第6話『決別』

 終礼が終わって放課後になると、昨日の教訓もあって俺は真っ直ぐ家に帰った。

 玄関の扉を開けると、彩花のローファーがあった。彩花はもう家に帰っていたのか。

「ただいま」

 俺がそう言うと、とても可愛らしい笑みを浮かべた彩花が、リビングからやってくる。まるで小さな子供のようだ。


「先輩、おかえりなさい!」

「ただいま、彩花」

「今日はちゃんと帰ってきてくれましたね、嬉しいです」


 俺がローファーを脱いで家に上がると、彩花はぎゅっと抱きしめてきた。俺が真っ直ぐ家に帰ってくることがとても嬉しいんだな。


「今夜は先輩の好きなものをたくさん作ってあげますから!」

「お腹を壊さない程度に頼むよ」

「大丈夫です! 万が一、先輩がお腹を壊してしまったときには、私が手厚く看病してあげますから」

「その時は頼むよ」

「はいっ!」


 彩花は俺と一緒にいるときはいつも嬉しそうだけれど、ここまで嬉しそうにしているのは初めてだぞ。不気味に思えるくらいだ。


「なあ、彩花」

「何ですか?」

「今日は何かいいことでもあったのか? とても嬉しそうだからさ」


 恐る恐るそう訊いてみると、彩花はやんわりと微笑む。


「先輩がちゃんと帰ってきたからですよ」

「俺が帰ってきただけでそこまで喜ぶのか……」

「もちろんです! だって、私以外の女の子と遊ばずに帰ってきたんです。それ以上に嬉しいことはありません。これからは安心して毎日を過ごせそうです」


 昨日は日が暮れるまで帰ってこなかったからな。そのことにとても怒っていた彩花にとって、今日のように下校したら真っ直ぐ帰ってくることがとても嬉しいのだろう。

 けれど、それだけじゃない感じがするのは気のせいだろうか。俺がすぐに帰ってきて嬉しい気持ちは分かるけれど、今の彩花の喜び方は過剰だ。ここは一つ試してみるか。


「彩花、着替えたいからそろそろ離れてくれないか?」

「あっ、ごめんなさい」

「気にしないでいいよ。これからはちゃんと早く帰ってくるからな」

「……嬉しいです。着替えたら一緒にリビングでティータイムにしましょう。私、紅茶を淹れておきますね」

「ああ、頼むよ」


 彩花がリビングに行ったことを確認してから、俺は自分の部屋に入る。

 勉強机の上にバッグを置き、ブレザーのポケットからスマートフォンを取り出す。ホーム画面のままスマートフォンを耳にあて、少し小さめの声で話し始める。


「渚か? あのときの告白だけど、家に帰ってから改めて考えてみたんだ。あのときは断ったけれど、俺……お前と恋人として付き合いたい。……ああ、彩花には俺の方から説得して、そのことを納得してもらうから。恋人として一緒の時間を過ごしていこう。……うん、また明日、部活頑張って」


 そう言い終わった瞬間、


 ――ドンドンドン!


 部屋の扉を激しく叩く音が聞こえる。激しすぎてちょっと恐ろしい気持ちになる。

 やっぱり、俺の読みは正しかったか。

「開けるよ」

 部屋の扉を開けると、そこには目を見開いた彩花が立っていた。

 俺と目が合った瞬間、彩花は殺気に満ちた表情に変わり、両手で俺の腕を掴み激しく揺さぶってくる。


「一度振ったのに、吉岡先輩と付き合うことにしたってどういうことですか! それは私に対しての裏切り行為ですよ! 絶対に許しませんから!」

「落ち着けよ、彩花。今言ったことは全くの嘘だ。そもそも渚に電話もかけてない」

「えっ……」


 鬼の形相のような表情から一気に力が抜けていくのが俺にも分かった。嘘で良かったと思っているのだろう。笑みまで見せている。

 けれど、気を乱すというのは恐ろしいな。あっさりとボロを出してくれたよ。あと、俺の予想が当たっちまったか。


「やっぱり、お前……盗聴していたんだな。どこに発信機が付いているのかは知らないけれど、お前はずっと俺の会話を盗聴していた」

「な、何のことだかさっぱり……」

「確かに、今の嘘は扉に耳を当てれば聞こえたかもしれない。でも、どうしてお前は俺が渚の告白を振ったことを知っているんだ! それはお前が俺の会話を常に盗聴していたからじゃないか?」


