第23話『違和感』
父さんが出てから数分ほど経ってから、俺も露天風呂を出た。
脱衣所に行ったときにはさすがに父さんの姿はなかった。俺以外の人は誰もいない。
浴衣を着て、部屋に戻る途中の自動販売機コーナーで冷たい缶コーヒーを買う。
「直人君、おはよう」
呼ばれたので後ろに振り返ると、そこには昨日と同じく浴衣姿の千夏さんがいた。ただ、昨日とは違って昔のような可愛らしい笑顔を見せてくれる。
「千夏さん、おはようございます」
「おはよう。……その、もう昔みたいにタメ口でもいいんじゃない?」
千夏さんは上目遣いで俺のことを見てくる。確かに、小さい頃は千夏さんにもタメ口で話していた。呼び方も千夏さんではなく、ちー姉ちゃんと。
千夏さんの言うとおり昔のように楽しく話すなら、話し方を変えるのは一番手っ取り早いだろう。
「……ち、ちー姉ちゃん」
俺がそう言うと、千夏さん……ちー姉ちゃんはとても嬉しそうだ。高校生になって、この呼び方で彼女を呼ぶと結構恥ずかしい。
「ちー姉ちゃんも温泉に入ってきたの?」
「うん。直人君も?」
「ああ。早く起きたし、美月達もまだ寝ているから部屋にいてもどうかと思って」
「そっかぁ」
たった2年間で、ちー姉ちゃんとこうやって話すことに違和感を覚えてしまった。それだけ、彼女と距離が離れていたということか。それとも、単に俺が大人になっただけか。
「何だか、また直人君のことが好きになっちゃう気がするよ」
「あははっ」
立ち直り早いな。しんみりされ続けるよりかはいいけど。
俺が缶コーヒーを飲む中、ちー姉ちゃんはレモンティーを買ってさっそく飲んでいる。
「飲み合いっこしようか」
「俺はいいけれど、ちー姉ちゃんはいいの? あとコーヒー飲めるのか?」
「の、飲めるよ! お姉さんになったんだから。それに、こんなことをする男の子は直人君だけだよ」
2年前のあのときに比べると、今のふくれっ面なんて全然恐くない。むしろ、とても可愛らしく思える。
「分かったよ。一口だけな」
昔からこのようなことは美月とやってきたし、先日は渚のスポーツドリンクを飲んだから躊躇いもなくできる。
俺はちー姉ちゃんからレモンティーを受け取り、一口飲む。思ったより甘いな。
「に、苦い……」
「ちー姉ちゃんには早かったんじゃないか」
俺が買った缶コーヒーは朝専用と言われている苦味の強いやつだからな。缶コーヒーの中でも指折りの苦さを誇る。
「カ、カフェオレは飲めるんだよ」
「……それ、コーヒーの中でもかなり甘いやつだよ」
どうやら、ちー姉ちゃんはコーヒーの入り口に立っているようだ。
缶コーヒーを返してもらって一口飲む。やっぱり、俺には甘いのよりも苦い飲み物の方が好きだな。
ちー姉ちゃんは頬を赤くしながら俺を見ている。口をつけたからかな。自分のレモンティーをなかなか飲まない。
「……間接キスだね」
「ああ、そうだな」
「もう少し恥じらったりするものだと思うけど……」
「美月とかのおかげで、こういうことには慣れているんだよ」
「そっか。美月ちゃんか。直人君のこと大好きだもんね」
第三者からそう言われると嬉しいもんだな。
しかし、ちー姉ちゃんの楽しい表情は消え、しんみりとしたものになる。
「……一昨日、唯のことで直人君に謝ったじゃない。唯は直人君のせいで自殺したとは限らないって」
「ああ」
「そう思うきっかけはある違和感からだったの。そんなこと、実際は何てことのないことかもしれないんだけど」
「……奇遇だ。俺も唯が死んだことについて違和感を抱いていたよ」
俺の抱く違和感とは違うかもしれないけれど、ちー姉ちゃんも唯が死んだことに何かしらの疑問があるようだ。俺はちー姉ちゃんと違和感が同じかどうか確かめたい。
「右手だけはめられた手袋と、仰向けになった唯の遺体に乗っていた柵の一部。俺はそこから違和感を抱いた。ちー姉ちゃんはどうだろう」
「……手袋については私も違和感を抱いたよ。あとは、亡くなったときの唯の心を勝手に決めつけちゃいけないと思って。それで、自殺とは限らないって考えるようになったの」
ちー姉ちゃんも同じことで違和感を抱いていたのか。
遺体が写る現場写真には、唯は右手にしか手袋をしていなかった。俺が告白されたときは、唯は両手に手袋をしていたのに。ちなみに、左手の手袋は発見されなかった。
「あの日、唯が家を出たとき、両手に手袋をしていたの。それが右手にしかないなんて。警察の人は海に流されたかもしれないって言っていたけれど、それがどうしても納得できない自分がいて」
