第12話『桐明香奈』

 俺は渚についてゆく形で第1体育館へと向かう。

 月原高校には第1体育館と第2体育館という2つの体育館がある。第1体育館の方が大きく、公式大会の会場として使用されることもあるそうだ。体育の授業も主にここで行い、女子バスケ部の活動場所にもなっているそうだ。

 第1体育館には体育館全体を見渡せるように、2階にはベンチがある。俺は2階へ行こうとしたけど、渚の懇願によって1階に留まることに。

 体育館の端で渚が着替えてくるのを待っていると、女バス部員らしき女子生徒達に注目を浴びてしまう。そりゃそうか、制服姿の男子生徒が端っこで1人、ぽつんと立っているんだから。

 体操着姿の1人の女子生徒が俺のところへ駆け寄ってくる。彩花よりも小柄で幼い顔つきをした女の子。ぱっちりとした目が可愛らしく、金髪のショートヘアが印象的だ。


「藍沢直人先輩ですよね?」

「そうだけど。どうして分かった?」

「だって、彩花ちゃんから、藍沢先輩の写真を見せてもらいましたもん。名前の通り、髪が藍色なんですね」

「彩花のことをちゃん付けで呼ぶってことは、あいつと友達なのか?」


 俺がそう訊くと、金髪の女の子は仁王立ちをして小さめな胸を張る。


「はい。彩花ちゃんの友達でクラスメイトなのです、藍沢先輩。あっ、名前を言うのを忘れていましたね。あたし、桐明香奈きりあけかなといいます。あたしのことは香奈って呼んでください」

「じゃあ、香奈さんで」


 香奈さん、とても明るくて元気そうな子だ。そういうところが渚と重なる。あと、幼顔だからか、笑顔がとても可愛らしい。

「香奈さんは女子バスケ部の生徒?」

「そうですよ」

 ということは、渚は香奈さんから彩花のことを聞いた可能性が高そうだ。香奈さんは彩花のクラスメイトで友達だし。

「そういえば、藍沢先輩。今日は渚先輩と来ましたよね?」

「そうだけど」

 自然と答えちゃったけど、今のはまずかったかも。


「彩花ちゃんと恋人として付き合っているんじゃなかったんですか? 前に彩花ちゃんから藍沢先輩と付き合っているって言われたんですけど」

「ああ、それはあいつがそう思っているだけだよ。実際に彩花から何度も告白されたけど全て断っているし。恋人としては付き合ったことはないよ」

「そうなんですか。じゃあ、本当は渚先輩と付き合っているんですね!」

「そんなわけないでしょ!」


 体操着に着替えた渚が後ろから香奈さんの頭を叩いた。さすがはバスケ部。足も速ければツッコミも速い。


「ごめん、直人。彼女、私の後輩だから」

「そうらしいね。さっき、彼女から話しかけられたんだよ。彩花の友達でクラスメイトだって。渚は香奈さんから彩花のことを聞いたのか?」

「そうだよ」


 やっぱりそうだったか。


「ううっ、痛いですよ」

「変なことを言うからだよ」

「だって、付き合っていると思っちゃうじゃないですか! 藍沢先輩は彩花ちゃんと一緒に住んでいるのに、渚先輩と一緒にこの時間に登校しているんですから。しかも、活動場所であるここまで足を運んでくれていますし」


 付き合っていると誤解されないように、せめても正門前で手を繋ぐのを止めたんだけど、実際は一緒に登校した時点で俺と渚が付き合っていると思われてしまったのか。あと、渚と一緒に練習場所まで来てしまったのがまずかったか。


「どうして、藍沢先輩と一緒に登校したんですか? しかも、藍沢先輩は教室に行かずにここにいる。気になって仕方ないです」

「え、えっと……」


 渚は困った表情で俺に視線を向ける。

 渚が彩花から命を守っていると正直に話せば混乱を招くだけだ。渚の家から一緒に来たと言ってしまえば尚更のこと。

 ここは俺がしっかりとごまかさないといけないな。


「渚のいる女バスがどんな風に活動しているのか見たくなって。渚に頼んでも断られちゃってさ。だから、こうして強引にここまで来たんだ。渚が困っているのはそのせいなんだ。ごめんな、渚」


