第25話『散り際の真実-前編-』

 5月6日、月曜日。

 午前10時。

 俺は卒業した母校・洲崎町立洲崎第一中学校の剣道場にいる。

 剣道場を使うために、浅水先生へ事前に2年前の事件の推測を説明した上で、剣道場を使わせてほしいとお願いをした。

 俺は今、浅水先生と一緒に2年前の事件に関わったとされる人物を待っている。その人には現在の時刻、午前10時に剣道場来てほしいとメールを送った。

 彩花、渚、美月には家を出発してから俺の推測についてのメールを送っておいた。3人は今、家でそのメールを読んでいるだろう。


「来たよ、藍沢君」

「分かりました」


 心の準備をして、俺はその人物が目の前に現れるのを待つ。そして、


「藍沢、俺を急にここへ呼び出してどうしたんだよ」


 笠間朋基という俺の親友が剣道場に現れた。彼は爽やかな笑顔を浮かべながら、剣道場に入ってくる。


「同窓会で剣道の話をしたら、お前と勝負したい気持ちが湧いてきてね。今日、月原に帰るからさ。俺の相手をしてもらってもいいか?」

「もちろん。むしろ、俺から頼みたかったくらいだ。きっと、高校の奴らよりもいい勝負が期待できる」

「買いかぶりするなよ。ただ、やるからには本気でやろうぜ」

「当たり前だ。2年のブランクがあるからっていっても、藍沢は油断できない。全力で戦うつもりだ」

「……ああ。真っ向から勝負しよう。そこに授業用の竹刀、面、胴、小手がある。今回はこれで我慢してくれ」

「それで十分だ」


 俺達は試合の準備をするために、面、胴、小手を付ける。

 ひさしぶりだな、この感覚。竹刀を握ると自然と血が騒いでくる。相手が笠間だからかな。

 浅水先生が審判となって、俺は笠間と2年ぶりに試合を始める。


「面!」

「胴!」

「小手!」

 

 さすがは笠間だ。動きも声の気迫も凄い。中学の部活で、彼と剣道をしていたときのことを鮮明に思い出せてくれる。

 だけど、どうしてだろう。

 俺と戦う笠間を見ていると、中学のときの記憶が鮮明に思い出してくるんだ。笠間の動きがあのときと全然変わっていないから。だからなのか、


「……また、藍沢に負けちまった」


 何度試合をしても、全て俺が勝ってしまう。

 今の笠間の動きは中学入学後とあまり変わっていなかった。その頃から笠間の剣道技術は上手かったけど、今の俺に比べても弱いことは分かる。


「完敗だ、藍沢。まったく、剣道してなかったのって嘘なんじゃないか?」


 そう言いながらも、面を取った笠間は笑っていた。


「俺はあの事件以降、今日まで竹刀はほとんど触っていないよ。中学のときは五分五分だったのに、どうして今日は俺が全部勝つんだ。高校で剣道を続けているんだから、そんなはずはないだろ。中学に入学して、ここでお前と剣道をし始めた頃と同じ感覚だ」

「俺は全力でやってるさ。だから、この結果に悔いはない」

「……お前の全力はそれまでなのか。何か俺に対して、遠慮でもしているんじゃないのか? それとも、何か別の理由で全力が出せないのか……」

「俺の実力はこの程度じゃないって言いたいのか? それとも、俺に何か話したいことでもあるのか?」


 その瞬間、笠間は真剣な表情で俺を見てきた。その目つきは鋭く、俺を敵視しているのが分かる。どうやら、ようやく呼び出された本当の理由に気付いたみたいだな。


「今のお前の表情の変化で確信したよ。笠間、俺に対して何か言うべきことがあるんじゃないのか?」

「……何を言っているのかさっぱり分からないな。俺が藍沢に対して言うべきことなんて思いつかない」

「どうして、それを俺の目を見ないで言うんだ。俺に対して後ろめたいことが何もないなら、こっちを見て何もないって言って見ろよ」


 俺がそう促すと、笠間は苦み潰した表情をしながら黙り込んでしまった。

 やっぱり、ダメだったか。最後の最後まで待ったけど、笠間は自分から話してくれなかったか。もう、俺から切り出すしかない。


「2年前のあの日。唯が灯岬から転落死したとき、お前も灯岬にいたよな」


 そう言った瞬間、笠間は目を見開いた。

 笠間朋基。彼こそが2年前のあの日、唯が岩場に転落したときに灯岬にいた人物だ。


「藍沢君、笠間君……」

「……俺が唯を突き落としたって言いたいのか?」

「そうじゃない。俺は笠間が唯を殺したとは言っていない。ただ、唯は灯岬に誰もいない状況で、岩場に転落したとは思えないんだ」

「ど、どうしてそう思うんだよ」


 笠間の声は震えていた。その震えは体に出て、竹刀にも伝わっている。そんな笠間は依然として俺の方に視線を向けようとしない。


「左手だけなくなった手袋だよ。問題はその手袋はどこに消えたのか。唯の左半身は海水で濡れていたけど、彼女の左手が海に浸かってはいなかった。それに、あの日は波も穏やかだった。自然に左手の手袋が外れ、海に流れてしまった可能性は極めて低い」