「俺も同じことを考えていたよ。波打ち際だったこともあって、唯の左半身は海水で濡れていた。けれど、左手から外れてしまうほどの強さではないと思ったんだ。あの日は雨も降らなかったし、風も穏やかだった。もちろん、波も」
水中に沈んでしまったならまだしも、唯の左手から手袋が抜けてしまうのだろうか。しかも、穏やかな波で。
「直人君は木の柵からも違和感があるって言っていたけれど、それはどうして?」
「唯が転落したとされる時間には、灯岬には彼女以外に誰もいないって言われているからだよ。柵が壊れたことによる転落事故なら、唯の上に柵があるのはおかしいと思うんだ。そうとは言い切れないけれど」
「それなら、どのような状況だったら、唯の体の上に柵の一部が乗ることになるの?」
そう、それなんだ。それを考えると、唯が死んだあの事件が警察の公式見解とは全然違う可能性が見えてくる。
「誰かが唯の遺体に向けて柵の一部を落とした」
「それはないよ。だって、唯が岩場に落ちたとき、灯岬には誰もいなかったって……」
「だから、違和感を抱いたんだ。事件当時、灯岬に唯以外の人間が誰もいなかったら、あの写真のような状況にはならない気がして」
「なるほどね。でも、実際に木は腐っていた。時間差で落ちたことも考えられるんじゃない?」
「……その可能性もある。でも、俺にはそうとは思えなくて……」
警察も俺やちー姉ちゃんと同じ違和感を抱いただろうか。抱いたとしても、それはたいしたことないと判断したから、転落事故という結論に至ったのだと思う。
「仮に直人君の言うとおり、唯以外に誰かいたとするよ。それだと、唯は誰かに突き落とされた可能性だって……」
「……そう。殺人の線も浮かび上がってくる。警察が殺人を考えなかったのは、唯と最後に会ったのが俺だった話を基にしているから。現場には唯以外誰もいないと考えているから。これらも全て俺の推測で、明確に示す証拠なんてない」
「そっか……」
俺の抱いた違和感から、唯の死の間際に誰かが関わっていた可能性がある。それを考えただけだ。
でも、俺だけではなくて、ちー姉ちゃんも違和感を抱いている。俺だけなら考えすぎという結論に至るけど、2人ならその違和感から導き出したことが真実である可能性はぐっと高くなる。
気付けば、ちー姉ちゃんとしゃべり始めてから20分以上経っていた。
「ごめん。こんなことを長く話して。それに、朝から暗い感じになっちゃって」
「いいよ。私も今のことを直人君に話したかったから」
「そうか。それなら良かった」
「じゃあ、部屋の前まで一緒に戻ろうか」
俺とちー姉ちゃんは一緒に客室の方へ歩き始める。
俺の泊まっている部屋の前に先に到着したので、ここでちー姉ちゃんとはお別れとなった。
さて、3人は起きているかな?
部屋に入ると、彩花と渚が頬を赤くして、互いに背を向けながら横になっていた。美月はまだ眠っている。
「ただいま、彩花、渚」
「お、おかえりなさい。直人先輩」
「おかえり、直人」
そう言ったきり、2人は何も喋らない。どうやら、2人が目を覚ましたときもキスをしていたようだな。それで気まずい空気になってしまったと。
「……ねえ、直人。ちょっと変なことを訊くけどさ」
「うん? どうした?」
「直人が温泉に行くとき、私と彩花ちゃん……何か変な感じになってなかった?」
渚がそう問いかけた途端、彩花はジロジロと俺の方を見始めた。きっと、2人は自分達のキスを俺に見られたかどうか心配しているんだ。
「……いや、彩花と渚は仲が良さそうに寄り添って寝ていただけで、何もおかしいとは思わなかったけれど」
俺がそう言うと、彩花と渚はほっとした表情を見せた。やっぱり、あの光景を俺に見られると恥ずかしいよな。美月は今もすやすやと眠っているので、2人がキスした光景は見ていないだろう。
「そ、そうでしたか。良かったです。ちなみに、顔が赤く見えるかもしれませんが、それは渚先輩と寄り添って寝ていて暑かったからです。それだけなんですからね!」
「そ、そうか。分かったよ」
実際には寄り添うどころか、擦り合っていたけど。
まあ、世の中には言わない方がいい真実もあるはずだ。彩花と渚のためにも、この話は俺の胸の中に閉まっておくことにしよう。
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