 渚の肩を叩くと、彼女は作り笑いをして何度も頷く。


「そ、そうなの。私がダメだって言ったのにここまで来ちゃうなんて。バスケ部は男子の方もあるのに女子の方をどうしても見たいって言うんだから。もう、しょうがないなぁ。端っこで見ていいから、絶対に練習の邪魔はしないでね」


 演技力が全然ないな。これで香奈さんをごまかせるのか? あと、今の渚の言葉で俺が変態だと思われそうで怖いな。


「そうだったんですか!」


 どうやら、それは杞憂だったみたいだ。香奈さんは満面の笑みで言う。


「藍沢先輩ならここにいても大丈夫ですよ。ここだけの話、藍沢先輩と同じ2年生だけでなく、あたしたち1年生や3年生の女子も藍沢先輩のことが好きな人がいるみたいですから。ちなみに、女子バスケ部にもいるそうですよ」

「そ、そうなのか」


 彩花と付き合っているという話が広まっているのに。本当は付き合っていないと思って、好きだと思っている女子がいるのかもしれない。


「じゃあ、ゆっくり見ていってくださいね! 失礼します!」


 香奈さんはそう言うと、部活仲間らしき生徒達の方に向かって走っていった。

「他の子とは何か違いそうだな、香奈さんは」

「その読みは正解。彼女、中学生のときもバスケをやっていて、去年は彼女を中心にしたチームが全国大会に進んだから。私と同じで月原にはスポーツ推薦で入学して、女子バスケ部に入部したの」

 山椒は小粒でもぴりりと辛い、ということわざは香奈さんみたいな人のことを言うのかもしれない。

「言い方は悪いけれど、背が小さいのに凄いな。背の高さが重要そうなバスケで実力を発揮するなんて」

「ええ、部内では小さな巨人とも言われているわ」

「ち、小さな巨人……」

 確かに、香奈さんは色々な意味で大物になりそうな感じである。次代のエース候補は彼女かな。

 もしかしたら、今年は全国大会に行けるかもしれないな。現エースの渚と、体は小さいけど大型新入生の香奈さんが一緒に戦えば。この2人が起こす化学反応、生で是非見てみたいところ。


「それじゃ、私も参加してくるわ。とりあえず、朝練のときは体育館の端で練習を見てて」

「分かった。こっちも、何かあったら早急に対処する」

「うん、よろしくね」

「じゃあ、頑張ってこい」

「ありがとう」


 そう言って、渚は俺とハイタッチをする。元気に部員達のところへと走っていった。

 渚が離れた途端、俺の頭には彩花の顔が浮かぶ。俺のベッドでもいいから、彩花はちゃんと眠ることはできたかな。ちゃんと起きて、朝食を食べたかな。

「すみません、ボールお願いしますっ!」

「あ、ああ……」

 俺の足元まで転がっていたバスケットボールを香奈さんに向けて投げる。どうやら、今はシュートの練習をしているようだ。

 渚は後輩に向けてシュートの姿勢を教えている。たまに手本としてシュートを放っている。毎回綺麗な軌道を描いてゴールへと吸い込まれてゆく。その度に歓声が沸くと、不思議と俺も嬉しい気持ちになる。

 渚だけでなく香奈さんがシュートしても歓声が上がっていた。素人の俺でも見分けつくくらいに彼女のシュートは別格だ。体が小さくても、あのシュートを1度見ただけで存在感が大きくなる。彼女が小さな巨人と称されるのも納得できる。


「どうでした? 凄かったでしょう」


 俺が香奈さんを見ていたことに気づいたのか、彼女はボールを持って俺の所へやってくる。シュートが次々と決めることができたのか、とても嬉しそうだ。

「ああ、凄いよ。さすがは小さな巨人だ」

 褒めたつもりだったのだけれど、香奈さんはあまり嬉しそうではない。


「小さな巨人、ですか。あたし、その呼ばれ方あまり好きじゃないんですよね。褒めてくれているのは分かっているんですけど」

「巨人って言葉が好きじゃないのか?」

「そうですね。あたし、小学生の頃からバスケが好きだったんですけど、背がちっちゃいから使えないっていつも馬鹿にされて。だから、どんなに大きな人が相手でも勝てるように頑張って練習したんです。小さくても頑張ればここまでできるんだって思いたくて。だから巨人って言われるのは気に食わないんですよね。いつまでも、体の小さなバスケットプレイヤーでいたいんです」