 渚が告白したとき、教室内はそれなりに騒がしかった。渚も俺やその周辺の生徒くらいにしか聞こえないくらいの声で想いを伝えてきた。渚が振られたことをすぐ言いふらす奴なんてクラスメイトには誰にもいないと信じている。

 彩花からの反論の余地は残っている状況ではあるけれども、彩花は盗聴の事実を認めるかのように可愛らしく微笑んだ。


「バレちゃいましたか」

「お前、どうして盗聴なんてしたんだ」

「先輩を管理するために決まっているじゃないですか。ていうか、そんなことで怒らないでくれますか? 好きな人が何を話しているのか気になるのは当然じゃないですか」


 恐ろしいことに、そう言う彩花は淀みない笑みを見せてくる。


「……昨日のこと、全く反省していないみたいだな」

「先輩が嫌だと思うことをすると、気持ちいいことをしてくれるって分かったんです。そう思うと、やめろって言われてもやめられなくなっちゃいますよ。それに、先輩が他の方のものになってほしくない」


 こいつ、ある一定のラインを超えると途端におかしくなるな。盗聴をすることを全く悪いと思っていないようだ。


「本当にそれだけか? そんな陳腐な理由は俺をごまかすために言ってるだけだろ」

「……バレちゃいましたか」

「そう言うってことは他に理由があるんだな。お前は今日から盗聴を始めたんじゃない。ずっと前から、どこかに盗聴器を仕掛けていたんじゃないのか?」

「そうですよ。さすがは直人先輩です」


 やっぱりそうか。以前から盗聴器を仕掛けていたと推理したのは、昨晩の話でも俺が遊んできただけではないと彩花は自信を持って言っていたから。俺が2人の女子からの告白を断ったことも、彩花は全てリアルタイムで知っていたんだ。


「私が先輩の恋人になることを妨害する最大の壁。それは吉岡先輩だったんですよ。直人先輩と最も親しい女の子が吉岡先輩であると分かっていました。いずれは彼女も直人先輩に告白する、そう思っていました」

「そのために盗聴を?」

「ええ。是非、吉岡先輩からの告白を聞きたいと思いまして。今後の参考にもなりそうですから。吉岡先輩らしいストレートな告白でした。少しヒヤッとしましたけど、先輩が優しく断ってくれたので安心しました。最大の敵が消えて良かったなって」


 渚の告白をそんな気持ちで聞いていたのか。ましてや、盗聴をしていたなんて。これまで溜めてきた我慢が溢れ出しそうである。


「……もし、俺が渚と付き合うことになったらどうしていた?」

「そのときはもちろん、吉岡先輩には痛い目に遭ってもらいますよ。だって、私の恋路を邪魔したんですから。直人先輩は私のものですから。直人先輩にはそれを分かってもらうために、家では常に手錠で私の側から離しません。場合によっては痛い思いをしてもらわなければならなくなるかも」


 そんなことを笑顔でさらりと言ってしまえるなんて。彩花の俺に対する執着心が本当に恐ろしい。

 俺だけならまだ我慢していたけれど、渚を傷つけようと考えていたのだからもう許すことはできない。


「いい加減にしろよ!」


 彩花を廊下の壁に追い詰める。


「どうしてお前は俺にそこまで求めるようとするんだよ! 俺を束縛して、他人を傷つけることさえ厭わないなんて……」

「それは先輩のことが好きだからですよ」

「いいや、そうじゃない。最初は俺に好きな気持ちがあったかもしれない。でも、今は好きな気持ちを通り越して俺を物のように扱ってる。手錠を掛けたり盗聴したりして。お前は俺を自分の手中に収めたいだけだろ」


