間が2年前のことを話しやすくするためだったんだろうな。
「教師として情けないと思ったけど、同窓会のときのように……藍沢君なら笠間君にきちんと話せるんじゃないかと思って。昨日の夜、笠間君と2年前のことを話したいから剣道場を使わせてほしいと連絡が来たときには驚いた。でも、同時にほっとしたの」
「二つ返事で承諾してくれたのはそういう理由だったんですね」
きっと、この3人以外も、笠間と親しい奴なら思っているだろう。唯が亡くなってから笠間は変わってしまった。唯のことで思い詰めているかもしれないと。
笠間は再び涙をこぼし始める。
「……こんなに温かい奴らばかりだって、本当は分かっていたのに。俺のひどい嘘のせいで藍沢は強く非難されちまった。藍沢を非難した奴らも、俺が真実をありのままに伝えていれば、非難なんてしなかったんだろうな……」
笠間の言うことはおそらく正しい。きっと、真実を伝えたら、俺の受けたような非難を笠間は受けずに済んだだろう。
「……なあ、藍沢」
「なんだ?」
「こんなことをした俺をどう思う? 藍沢は今でも俺のことを親友だと思ってくれるのか?」
笠間のその問いへの答えが、彼を救えるかどうかの最大の鍵だろう。
俺は笠間のすぐ目の前に立つ。そして、
「馬鹿野郎!」
右手を強く握り締め、全力で笠間の左頬を殴った。そのことで笠間は床に倒れ込んでしまう。
「本当に馬鹿で、情けなくて、弱い人間だよ。そんなお前に対して何の怒りも抱かないがわけないだろう」
でも、この怒りは笠間に対してだけじゃない。俺自身にも怒りを抱いていた。俺は右手で自分の頬を叩いた。その痛みは強く響き渡る。
「俺がさっさと自分の考えをお前に言えば良かったのに。お前が真実を語るのを待とうなんて考えなければ、2年以上もお前が苦しまずに済んだかもしれないのに。今日まで笠間に考えを話せなかった自分にも腹立たしく思うよ」
「藍沢……」
「ただ、親友のお前じゃなかったら、こんなに悩むこともなかった。どうすれば、笠間を救えるのか。そればかり考えていた。そして、今日……笠間から真実を知ったときに素直にこう思ったよ」
2年前の真実を知って、その真実に対する素直な気持ちを伝えよう。
「最後の最後まで、唯を助けようと頑張った笠間のことを……俺は親友としてとても誇りに思う」
その後の笠間が踏んだ道は間違っていたけれど、事件当時の笠間の行動、勇気は本当に誇らしく思うよ。
きっと、岩場に落ちてゆく中、唯だって思っていたはずだ。笠間は自分を精一杯救おうとしてくれたと。笠間を恨んだりしていない。命が消えるまで感謝の気持ちでいっぱいだったのだと。そう信じたい。
「またいつか、剣道で戦おう。それが、俺が笠間をどう思うかっていう質問への答えだ」
俺がそう言うと、笠間はゆっくりと立ち上がって、涙を流しながらも笑った。
「……ああ、分かった。ありがとう、藍沢」
途中、歩く道が間違っていたとき、正しい終着点へ辿り着かせるのが親友という存在なんじゃないだろうか。今回の場合、その終着点は笠間に真実を語ってもらうことだった。それができて俺は嬉しく思う。
「強いな、藍沢は。思えば藍沢は一度たりとも泣かなかったよな」
「……俺は弱い人間だよ。確かにお前の前では泣かなかったけど、あのときは泣くような余裕すらなかった。泣かないことでどうにか心を保とうとしていたから。弱さを見せられない俺は弱いんだよ、笠間。お前よりもずっと弱い」
最終的に笠間は2年前の真実に向き合おうとしたじゃないか。それだけでも、笠間は俺よりも強い人間だよ。俺は目先のことで、今も逃げ続けているのだから。
「……なあ、藍沢」
「なんだ?」
「こんなときに言うのも何だけど、いつか絶対に答えを出してやれよ。藍沢が連れてきた2人の女の子のために。もしかしたら、柴崎のことがトラウマになっているかもしれないけど、柴崎はお前がちゃんと返事をしたことに感謝してたんだ。どんな答えを出しても恐れるな。答えを出さないことが一番傷つけるんじゃないかって俺は思うんだ。それだけ、俺から言っておくよ」
「……ああ、分かった」
まったく、さすがは俺の親友だよ。俺の心を見透かしたように言ってきた。それも、父さんと同じようなことを。みんな、俺の今の状況についてそう思っているのかな。
「……これで、柴崎とやっと向き合えそうだ」
「そうか」
「ああ。ありがとう、藍沢。みんなも……ありがとう」
そのときの笠間の笑顔は、かつての笑顔とは程遠かった。けれど、いつか絶対に……笠間らしい笑顔が戻ってくることだろう。俺はそう信じている。
こうして、唯の亡くなった事件が、ようやく終わったのであった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます