第29話『彩花の告白』

 午後8時30分。

 俺と彩花はやっと家に帰ることができた。こうして、彩花と家で2人きりになるのは3日ぶりかな。

 警察署の前で繋いだ手は1度も離すことはなかった。最初は俺が強引に掴む感じだったけど、途中からは彩花も俺の手をしっかりと握ってくれていた。リビングに行っても彩花は手を離すようなことはしない。


「あの……直人先輩」


 ようやく聞いた彩花の声は俺への呼びかけだった。

 彩花の方に振り返り、彼女の顔を見ると彼女は俺の目を真剣に見て、


「私のことを助けてくれてありがとうございました。浅沼達にも決着をつけてくれて本当にありがとうございました。あと、今まで直人先輩のことを縛り付けようとして、本当にごめんなさい」


 そう言うと手を離し、俺に向かって深々と頭を下げる。


「彩花が謝る必要なんてないよ。それに、俺だって……彩花のことを恐がって向き合えなかったから家を出てしまったんだ。謝るのは俺の方だ。本当にすまなかった」


 今度は俺が彩花に対して深く頭を下げる。俺がここから出たことで、彩花には本当に寂しく、怖い想いをさせてしまった。


「いえ、そんな……直人先輩は何も悪くないです! あのときも言ったじゃないですか。私から離れたのは私のことを考えていたからだって」


 本当だったら怒られるべきところなのに、彩花に励まされている。この様子なら何を訊いても大丈夫かな。


「彩花。やっぱり、俺を束縛しようとしていたのは浅沼が原因なのか?」

「……はい」


 彩花の表情が少し暗くなる。

 やっぱり、そうだったんだ。彩花は欲望のままに俺を束縛しようとしていたわけじゃなかったんだな。


「1年前、私は浅沼と彼の取り巻きに襲われかけました。お姉ちゃんがいたから何とか逃げることができて、彼らを逮捕できましたけど……私の中には男の人に対する恐怖心が植え付けられました。それからは一時期、不登校になっていました。それでも、真由ちゃんのおかげで、何とか学校にも復帰できて卒業もできました。高校も真由ちゃんと同じ学校に通いたいと思って、共学でも月原高校に進学したんです」


 ここは一ノ瀬さんから聞いた話と全く同じ内容だな。彩花は本当に一ノ瀬さんのことを信頼していることが伺える。


「浅沼が自由の身になるのがこの春であること。取り巻きの一部は既に自由の身になっていることは知っていました。だから、家を出ると常に警戒していたのですが、あの日の朝、私は取り巻きの一部に絡まれたんです。でも、すぐに……直人先輩が私のことを助けてくれました」


 彩花は穏やかに笑う。こんな風に笑う彩花は久しぶりに見る。あのとき、俺が助けたことがとても嬉しかったんだろうな。


「男の人が助けてくれるなんて信じられなくて。でも、凄く嬉しかった。直人先輩に助けられたことで、男の人に対する恐怖感が大分薄れました。それと同時に、私は直人先輩に惹かれていったんです」

「そうだったのか……」

「直人先輩のことを見ていれば安心できました。でも、1人になるとすぐに不安が芽生えたんです。取り巻き達が絡んできたということは、浅沼はもう自由の身になっていて、いつでも私に復讐する準備はできていると。そこで私は……強引でしたが、不良から助けてくれたことを理由に、直人先輩と同じ部屋で住む許可を学校から得ました。そして、直人先輩の家に引っ越し、直人先輩とできるだけ一緒にいようって決めたんです」


 1人でいるよりも、俺と一緒にいた方がずっと安心できるもんな。一度、不良から助けたのも大きいだろう。

 あと、彩花が1人で下校するときに、必ず真っ直ぐ帰宅しているのは、浅沼達に襲われるリスクをできるだけ減らすためだったんだな。


「直人先輩と一緒にいれば大丈夫だ。そう思っていました。でも、直人先輩は優しい人で、しかも女子から人気もあります。直人先輩は他の女子と関わっていることで、夜にならないと帰ってこない日が多くて。そんな日が続いたら、安心なはずの家なのに段々と不安になってきちゃって。だから、直人先輩を自分の側から離れさせたくない。その想いが強くなりすぎて、手錠を使ってしまったんです」


 つまり、あの手錠は俺が他の女子と関わっていた罰ではなく、浅沼達によって苦しんでいたというメッセージだったわけか。


「じゃあ、渚の告白を盗聴していたのも……」

「同じ理由です。直人先輩が私以外の誰とも付き合って欲しくなかったからです。もし付き合ったら、私と関わる時間は激減して、ここから追い出される可能性だってある。だから、直人先輩が付き合おうとしたら、相手の女子を殺すことも考えていました」


 それだけ、彩花にとって俺の存在は大きかったわけだ。俺が側から離れれば、野晒しになってしまい、すぐに浅沼達に襲われるから。あと、ここまでナチュラルに殺すと言ってしまうとは。それだけ強く考えていたってことだろう。


「吉岡先輩のことは一番注意すべき人物であることは分かっていました。きっと、直人先輩のことが好きなんだろうって予想もできました。そう思っていても、いざ告白を迎えてしまうと不安と焦りばかり増していきました。直人先輩がすぐに断ったので、そのときはとても安心しました。最大の敵がいなくなったんだって」

「だけど、俺は疑ってしまった。彩花が告白を盗聴しているんじゃないかって」


 じゃあ、俺の告白の演技を盗聴したときには物凄く焦ったんだな。このままだと渚と付き合ってしまうかもしれないって。


「ええ。手錠のことで既に警戒されているのに、吉岡先輩の告白を盗聴したことでもう直人先輩の心は私から離れてしまうと思いました。直人先輩を必死に止めたのですが、結局ダメでした。当たり前ですよね、吉岡先輩を傷つけるようなことも言っちゃったんですから。それに、浅沼達のことで助けてほしいって本音が言えなかったから」

「いや、彩花は言っていたさ。家を出て行くときに『誰も守る人がいなくなる』って言われたことを思い出して、そこから浅沼に辿り着いたんだ。あのとき、もっと落ち着いて彩花の言葉に耳を傾けていれば良かったな」


 それでも、こうして彩花を助けることができたけれど、家を出て行くときに気付けなかったことが最も後悔していることだ。

 けれど、それは違うと言うように彩花は首を横に振った。


「いえ、先輩は一度、家を出てくれて良かったんです。そうしていなければ、私はきっと、浅沼のことを話すことはなかったでしょうから」

「彩花……」

「最初は直人先輩が悪いって思いました。直人先輩を取り戻すために吉岡先輩を殺すことまで考えていました。でも、それが間違ってることはすぐに気付いて。そんなことで思い悩んで泣き続けたら風邪を引いちゃって」


 風邪を引いた話は本当だったのか。てっきり、俺を家へ帰らせるために付いた嘘だと思っていた。


「でも、浅沼達が恐かったので元々学校に行くつもりはありませんでした」

「そうだったのか……」


 1人じゃ怖いから俺の家へ引っ越してきたくらいだ。俺が家を出てしまったから、学校に行けなかったのは当然のことか。


「先輩のことをもっと信じていれば、手錠を使う必要なんてなかった。でも、私は本音が言えなくて。だから、先輩と一緒にいるためにわざと明るい態度を取って。直人先輩も浅沼と同じく男性ですから何をするか分からなくて。直人先輩の好きなようにさせまいと行動をエスカレートさせていたんです」


 元々大人しい子だって一ノ瀬さんが言っていたからな。あの元気な彩花が信じられないとも言っていた。だから、わざと明るく接していたと言われてもあまり驚いていない。信じられない思いはあるけれども。

 今までの彩花が演技だったと知ると、今の彩花がとても汐らしく見えてくる。


「じゃあ、俺が家を出ていた間に、何度か留守電メッセージが入っていたけれど、あれも?」

「ええ。面と向かわなければ本音を話せるかな、と思って……でも、いざ電話をかけると例え留守番電話になっても言う勇気が出なくて……」


 その結果があのマシンガントークか。俺に送ってくれた2つのメッセージはどっちも凄かったからな。


「じゃあ、俺のベッドで寝たっていうのも嘘か?」

「……え、ええと……そ、それは本当です……」


 彩花は俺から視線を逸らし、頬を赤くしながら答えた。普段の彩花なら「当たり前じゃないですか、ぐへへっ」という感じで答えるのに。何か調子が狂うな。


「でも、ベッドの上で変なことはしていませんよ! 布団や枕の匂いを嗅いだくらいで」

「……そ、そうか」


 手錠とかのインパクトが凄すぎて、ベッドの匂いを嗅がれるくらいならたいしたことないと思ってしまう。むしろ、可愛いくらい。


「あと、彩花が可愛いとか言い続けたあの呪文のような音声ファイルは……」

「え、ええと……私のことを可愛いなって思ってくれれば家に帰ってきてくれるんじゃないかと思って。そんなの、雀の涙ほどの可能性だと思っていましたよ!」


 そう言って、彩花は頬を赤くして「あううっ」と悶えている。

 あの録音ファイルについては俺の予想通りだったわけか。彩花が可愛いと俺に洗脳して家に帰ってきてもらうか。今聞くと本当に可愛い発想を抱く女の子だ。

 そうだ、あのことについても訊いておくか。


「なあ、彩花。今日の朝、渚の家にルピナスの花を届けたよな」

「ええ、そうですけど」

「……どうしてルピナスの花を届けたんだ? ただでさえ1人で出歩くのは危険だったのに」


 茜さんの言うように、花言葉で気持ちを伝えたかったんだと思うけど、やっぱりこのことに関しては本人の口から聞きたかった。


「私の大好きな花だからというのもありますけど、気持ちを口ではなかなか言えなかったからです」

「じゃあ、ルピナスの花を贈ったのは……」

「ええ。ルピナスの花にはいつも幸せとか、あなたは私の心にやすらぎを与えるなどの意味があるんです。花言葉を知っていればいいなと思って、吉岡先輩の家のポストの上に置いておいたんです」

「そうだったのか」


 宣戦布告や俺を逃がさないと汲み取ってしまった自分が情けなく思う。


「学校に行ったのも、直人先輩に気持ちを伝えたかったからです。でも、先輩を見ると臆病な気持ちが出てきてしまって、気付いたら先輩から逃げてしまっていました」

「じゃあ、渚を襲うつもりは全くなかったんだな……」

「はい。それで、学校から出た直後に浅沼の取り巻きの1人に薬を嗅がされて眠ってしまったんです」


 そこからはもう俺も知っていることだ。彩花を誘拐した浅沼は彩花と茜さんに復讐をするために、彩花のスマホで俺に電話をかけたんだ。


「目が覚めて、浅沼がすぐ側にいたときには絶望感を抱きました。でも、そのすぐ後には直人先輩が絶対に助けに来てくれるって思いました」

「彩花……」

「そうしたら直人先輩は本当に助けに来てくれて、浅沼達をやっつけてくれて。直人先輩は私のことを常に考えてくれていたことが分かって、それが凄く嬉しくて……」


 彩花は微笑みながらも目から涙を溢れ出させる。


「直人先輩の優しさは本物なんだって分かりました。浅沼なんかは比べものにならないくらいに素敵な人だって。だから、私は改めて思いました」


 彩花は涙を必死に拭って、俺と目を合わせて、


「直人先輩のことが大好きです。ずっと側にいてほしいです」


 彼女の本音を最も素直な言葉で俺に伝え、俺のことをぎゅっと抱きしめる。


「もっと直人先輩と一緒にいたい。浅沼達のことが一件落着したからといって、ここから離れたくないです」

「……俺の言う手間が省けたよ。彩花が隣にいないと、彩花のことで頭がいっぱいになって色々と心配になるんだ。その度に、彩花を守りたいって思うんだ。だから、これからもここで一緒に住んでいこう」

「はい!」


 そっと、俺は彩花のことを抱きしめた。

 こんなに細く華奢な体で、彩花はこの1年間苦しんできたんだ。もう、2度と同じような苦しみを味合わせたくない。そのためにも俺が彩花のことを全力で守る。


「あの、先輩」

「なんだ?」

「直人先輩と口づけがしたいです。これからも先輩と一緒にいたいし、先輩が初めての相手だって思いたいから。先輩、お願いします」


 これまで幾度となく彩花から口づけを懇願されてきたぇれど、今回が一番本気なのはすぐに分かった。

 ただ、浅沼が彩花へ強引に口づけをしたときのことを思い出してしまう。


「彩花が浅沼に口づけをされても、俺は平気そうにしていただろ?」

「そうでしたね」

「だけど、そんなわけなかった。本当は彩花が口づけされているのを見て腹が立って、嫉妬していたんだ。彩花の嫌なことをよくもしてくれたなって。もしかしたら、それが好きっていう感情に繋がっているのかもしれないな……」