 確かに、バスケは背の高い人の方が有利だと見られるスポーツだ。

 だけど、香奈さんはそんなスポーツに正面からぶつかっていった。背の低さという致命的とも言えそうなデメリットをカバーし、背の大きさは関係ないと思わせるほどの実力をつけた。中学時代に全国大会に出場したのは努力の賜物だろう。

 ずっと小さなバスケットプレイヤーでいたいか。並大抵の人が言えるようなことじゃない。やっぱり、香奈さんは将来、大物の選手になりそうだ。


「小さいことが誇りってことか」

「そうです。ここまで小さな女の子がバスケで活躍したら、普通のバスケ選手よりも何倍もかっこいいじゃないですか。そう思いません?」

「そうだな。凄いって思う」

「あたしがここに入学した理由の1つがそれです。去年の月原高校のインターハイが決まるかどうかの試合、あたしは会場で見ていたんです」

「へえ、そうなんだ。その試合は俺も見てたよ」


 あの試合、香奈さんも見ていたのか。


「じゃあ、話は早いですね。あの試合は惜しくも敗れました。その時のメンバーは渚先輩を含めて全員背が高かった」

「相手との体格差はあまりないと思った。ただ、実力が相手の方が一枚上手だった。終盤になって俺はそう感じたよ」

「さすがは藍沢先輩です。あたしも同感でした。そこで考えたんです。この差を背の小さなあたしが埋めて、去年よりも強いチームなれたらどれだけ凄いのかなって。何だかナルシストっぽいことを言っていますね」


 香奈さんはそう言って照れ笑い。

 彼女はナルシストだと自嘲するけど、それだけ自分の実力に自信があるんだと思う。そして、相当強い意志があるんだ。去年行けなかったインターハイの舞台に今年は絶対に立ってやるって。

 渚、心強い後輩が入って良かったな。香奈さんは立派なバスケットボールプレイヤーだと思うよ。


「おっ、笑ってますね。あたしの話に感動しましたか?」

「ちょっとね」

「藍沢先輩はツンデレさんですね。素直に感動していると言ってくれていいんですよ」


 何を言っているんだ、こいつは。時々調子に乗ってくる。先輩とか関係なく笑顔で言える度胸は凄いと思うけどさ。こういうところは彩花と似ている。


「俺はツンツンもしてなければデレデレもしてない。ただ、頼もしい後輩が入って渚も喜んでいるんじゃないかなって思っただけさ」

「渚先輩が本当にそう思ってくれているなら、あたしは嬉しいです」


 そう言って香奈さんは渚の方を見る。


「藍沢先輩、渚先輩がとても可愛いですよ」

「えっ?」


 どういうことなのかさっぱり分からず、俺も渚の方を見ると、渚が不機嫌そうにこっちを見ていた。彼女は俺と目が合うとすぐに練習に戻ってしまった。

「あれのどこがとても可愛いんだか……」

 彩花ほどではないけれど、渚も不機嫌な顔をすると恐いな。きっと、俺に対して怒っていたんだよな。第三者から見れば可愛いのかもしれないけど。

「さてと、あたしもそろそろ練習に戻りますね。いつまでも藍沢先輩と話していると怒られちゃうかもしれませんから」

「そうか。練習、頑張れよ」

 どうして渚が不機嫌だったのか訊こうと思ったけれど、練習を妨げることになるので今は止めておくか。

 朝練の間、俺は時々体育館の外まで巡回したけれど、彩花はどこにもいなかった。さすがに朝から何か行動を起こそうとは思わないのかな。

 その後も何事もなく、女子バスケ部の朝練は終わったのであった。

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