第4話『吉岡渚』

 俺は自分のクラスである2年3組の教室へと向かう。

 4月下旬なので、座席はまだ出席番号順になっている。俺の出席番号は1番なので窓側の一番前の席である。藍沢という苗字からか、1番以外の出席番号になったことが1度もない。

 授業のテストや発表のときはいつも最初なので昔は嫌だったけれど、今はそんなに気にしていない。それに、少なくとも、年度初めの1ヶ月ほどは確実に窓側か通路側の最前席に座れるから得していると思っている。

 自分の席に座ってすぐに机に突っ伏した。昇降口まで彩花と色々と話したせいで疲れてしまったからかな。


「おはよう、直人」


 声をかけられたので顔を上げると、目の前にはクラスメイトの吉岡渚よしおかなぎさが立っていた。焦げ茶色の髪でポニーテールの髪型がよく似合う女の子だ。1年生のときも同じクラスであり、高校で出会った女子の中では最も話すことが多い。ちなみに、彼女は出席番号が最後なので席が廊下側の一番後ろである。


「うん、おはよう。渚」

「今日はどうしたの? 来た途端に寝ようとして」

「……朝から疲れちゃって」

「そうだったんだ」

「渚はいつも元気そうだよな。朝練もあるのに疲れないのか?」

「朝練くらいで疲れていちゃエースは務まりませんよ」

「……それもそうか。毎日練習お疲れ様」


 渚は女子バスケットボール部に所属しており、現在はエースとして活躍している。本人曰く、部内でも1番背が高いため、センターを任されているそうだ。

 渚の明るい性格や部活での活躍もあってか、男女問わず人気の高い生徒の1人。4月の終わりであるけれど、この春に入学した1年生にも彼女の人気の波が押し寄せているとか。入学当初から知る俺にとっては普通のスポーツ少女なんだけれど。


「今日も朝練をしてきたのか?」

「もちろん。1年生が正式に入部してから少し時間が経ったからようやく、しっかりとした朝練ができるようになってきたよ」

「そうか。じゃあ、今年もインターハイに向けて本格的に動き始めたわけか」

「うん。来月から予選も始まるしね。今年こそは絶対に全国大会に出場するんだ」


 女子バスケ部はインターハイに何度か出場したことがある。去年は予選トーナメントで、インターハイ出場まであと1勝というところで敗退してしまい、出場は叶わなかった。その試合には渚が出場していたため俺も観に行った。試合終了後にコートの外で立ち尽くしていた渚の姿は今でも鮮明に覚えている。

 渚は中学校でもパスケ部に所属していて、全国大会に出場したことがあったそうだ。その実績から月原高校にはスポーツ推薦で入学した。ただ、入学直後から現在までエースとして活躍しているのは、彼女の努力の賜物だろう。


「お前の爪の垢を煎じて彩花に飲ませてやりたいよ……」

「えっ? 何か言った?」

「……いや、何でもない」


 つい、思っていたことが口に出てしまっていたようだ。

 ただ、彩花に渚のひたむきさを少しでも分けてやってほしい。そうすれば、手錠とかで俺を束縛しようなんてことを考えなくなるだろうから。


「後輩の指導は大変かもしれないけど頑張れよ、渚」

「……うん、頑張る」


 渚は持ち前の爽やかな笑顔を浮かべながらそう答えた。


「ねえ、直人。今年も応援しに来てくれる? 直人が来てくれたら、私も何だか頑張れそうな気がするっていうか……」

「できる限り応援しに行くよ」


 俺がそう答えるのも彩花がいるからだ。俺が渚のために応援しに行くことを快く許してくれるかどうか。

 そういえば、彩花は渚のことを何も言ってこないな。まあ、今年度になってから渚とは教室でしか会っていないし、彩花の監視の範疇ではないのかな。

 応援しに行くという俺の返答に渚は嬉しい顔をしてくれるかと思いきや、複雑な表情をしていた。


「……ごめんね」

「どうして謝るんだよ」

「だって、直人には一緒に住んでいる後輩の女の子がいるんでしょ。不良から助けた女の子だし、付き合っているんじゃ……」


 渚でさえ俺と彩花が付き合っていると思っているのか。まあ、一緒に住んでいると聞けばそう思い込むのは当然なのかもな。

 とにかく、渚にはそれは誤解であると説明しておこう。


「彩花は俺のことが好きらしいけれど、俺は彼女とは付き合っていないよ」

「じゃあ、どうして一緒に住んでいるの?」

「彩花が突然引っ越してきたんだよ。俺に不良から助けてもらったことを理由に、学校から許可をもらったそうだ。あと、俺に貰われに来たとも言っていた。彼女と一緒に住み始めてから何度も告白されたけど、俺は一度たりとも受け入れたことはない」

「でも、彩花って子にとっては酷じゃないの?」


 うっ、やっぱりそう思うか。

 渚に昨晩のことを話してやろうかと思ったけど、何とか思いとどまった。彩花にも良いところは色々あるんだ。


「何度も告白してくるような奴だ。俺に振られたくらいで気が滅入ることはないさ」


 彩花がそういう女の子であると思いたい。

「じゃあ、直人と後輩の女の子は一緒に住んでいるけど、恋人同士じゃないんだね?」

「そういうことだ」

「そっか……」

 何だか渚は嬉しそうだった。彩花と付き合っていたら、何か不都合なことでもあったのだろうか。

「まあ、そんなわけだから行けるときには行くよ。できれば、彩花と一緒に」

「分かった。ちょっと安心した」

 なるほど、俺と彩花が付き合っていたら、自分の応援に来てくれないだろうと思っていたのか。

 せめても、渚のことは彩花にちゃんと知っていてほしいな。渚は他の女子とは違って俺の大切な友人であると。

 気づけば、渚はいつになく頬を赤くしてもじもじしていた。


「どうした? 渚」

「いや、そ、その……あ、あのね……」


 渚が言葉を詰まらせていると、チャイムがスピーカーから鳴り響いた。もうすぐ朝礼が始まるか。

「もうすぐ先生が来るぞ。何かあるなら早く言ってくれないか?」

「い、いや! 特に急ぎのことじゃないから! じゃあ、また後でね!」

 渚はそう言うと慌てて自分の席に戻っていった。そして、近くの席の女子と楽しそうに話し出す。

 渚の言いたいことが気になるけれど、急用じゃないなら気にする必要はないか。さっきの渚はいつもとは違う気がしたけれど、女子と楽しそうに話している姿を見て気のせいだと思うことにした。

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