 彩花の気持ちが分かる気がする。本音を言うのはなかなか勇気のいることだ。なかなか次の言葉が口に出せない。

 俺は一度、深呼吸をする。


「俺も彩花が側にいるんだと確認したい。だから、口づけがしたい」

「直人先輩……」

「彩花が先に言ったんだ。彩花からしてくれないか」


 もう、それ以上は何も言わなかった。あとは彩花の気持ちに任せよう。

 彩花は一度、俺のことを離すと、俺の胸に両手を添えた。


「直人先輩、好きです」


 ゆっくりと俺の顔に近づき、彩花はゆっくりと目を閉じて、唇をそっと重ねた。

 彩花の唇はふっくらとして柔らかい。口づけをした瞬間に香った彩花の優しく甘い匂いが鼻腔をくすぐらせる。

 ゆっくりと唇を離すと彩花は再び涙を流した。

「やっと、直人先輩の側にいられる。凄く嬉しいです」

「彩花の笑顔がまた見られるようになって嬉しいよ」


 彩花のこの笑顔は絶対になくしてはいけないものだ。これからどうなるか分からないけれど、彩花の笑顔が見られるように頑張らないと。


「あの、先輩。お願いがあります」

「なんだ?」

「今夜はもうお風呂に入って、直人先輩のベッドで一緒に寝たいです。ええと……先輩さえ良ければなんですが」

「いいよ、一緒に寝ようか」


 そういえば、俺と一緒に寝ることなんてこれまで一度もなかったな。俺がいないときも俺のベッドで寝ていたそうだから、一緒に寝てやりたい。

「じゃあ、お風呂を沸かしてきますね!」

 そう言う彩花の笑顔は今までの中で1番可愛らしかった。



 彩花、俺の順番でお風呂に入り、彩花の希望の通り、俺のベッドで一緒に寝ることになった。

 部屋の電気は点けず、ベッドに備え付けているライトを点けている。

 ベッドの上には彩花持参の大きな枕が1つ置かれていた。1つだけの方が一緒に眠る感じがしていいかな。

 水色の寝間着を着た彩花はさっそくベッドの中に入り、壁側で俺が来るのを待っている。


「直人先輩、その……来てください」

「ああ」


 俺もベッドの中に入り、彩花と向き合うような形で横になる。


「先輩とこうしているのが夢みたいです」


 と言って、彩花は俺に体を密着させてくる。さっきとは違ってシャンプーの香りが俺を包み込む。

 彩花の生温かい吐息が口元に当たって少しくすぐったい。


「やっぱり先輩の匂いは安心できます。こうして直接感じるのが一番ですね」

「昨日と一昨日は1人で寝ていたんだよな。寂しい思いをさせてごめん」

「いいですよ。いずれは通らなければならない道でしたから」


 いずれは通る道か。そう思ってくれるのであれば、俺もちょっと心が救われる。


「ちょっと吉岡先輩の匂いが感じられます」

「渚の家では渚と一緒に寝てたからな」

「先を越されちゃいましたね。悔しいです」


 彩花は少し不機嫌そうに頬を膨らませる。今となってはこういう表情も可愛らしく思える。


「えっと、その……実際のところ、吉岡先輩の家でどんなことをしていたんですか?」

「今みたいな感じで一緒に寝ただけだよ。それより先のことは一切していない」

「そうですか」


 物凄くほっとしているな。どうやら、渚に先を越されるのは本当に嫌だと思っているようだ。


「私、直人先輩と付き合えるように頑張ります。それで、もし……先輩と付き合えるようになったら、色々なことをしてください」

「……分かった」


 俺がそう言うと彩花はとても嬉しそうに微笑む。それは俺のことが本当に好きな証拠だと思えた。

「そろそろ寝ましょうか、直人先輩」

「そうだな」

「では、おやすみなさい」

「ああ、おやすみ」

 彩花はゆっくりと目を閉じた。程なくして可愛い寝息が聞こえ始めた。いい夢を見ることができるといいな。

 彩花が眠ったことを確認し、ベッドのライトを消して俺も眠るのであった。

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