 左手の手袋は現在も見つかっていない。灯岬でも岩場でもない。ここで海に消えたという可能性を除去したら、残るは1つだけだ。


「誰かが左手の手袋を持ち去ったんだよ。そこで重要なのは、どうすれば左手の手袋が彼女の手から外れてしまうのか。最も考えられるのは、唯が岩場に落ちてしまいそうなとき、彼女を助けるために誰かが唯の左手を掴んだときだ。しかし、唯の重みに耐えきれずに左手が手袋から抜けてしまった」


 そう、笠間は岩場に落ちてしまいそうな唯を助けようとしたんだ。唯の左手を掴んで。

 しかし、手袋をしていたせいで彼女を岬に引き上げることができず、左手が手袋から擦り抜けてしまい、唯が岩場に転落してしまった。


「事件現場に誰かがいた。そう思ったもう1つの理由は、唯の上に乗っていた木の柵の破片だよ。岬の木の柵……唯が落ちたとされる部分については綺麗になくなっていた。唯の体重で破れてしまったようには見えなかったんだよ。あれは、お前が意図的に木の柵を壊したからじゃないのか?」

「そんなこと誰にだってできるだろ! 確かに俺にもできるけれど、それは藍沢にだってできるはずだ。椎名や佐藤や北川だって。みんなにもできるだろ……」


 確かに、俺が今言ったことは、唯が岩場に転落してしまったとき、灯岬に唯以外の人間がいた可能性があると示しただけだ。笠間の言うとおり、その人間が笠間かもしれないし美緒かもしれない。もしかしたら、俺かもしれない。


「俺が柴崎の死んだことに関わっている証拠でもあるのか。証拠もないのに藍沢はそんなことを言わないよな?」


 痛いところを突かれる。

 しかし、俺は証拠を固めて笠間に認めさせることが本望ではない。あくまでも、笠間が自ら2年前の真実を語ることが第一だった。こうして俺が推測を話すのは最後の手段だ。


「……証拠はないよ。お前を追い詰めているようで嫌なんだ。俺は笠間から真実を話してほしかったんだよ。一度も俺は笠間が悪いなんて言っていない。ただ、明らかになっていない真実があるなら、俺はそれを知りたいんだよ! 美緒も同じ考えだし、佐藤や北川、浅水先生も……唯を知っている誰もが思っていることなんだ!」


 笠間を追い詰めようとしていないと伝える。

 しかし、笠間は複雑そうな表情をしながら、下唇を噛んでいるだけで何も言葉を発しない。どうして、そこで黙るんだ。違うなら違うって言えばいいだけなのに。黙っているってことは、そういうことなんだろう?

 言葉で説得ができないのなら、もうこの方法しかない。

 俺は笠間の持っている竹刀を指さす。


「もし、俺が間違ったことを言っていたら、俺は笠間にとてもひどい言いがかりをつけたことになる。笠間、俺が間違っているなら気の済むまで、お前が今持っている竹刀で俺のことを叩いてくれ。俺は何も抵抗しない」


 それによって、俺の推測が真実であるか否かが分かる。俺が間違っていたら、笠間の怒りを全て受け止めるつもりだ。

 胴も小手も取り、竹刀も床に置いて俺はただ、笠間の方に向かって立つ。

 笠間は俺の方を向いて立ち、竹刀を構え、勢いよく俺の方に走ってくる。彼が大きく振り上げた竹刀は――。


「……お前の言うとおりだよ」


 俺に当たる寸前で振り下げ留まっていた。

 笠間は俺の目を見ながら、一筋の涙をこぼしていた。その涙には悔しさ、悲しさ、虚しさ、怒り……2年前のあの事件に対する感情が、全て溶け込んでいるように思えた。


「まさか、本当に笠間君だったなんて……」


 入り口にはちー姉ちゃんが立っていた。彼女にも今朝、笠間が事件に関わっていたという俺の推測をメールで伝えておいたのだ。俺が笠間とこの剣道場で話し合うことも。


「笠間、お前の言葉で2年前の事件の真実を知りたい。とても辛いと思うけど、俺達に教えてくれないか?」


 あの日から2年以上経ったこの瞬間まで明かされなかった真実。笠間と唯だけが知っている真実とは何なのか。それを俺達が知るときが訪れたんだ。


「分かった、あのときのことを全て話す。その前に1つ言わせてくれないか」


 笠間はそう言うと、涙を拭き取って俺に深く頭を下げた。


「……すまなかった、藍沢」

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