 俺がそう言うと、彩花は激しく首を横に振った。


「違います! 私は本当に――」

「渚はお前と同じくらいに大切な奴なんだよ」

「えっ……」

「渚は他の女子とは違う。俺にとっては大切な人なんだよ。俺のことが好きな渚を傷つけたり、命を狙ったりするなら、俺が渚を守る」

「そんなこと、私が絶対に許しません!」

「守りたい人を守る。それのどこが間違ってるんだ!」


 彩花と口論していく中、彼女が盗聴の事実を認めたことと、渚を傷つけるかもしれないことが分かったので、俺は1つの決断をしていた。


「彩花、俺はしばらくここから離れる。俺のことが好きなら、もう一度基本に立ち返ってほしい。俺を束縛することには、好きなこと以外に何か理由がある気がするんだ。俺は彩花のことだって大切に思っている。だから、1度……俺から離れて1人で考えて欲しいんだ。どうして俺のことが必要なのか。言う勇気が出たらいつでも話を聞くから」


 それが俺の決断したことだ。今の状況を根本的に変えるためにはそれしか方法が思いつかない。俺が側にいたら、彩花は俺を束縛することだけを考えて、ここに引っ越してきたときに抱いていた素直な気持ちを完全に失ってしまうかもしれない。

 彩花は嫌だと言わんばかりに、涙を流しながら首を横に振っていた。


「そんな。先輩がいなかったら私、どうしていいか分からない……」

「辛い気持ちは分かる。でも、このまま俺がお前の手中に収まっても、彩花の気持ちは満たされるかもしれない。だけど、幸せにはなれない気がする」

「私、先輩がいないと……誰も守ってくれる人がいなくなる。そんなの、嫌だ、怖い……」

「俺は彩花も大切に思っている。でも、今は渚の方がもっと大切に思っているさ。もし、渚を傷つけようとしたときには、絶対に許さないからな」


 俺はそう言って自分の部屋に戻ろうとする。

 しかし、彩花が俺の腕を掴む。


「直人先輩、考え直してくれませんか? 私、先輩の言うことは何でも聞きますから」


 彩花の目から涙がボロボロとこぼれ落ちていた。

 俺から離れたくない気持ちは痛いほどに分かる。でも、このままでは互いにとってダメな状況なんだよ、きっと。


「酷いことをしようとしているのは自覚してる。だけど、この先どのような未来が待っていても、今のままじゃ絶対に幸せになれない。彩花も、俺も」

「先輩……」

「俺はずっと渚の側にいて、彼女のことをお前から守る。気持ちが纏まったら連絡してほしい。いつでも待ってる。大丈夫だ、その連絡があるまでは誰とも付き合うつもりはないから。じゃあな、彩花」


 俺は彩花の手を振り払って自分の部屋に入った。

 これでいいんだ。

 俺は大きな旅行鞄をロッカーから出し、教科書やノート、衣類など必要なものを入れられるだけ入れていく。盗聴器などがないかをチェックして。

 一通りの準備が終わり、バッグと旅行鞄を持って部屋を出ると、彩花の姿はどこにもなかった。彩花の部屋の扉に耳を当てると、彼女の泣いている声が聞こえる。

 彩花に気づかれないよう、俺は静かに家から出た。


「ごめん、彩花」


 辛いだろうけど、しっかりと考えてくれ。彩花がいい子だっていうのはちゃんと分かってるから。彩花ならきっと気持ちを整理することができるはずだ。

 俺の方も、気持ちの整理をしないと。できれば、俺の方から彩花が束縛する理由を探っていきたい。

 やけに重たい荷物を持って俺は一歩ずつ歩き始めた。

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